シェークハンドカット主戦型の礎を築き、指導者としても長きにわたって卓球界に貢献し続けてきた渋谷五郎氏が10月25日に逝去された。83歳だった。
渋谷氏は1937年秋田県生まれ。小学4年生のときに、当時住んでいた青森県で卓球に出合い、没頭。日本卓球界の黎明期から名選手を輩出してきた青森で、シェークハンドのカット主戦型という当時の日本では非常に珍しかったプレースタイルを試行錯誤しながら確立し、22歳の時に昭和34年度全日本卓球選手権大会で優勝。1961年世界卓球選手権北京大会には日本代表として出場し、男子シングルスで4回戦進出、男子団体で2位と好成績を収めた。
愛息の渋谷浩もカット主戦型の選手として活躍し、平成11年度全日本卓球選手権大会で優勝。親子で全日本チャンピオンに輝くという偉業を達成した。
卓球レポートは選手時代から指導者時代を含め、長年にわたり渋谷氏の取材協力を得てきた。晩年の渋谷氏は卓球レポートの記事の中で、次のような言葉を残している。
私は選手時代から人間の能力には計り知れないものがあると考えてきました。「君はここまでしかできない」と決められる人はどこにもいません。目指すところにたどり着くための正しい方法を探し、努力を積み重ねることで可能性を切り開いていくことは必ずできます。ですから、自分で限界をつくらずに、自分の目指す卓球に挑戦し続けてほしいと思います。
また、練習のときには、体力的にも技術的にもできる限りの「厳しさ」を自分に課すように心がけてください。練習の場で、強くなるための努力を惜しむ必要はありません。いかに効率よく勝てるか、ということを考えるのは試合のときだけで十分です。
一度、卓球の魅力を感じて選手としての道を歩み始めたらからには、一人でも多くの選手に、あの白いボールを打つことによって世界が広がっていく感じを味わってほしい。今の私はそう思っています。
<以上、卓球レポート2014年3月号「青春がんばりズム 渋谷五郎」より抜粋>
日本におけるシェークカットの可能性を切り開き、選手として、また、指導者としても自分に厳しさを課し続けた渋谷氏。故人のご冥福をお祈りします。
文=佐藤孝弘
夏に伸びる(全9回/卓球レポート1995年8月号「特集 夏に伸びる(文=渋谷五郎)」より抜粋)
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