変幻自在なプレースタイル、
犠牲をいとわぬ自己鍛錬、
勇気ある問題提起。
水谷隼の歩みは、周囲から時として異端と捉えられることがあった。
しかし、彼にとっては、まっとうな道を模索しているにすぎなかった。
未踏の地を切り開いて進む道が、どこに通じているのか。
水谷にだけは、それがはっきり見えていたに違いない。
水谷が用具に求めるものも、他の選手とは異なることが多かった。
誰よりも突き詰めて考えるがゆえに、用具に完全に満足することもまれだった。
機械測定では決して捉えられない“何か”を捉える感覚の持ち主が、
さらなる高みを目指すために用具に求めているものとは何なのか。
その答えを見つけるために、バタフライは水谷の背中を追い続けた。
水谷が急成長を遂げた時も、勝利を重ねていた時も、闘志の火が消えかかった時も。
順風満帆とはいえなかった競技生活のゴールが水谷の視界の端に入ってきた時、
ようやく彼はこれ以上ないと思えるラケットを手にした。
そして、ついに誰もが待ち望みながらも、
たどり着けることを奇跡としか思わなかった王座へと上り詰めた。
王者になるための、王道はない。それは、自分で切り開く。
水谷隼の背中を追う後進たちに、自身の競技人生をもってその事実を示した今、
彼はコートの外での活動で飛躍を遂げ、新たな世界を切り開いている。
激動と栄光の選手時代を、支えることができた誇り。
そして、卓球の普及と発展に奔走する、新しい境地のレジェンドを支えられる喜び。
水谷隼と20年。志を共にする私たちの歩みは止まらない。
水谷隼とバタフライの歩み
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1998
エルモーソ・ライト-ST/スレイバーFX/スレイバーFXを使用
全日本カブで3位入賞した9歳(小学3年生)の当時、弾みを抑えた5枚合板のラケットに、スポンジが軟らかく使いやすいラバーを組み合わせていた。やがて、『エルモーソ・ライト』より少し弾む5枚合板『スピナート』を使用するようになる。 -
1999
10歳(小学4年生)。この年に全日本カブ優勝。
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2001
12歳(小学6年生)。全日本ホープスで優勝し、小学生での全日本選手権大会3階級(バンビ、カブ、ホープス)制覇。
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2003
ティモボル・スパーク-ST/ブライスFX/ブライスFXを使用
14歳(中学2年生)、全中2位。中学生になり、ラケットは特殊素材のアリレートが入った『ティモボル・スパーク』を使い始める。ラバーも『スレイバーEL』使用の時期を経て、ハイテンション ラバーの『ブライスFX』に変更。
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2003
9月21日、バタフライと契約
類いまれなるボールタッチを持ち、将来を嘱望されていた希代のオールラウンダーとバタフライのパートナーシップが始まった。 -
ドイツへ卓球留学。名門クラブのボルシア・デュッセルドルフを練習拠点とし、ドイツ・ブンデスリーガ3部へ参戦。
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2004
メイス-ST/ブライスFX/スレイバーELを使用
留学先のドイツで、指導者のマリオ・アミズイッチにラケットの変更を打診され、『メイス』を使い始める。一方で、ラバーはバック側の『ブライスFX』を『スレイバーEL』へ。ドイツでバックハンドの技術が向上。回転をかける感覚を求めての変更だった。
“自分では『ティモボル・スパーク』は結構気に入っていた。でもマリオに、もっと弾むラケットにするべきと言われて、アリレート カーボンのラケットに変更した” -
14歳(中学2年生)で、全日本選手権大会ジュニア男子の部史上最年少優勝。
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15歳(中学3年生)、全中優勝。
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2007
メイス-ST/ブライスFX/ブライスFXを使用
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全日本選手権大会(一般の部)の男子シングルスで初優勝。17歳7カ月(高校2年生)での優勝は当時の最年少記録。
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本人モデルのラケット『水谷隼』が発売
アリレート カーボンよりも弾むZLカーボンを搭載。ラケットの板厚が薄くても高弾性を実現。木材→アリレート→アリレート カーボン→ZLカーボンと、徐々に硬く弾むラケットへと段階を踏んだ。 -
水谷隼-ST/ブライスFX/タキファイアCを使用
“中国選手の粘着性ラバーが脅威だったので、自分も使ってみたいと思った。当時のバタフライのラバーで近かったのが『タキファイアC』だった” -
インターハイの男子シングルスで優勝。
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2008
水谷隼-ST/ブライス スピードFX/ブライス スピードFXを使用
弾む接着剤の使用が世界に先駆けて禁止となっていた日本。国内大会に向けた用具調整で、『ブライス スピードFX』を選択。 -
全日本選手権大会(一般の部)の男子シングルス2連覇。
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水谷隼-ST/ブライス スピードFX/タキファイアCを使用
