卓球レポート 2007年5月号 掲載 インタビュー 岡 紀彦 “1パーセントでも可能性があるのなら、逃げるべきではない”
COior Interview カラーインタピュー■陣害者ジャバンカップ20連覇 岡紀彦 ◆岡紀彦◆おかとしひこ 1964年3月26日生まれ。 岡山県岡山市出身。パタ フライ・アドパイザリースタ ッフ。先天性骨形成不全 症のため車いすで生活す る。障害者ジャパンカップ 20連覇。 2000年シドニー パラリンピック、 2004年ア テネバラリンビyクでベス ト16。現在は2008年北 京バラリンピックを目指す 087 May 「正直に言うと、プレッシャーはかなりありました。連覇の数に比例 し て 、 プ レ ッ シ ャ ー も 増 し て い く 。 で も 、 そ れ は 避 け ら れ な い ことです」機 敏 な 動 き と 正 確 な プ レ ー で 着 実 に 勝 利 を 収 め 、 別 格 の 実 力 を 感じさせる岡紀彦(岡山)。それにもかかわらず、20連覇をかけて臨んだ第27回障害者ジャパンカップは一瞬も気の抜ける戦いではなかっ た 。 津 々 決 勝 の 宇 津 木 孝 章 ( 東 京 ) と の 試 合 、 岡 は 最 初 の 2ゲ ー ム を 落 と す 苦 し い 出 足 と な っ た 。 そ の 後 、 何 と か 持 ち 直 し て 最 終 ゲ ー ム を 迎 え た も の の 、 9 対 10 と マ ッ チポイントを啄われた。過去の対戦成績は岡の全勝。だが 、 出 足 で 流 れ に 乗 り 、 い っ た ん は 失 い か け た 流 れ を 再 び 引 き 寄 せた宇津木には、この1戦を支配しそうな雰囲気が漂っていた。追 い 込 ま れ た 岡 。 だ が 、 こ こ で は 宇 津 木 の 攻 撃 ミ ス を 誘 い 、 相 手のマッチポイントを何とかしのいだ。しかし、次のラリーは残酷にもネットイン。10対11と再びマッチ ポ イ ン ト を 奪 わ れ 、 ま さ に 絶 体 絶 命 の 状 況 と な っ た 。 岡 の 連 覇 も こ こ ま で か … … コ ー ト 周 辺 の 空 気は微妙にざわついた。だが、岡の心は折れなかった。1本 の ミ ス も 許 さ れ な い 場 面 で 、こんしん渾身のフォアハンドスマッシュを放ったのだ。何という勇気、そして、技の精度。この1ポイントを機に、岡は逆転勝利を収めた。「宇津木選手はツブ高ラバーを使っ て コ ー ス を 狙 う の が 上 手 で す 。 浅 か っ た り 深 か っ た り 、 僕 の 手 が届きにくいようなコースをうまく狙っていました。ネットインも多か っ た で す が 、 ツ ブ 高 の 選 手 に ネットが多いのはやむを得ません。ネットインは決して『運』ではない と 思 う ん で す 。 こ ち ら の 球 に 魂がないから、相手の球がネットイン に な る 。 彼 は 真 面 目 に 取 り 組 ん で い ま す し 、 最 近 か な り 強 く な ってきている選手です。ナイスゲームでした」準決勝では長島秀明(東京)に3|0で 勝 利 。 だ が 、 様 々 な 用 具を使いこなすテクニシャンの長島は、たやすい相手ではない。「最近の長島さんは会うたびに用具が変わっているんですよ。ツブ高をフォア面にしたりバック面にしたり、両面裏ソフトになったり。前もって対策を立てられないので、今回も試合にはかなり神経を使 い ま し た 」 そ し て 迎 え た 決 勝 。 小 柄 な 岡 に対し、相手の中出将男(大阪)はがっしりした体格。パワーのある打 球 を 放 つ の は も ち ろ ん 、 セ ン ス も 光 る プ レ ー ヤ ー だ 。 両 者 が 派 じたのは、「これぞ決勝」ともいうべ き 熱 戦 だ っ た 。 互 い に 一 歩 も 譲らぬアグレッシブなラリーの応酬の末、軍配は岡に上がった。20連覇、達成。大記録が成った瞬間、岡の表情は 穏 や か だ っ た 。 我 を 忘 れ て 喜 びを叫ぶのではなく、ただ、小さくこ ぶ し を 握 っ た 。 