荘則棟さんが10日、がんのため北京の病院で死去した。享年72歳。
荘氏は右ペン表ソフトの両ハンド前陣速攻という攻撃的なプレースタイルで1961年北京大会、1963年プラハ大会、1965年リュブリアナ大会で世界選手権大会男子シングルス3連覇の偉業を達成。日本のライバルとしても怖れられるとともに、良き友人としても敬意を集めた。
また、1971年世界選手権名古屋大会においては、アメリカの選手との交流をきっかけに、米中の国交樹立に大きく貢献したとされる「ピンポン外交」の立役者としても知られる。
なお、理論派としても知られた荘則棟氏が日本の読者のために書き下ろした「三十六計と卓球」(卓球レポート1992~1995年掲載)を本サイトにて公開している。
卓レポ過去記事 荘則棟の「三十六計と卓球」
[選手情報]
荘則棟氏が死去
2013.02.12
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