3回目は男子シングルス2回戦で、アメリカチャンピオンとして世界王者・馬龍に挑んだカナック・ジャア(世界ランキング38位/2019年4月)に焦点を当てて、ジャアを含むアメリカの強化に邁進する強化本部長のヨルグ・ビツィゲイオ氏に話を聞いた。
世界チャンピオンとの30分
今大会の始まる2日前に、アメリカと中国の合同練習があって、そこで30分だけカナック(ジャア)が馬龍と打つ機会があった。カナックが限られた時間の中で1球でも多く馬龍と打ち合うために、今までにないくらい急いでボールを拾いに行って台に戻ってきていたのがとても印象的だった。
カナックにしてみれば、憧れの選手で、もちろん滅多に彼とボールを打つ機会などないからね。その練習後にカナックに話を聞いたら、やはり1球1球のボールの質が今まで受けたことのないようなものだったと興奮気味に話していたよ。
しかし、その練習があったおかげで、試合ではこんなボールが来るだろうという予測ができたので、初対戦の割にはいい準備ができていたと思う。試合には敗れはしたが、世界のトップになるというのはどういうことかを、カナックは理解できたのではないだろうか。そういう意味で、カナックにとって非常に有意義な30分だったと思う。
カナックの決意が見えた
ラブオールで出したロングサービス
カナックは今大会、決勝トーナメントからの出場となったが、まず、1回戦でボボチカ(イタリア)に勝たなければならなかった。2回戦で馬龍と当たることはわかっていたが、「馬龍対策」をする余裕などはなかったのが現実だ。
現時点で、カナックが馬龍に勝つチャンスがないということは客観的に見ても間違いないだろう。だからといって「どうせ負けるのだから」という態度で試合に臨むのか、それとも「今の自分はどこまで通用するのか」という気持ちですべてをぶつけに行くのか。
私は最初の1本に注目していた。ここでカナックの将来が決まると言っても大げさではないと思っていたからだ。ラブオールでサービスを持ったカナックは馬龍のバック側に意表をついたロングサービスを出した。体勢を崩した馬龍の返球はエッジインしたが、私はこの1本を高く評価したし、コーチのシュテファン・フェートもこの時点で、この試合ではこの先に生きるようなアドバイスをするという方針を立てたと言っていた。
また、同様に印象的だったのは、ゲームカウント1対2、10-10で馬龍がバックハンドサービスを使ってきた場面だ。回転もコースも何ということのないシンプルなサービスだが、普通にストップやフリックをしてしまうと、両ハンドで攻められるという厄介なサービスだ。
私はこのサービスに対してカナックがどのようなレシーブをするかも、カナックの将来を大きく左右する分岐点になると感じた。今までのカナックだったら、安全に置きに行くようなレシーブをしていたと思うが、この時のカナックは3本連続でこれまで見たことがないほどアグレッシブなレシーブをした。2本はレシーブミスに終わったし、ゲームを取るには至らなかったが、私はカナックがこれから自分が世界のトップを目指す上で、どういうプレーをしていかなければいけないのかを深く理解していると感じた。とても大きな収穫があったと思う。
今は、カナックの世界卓球が終わり、さっそく馬龍戦のビデオを見返して、「このブロックは打球点が遅かった」とか「このボールはアグレッシブにカウンターしたのがよかった」など、今後のプレーの参考にして、帰ってすぐの練習に生かせるようにしているところだ。
子どもの卓球から大人の卓球へ
これまでのカナックはツッツキして相手がドライブしてきたボールをブロックして、チャンスを見て決めるというプレーでも多くの相手に勝てていた。しかし、これはシニアで通用する卓球ではない。そこで、カナックは昨年末からより攻撃的な卓球にプレースタイルを変更してきた。
ツッツキをより攻撃的にして、相手が持ち上げてきたボールをカウンター、あるいは、1本ブロックしたら、次はカウンターなど、相手にチャンスを与えずに、常に先手を取るようなプレーだ。
こうしたプレースタイルの変更が実戦でどの程度通用するのか、また、方向性として正しいのか。それをテストするのに馬龍は申し分ない相手だった。だから、カナックにはスコアは気にせずに自分のプレーを徹底することだけを要求した。そして、その結果は今後につながるものになったと思う。