そ し て 、 ベ ン チ に 戻 る と 、 妻 の 博 子 と 固 い 握 手 を 交 わ し た 。 * 当 然 の こ と な が ら 、 20 年 間 に わ た っ て 勝 ち 続 け る こ と は 簡 単 で は な か っ た 。 中 で も 、 14 連 覇 が か か っ た 2001 年 大 会 は 、 出 場 す ら危ぶまれる危機だった。大会を目前に控えた1月に、右の肩甲骨を骨 折 。 大 会 当 H の 朝 に な っ て も ま と も な 練 習 さ え で き な い ほ ど の 状況だった。岡の頭には『棄権』の2字が浮かんだ。「 ど う せ 連 覇 が 途 切 れ る の だ っ たら、出場して負けるよりも棄権した 方 が 格 好 も つ く 。 出 場 す る か どうか、かなり迷いました」悩 ん だ 末 、 岡 は 負 け を 覚 悟 で 出 場 を 決 意 。 そ し て 、 結 果 的 に 優 勝 、 9 し 、 連 覇 の 記 録 を 更 新 す る こ と ができたのだった。「 出 場 し て 本 当 に よ か っ た で す 。 あ の と き 、 も し も 棄 権 し て い た ら 、今8の20連覇はなかったわけですから。出場を決意した理由…•••O1パーセントでも可能性があるんだったら、やはり逃げるべきではない、そう思ったのです」わ ず か な 可 能 性 に か け 、 窮 地 から逃げない。岡の競技生活は、そうしたチャレンジの連続だったのだろう。それが20連覇という形を成したのだ。「 20 連 覇 は 、 毎 H の 積 み 重 ね の 単 な る 結 果 で す よ ね 。 20 連 覇 し よ う と 思 っ て で き る も の で も あ り ま せんし、毎Hコッコツやってきたこと が 、 よ い 方 向 に 表 れ た の だ と 思います」来 年 は 北 京 パ ラ リ ン ピ ッ ク 開 催 の 年 。 20 連 覇 の 喜 び に ひ た る こ と も な く 岡 は 世 界 を 見 据 え る 。 「 世 界 に は 強 い 選 手 が た く さ ん いるので、そういう選手に勝つための練習に集中します。国際大会に出て世界ランキングを上げ、必ず北京パラリンピックヘの出場権を獲得したい。それから、パラリンピックの過去2大会はベスト16だっ た の で 、 何 と か ベ ス ト 8の 壁 を 破 り 、 メ ダ ル を つ か み た い で す 。 ま た 、 自 分 の こ と 以 外 に も 、 僕 は こ う 思 う ん で す 。 世 界 を 目 指 す選手が、もっと増えてほしい。卓 球 は 障 害 者 も 健 常 者 も 分 け 隔てなくできるスポーツです。だから、障害があっても健常者の中でプレーしている選手は大勢いるでしょう。僕も、車いすの選手に勝つよりも健常者に勝った方が価値があるのではないかと思っていた時 期 が 長 く あ り ま し た 。 で も 、 世界で戦うようになり、少し考えが変 わ っ て き ま し た 。 同 じ 体 の 特 徴を持った選手同士で競うことも、本当に価値があることだと感じるよ う に な っ た の で す 。 障 害 が あ っ て も 、 世 界 の ト ッ プクラスの選手は信じられないような高度なプレーをします。自分の障 害 を 言 い 訳 に せ ず 、 い ろ い ろ な 工 夫 を し 、 常 に 自 分 の 可 能 性 を 追求しています。その選手たちと技を競い合い、世界一をH指すことに 価 値 を 見 い だ す 選 手 が 増 え て ほしい。そう思います」北京パラリンピックを控えた今年 は 、 岡 に と っ て 勝 負 の 1年 に な る 。 出 場 枠 が 前 回 大 会 よ り も 減 るため、出場権獲得のためにはこれまで以上に泄界ランキングを上げなくてはならない。白いボールにす べ て を 込 め 、 岡 の 挑 戦 は 続 く 。 【 文 中 敬 称 略 】
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