2022年06月02日
契約選手
水谷隼氏とバタフライ・ゴールドメダル・アドバイザー契約
バタフライは、水谷隼氏にバタフライ・ゴールドメダル・アドバイザーとしてお力添えいただくことになりました。弊社は18年を越える年月を水谷隼氏と共に歩んでまいりましたが、引き続き水谷氏と共に、卓球というスポーツのさらなる発展に寄与できるよう、力を尽くしてまいります。
株式会社タマスと水谷隼氏が最初に契約を結んだのは2003年9月、14歳(中学校2年生)でドイツに卓球留学する水谷氏の挑戦を後押ししたいと考えたことがきっかけでした。そして、水谷氏は4カ月後の2004年1月に中学校2年生で全日本ジュニアチャンピオンとなり、2007年1月には17歳7カ月で史上最年少(当時)の全日本チャンピオンとなり、2019年1月の全日本卓球選手権大会では前人未到の男子シングルス10回目の優勝を達成。さらに、2021年8月には念願のオリンピック金メダル獲得を成し遂げられました。
当社は創業期から「卓球をメジャースポーツにしたい」という夢を持っており、水谷隼氏も同じ夢を描いておられました。そして、まさに水谷氏の活躍によって、卓球は日本においてメジャースポーツになりつつあります。
しかしながら、世界に目を向けますと、卓球がまだまだ発展していない地域があります。弊社は「卓球を通じて世界をもっと幸せにする」ことを使命とし、バタフライ・ゴールドメダル・アドバイザーの水谷隼氏にお力添えいただきながら、世界で卓球を盛んにするための活動を一緒に行ってまいりたいと考えております。
【水谷隼氏のコメント】 数多くの歴史を塗り替えてきた私の卓球人生において、いつも隣にいてくれたのはバタフライです。
常にアスリートファーストで、私のどんな要望にも真摯に向き合ってくれ、良い時も、悪い時も、苦楽を共にしながら一緒に成長してきました。
強くなると、そこにはさらに進化したバタフライの製品があり、時には、一步先から私を鼓舞してさらなる成長へと導いてくれる。 そんな存在でもありました。
「オリンピックで金メダルを取る」「自分なら絶対に取れる」と信じて互いの思いをぶつけ合い、共に成長してきたからこそ2020東京オリンピックでは金メダルを勝ち取ることができたのだと思います。
これからは、ゴールドメダル・アドバイザーとして、さらに優れたバタフライ製品の開発、そして、卓球をメジャースポーツにするための活動を続けていきます。
≫プロフィールページ/水谷隼
株式会社タマスと水谷隼氏が最初に契約を結んだのは2003年9月、14歳(中学校2年生)でドイツに卓球留学する水谷氏の挑戦を後押ししたいと考えたことがきっかけでした。そして、水谷氏は4カ月後の2004年1月に中学校2年生で全日本ジュニアチャンピオンとなり、2007年1月には17歳7カ月で史上最年少(当時)の全日本チャンピオンとなり、2019年1月の全日本卓球選手権大会では前人未到の男子シングルス10回目の優勝を達成。さらに、2021年8月には念願のオリンピック金メダル獲得を成し遂げられました。
当社は創業期から「卓球をメジャースポーツにしたい」という夢を持っており、水谷隼氏も同じ夢を描いておられました。そして、まさに水谷氏の活躍によって、卓球は日本においてメジャースポーツになりつつあります。
しかしながら、世界に目を向けますと、卓球がまだまだ発展していない地域があります。弊社は「卓球を通じて世界をもっと幸せにする」ことを使命とし、バタフライ・ゴールドメダル・アドバイザーの水谷隼氏にお力添えいただきながら、世界で卓球を盛んにするための活動を一緒に行ってまいりたいと考えております。
【水谷隼氏のコメント】 数多くの歴史を塗り替えてきた私の卓球人生において、いつも隣にいてくれたのはバタフライです。
常にアスリートファーストで、私のどんな要望にも真摯に向き合ってくれ、良い時も、悪い時も、苦楽を共にしながら一緒に成長してきました。
強くなると、そこにはさらに進化したバタフライの製品があり、時には、一步先から私を鼓舞してさらなる成長へと導いてくれる。 そんな存在でもありました。
「オリンピックで金メダルを取る」「自分なら絶対に取れる」と信じて互いの思いをぶつけ合い、共に成長してきたからこそ2020東京オリンピックでは金メダルを勝ち取ることができたのだと思います。
これからは、ゴールドメダル・アドバイザーとして、さらに優れたバタフライ製品の開発、そして、卓球をメジャースポーツにするための活動を続けていきます。
≫プロフィールページ/水谷隼