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北京オリンピックに出場。
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2009
水谷隼-ST/テナジー64/テナジー64を使用
弾む接着剤の使用が2008年9月1日に全世界で禁止になり、両面とも『テナジー64』に移行。
“回転よりも弾みとコントロールを優先している。僕は後陣からでもカウンターを狙うスタイル。だから『05』よりもスピード重視の『64』を選ぶ” -
全日本選手権大会(一般の部)の男子シングルス3連覇。
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世界卓球2009横浜の男子ダブルスで銅メダル獲得。
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2010
全日本選手権大会(一般の部)の男子シングルス4連覇。
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プロツアー・グランドファイナルの男子シングルスで優勝。
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2011
全日本選手権大会(一般の部)の男子シングルス5連覇。
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2012
ロンドンオリンピック出場。
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2013
世界卓球2013パリの男子ダブルスで銅メダル獲得。
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新たな境地を求めてロシアリーグに参戦。
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2014
全日本選手権大会(一般の部)男子シングルスで3年ぶり6度目の優勝。
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水谷隼 SUPER ZLC-ST/テナジー64/テナジー64を使用
ボールがプラスチックになり、さらなる弾みを求めた結果、新素材SUPER ZLCを搭載したラケットを使い始める。
“球離れが早くて威力がすごく出る。卓球は同じフォームだったら威力が出た方が絶対に良い。SUPER ZLCならば小さいフォームでも十分な威力を出すことができる” -
ワールドツアー・グランドファイナルの男子シングルスで優勝。
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2015
水谷隼 ZLC-ST/テナジー64/テナジー64を使用
大会ごとに性質が異なる卓球台への対応力と、ボールをよりつかむ感覚を求めて、ZLカーボン搭載ラケットに戻す。 -
全日本選手権大会(一般の部)男子シングルス7度目の優勝。
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水谷隼 ZLC-ST/テナジー80/テナジー80を使用
世界卓球2015蘇州の男子シングルス準々決勝での敗退を期に、長年使用した『テナジー64』から『テナジー80』に変更。
“もっと前で勝負できないと勝てない。これからの卓球は前中陣でのカウンターが必要。自分から積極的に攻めていって、ひとつひとつのボールの質を高くしていかないと” -
2016
全日本選手権大会(一般の部)の男子シングルスで8度目の優勝。
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リオデジャネイロオリンピックの男子シングルスで銅メダル、男子団体で銀メダルを獲得。
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2017
全日本選手権大会(一般の部)の男子シングルスで9度目の優勝。
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特注(アリレート カーボンシェーク)-ST/テナジー80/テナジー80を使用
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2019
水谷隼 ZLC-ST/ディグニクス80/ディグニクス80を使用
『ディグニクス』の登場とともに、『テナジー80』から『ディグニクス80』へ変更。
“ドライブの軌道が山なりになり、ネットミスを気にしなくなった。打球も相手コートの深い位置に入る” -
全日本選手権大会(一般の部)の男子シングルスで10度目の優勝。
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2021
水谷隼 ZLC-FL/ディグニクス80/ディグニクス80を使用
ラケットのグリップ形状を、小学生の頃から慣れ親しんだST(ストレート)からFL(フレア)に変更。
“バックハンド技術での力の入れやすさ、フォアとバックの切り替えのしやすさを重視した” -
東京オリンピックの混合ダブルスで金メダル、男子団体で銅メダルを獲得。
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選手を引退。
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2022
バタフライ・ゴールドメダル・アドバイザーに就任
“オリンピックで金メダルを取った水谷隼として、卓球の普及と発展のために頑張っていきたい”
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