これまで「子どもの卓球」で強くなってきたカナックも18歳になり、来季からはブンデスリーガ1部でプレーすることが決まっている。
カナックを見た卓球関係者は、ほぼ全員が「力がないから打ち抜けない」と言う。本人もパワーがないということを意識して、より威力のあるボールを打とうとしてフォームを崩したりしていた。でもあの身長、体格でパワーをつけても限度があるのが現実だ。トップレベルの相手を一発で打ち抜くようなボールは打てるようにならない。
そこで、丹羽孝希のような速い打球点で攻めたり、ときには打球点を下げて回転量の多いボールで攻めたりという幅のあるプレースタイルも取り入れていったほうがいいと私は考えている。ラリーは長くなるかもしれないが、相手の予測よりもちょっとタイミングが早かったり、回転量が多かったり、少しでも相手をひるませることができればそれで十分だ。ただ、今の技術の質ではそれは難しいので、そこが今後の課題になるだろう。
プレースタイルを変えていく上で一番大切なのは、やはり本人の考え方だ。これまでは守って守って相手のミス待ちという卓球だった。だが今は、そのようなミスをしないだけの卓球では、得点ができないというレベルになってきている。もっとアグレッシブに攻める卓球にシフトしていかないといけない。まだまだこれからだが、本人がこのプレースタイルを進化させることの必要性を理解してトライしていけば、ブンデスリーガ1部でも十分に通用するプレーができると思う。
カナックは卓球を知っている
カナックは非常に頭の回転が速い選手なので、競った場面でタイムアウトをとって「これかこれをやるように。どちらかは自分で決めなさい」という指示を出すと、迷いなくその通りにできるし、ときには、対戦相手だけでなくコーチも驚くようなことをすることがある。そうした意外性の部分は今後も伸ばしていきたいところだ。
一方で、フルスイングしてもカルデラーノ(ブラジル)のようなボールが打てるようになるわけではない。だからこそ、自分の長所を生かすための卓球をしていかなければならない。そのためには、皆と同じことをする必要はないし、そうしていたら彼の才能は埋もれてしまうだけだろう。今は本人もコーチもそれを理解しているので、そうなる不安はないと感じている。
以前、ワールドツアーの期間中にトキッチ(スロベニア)にカナックの練習相手をお願いしたことがある。その時にトキッチは「ブロックはよく止まるが、なぜこの選手がこんなに世界ランキングが高いのかわからない」と言った。
確かに一つ一つの技術の精度はまだまだそれほど高くはない。彼よりサービスの上手い選手、パワーのある選手、速い打球点で打てる選手はいくらでもいる。だが、カナックには自分の持っている技術を実戦で非常に高度に連係させる頭の良さがある。私はトキッチに「試合をしてみればわかると思うよ」と冗談めかして答えたが、彼の強さが発揮されるのは実戦においてだ。彼が他の同年代の選手と最も違うのはそこだ。カナックは「卓球を知っている」。それは彼のコーチのシュテファンに依るところも大きいが、カナックの理解力があるからこそ、一つ一つの技術を磨いていけば、それがそのまま彼の成長につながるはずだ。
彼は普通の選手とは違ったルートを進むかもしれないが、トップオブトップを目指せるポテンシャルがある選手だという確信はある。
1976年ドイツ生まれ。2005~2015年ドイツ女子のヘッドコーチを務める。2017年からはアメリカに渡り、アメリカ・ナショナルチームの強化本部長として、強化・育成に辣腕を振るっている
(写真・文=佐藤孝弘、取材協力=梅村礼)
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なお、詳しい試合の結果は大会公式サイトでご確認ください。
ITTF(国際卓球連盟):https://www.ittf.com/tournament/5000/2019-world-championships/
2019 World Table Tennis Championships - Budapest:http://wttc2019.hu/