革新といえるものを作るなら、スポンジしかなかった

その真紅のスポンジは、衝撃的だった。
2008年4月21日。バタフライから発売された『テナジー05』に搭載された「スプリング スポンジ」。
ラバーのスポンジは白色やだいだい色、クリーム色が主流の時代に、驚きの「赤」。そして、肉眼でも分かるほど大きなスポンジの気泡。実際に打ってみると驚くほど弾み、なおかつ粘着性ラバーかと思うほど回転がかかる。それは未体験の性能だった。
発売当初、『テナジー』に拒否反応を示すユーザーが少なからずいたのも、考えてみれば当然かもしれない。至近距離で強烈なスピードと回転を備えたボールを打ち合う選手。その思考は革新を求めても、感覚は保守へと走る。『テナジー』はあまりにも異色の存在だった。しかし、ひとたび『テナジー』の性能に目覚めれば、その虜となり、もはや他のラバーでは物足りなくなる。
尖っていなければ、人の心に刺さらない。良いものでなければ、人の心をとらえられない。革新性と普遍性。それはヒット商品の条件であり、『テナジー』というラバーの特長だった。


左写真は「テナジー05」を横から撮影したもの。右写真は「スプリング スポンジ」の表面の様子。気泡の大きなスポンジがユーザーに衝撃を与えた

「ハイテンション技術を確立させた『ブライス』の次に、何をやるのか。テンションを上げるのも一つの方法ですが、それでは改良としかいえない。『ブレイクスルー(突破)』といえるものを作るには、スポンジしかありませんでした」
『ブライス』の開発メンバーの中心となり、『テナジー』の「スプリング スポンジ」の研究開発にも携わった山崎斉は語る。
「スポンジの性能は、打球のスピードとスピンに深く関与しています。ラバーにおけるスポンジの重要性。それはバタフライ研究開発チームのマインドとして脈々と流れているんです。
『スレイバー』では高弾性ゴムの設計を第一優先にし、『ブライス』ではハイテンション技術を重視しました。次に着手するならスポンジ。それは自然な流れでした」(山崎) しかし、ある程度のノウハウが蓄積されているトップシートに比べ、スポンジの研究開発は困難が予想された。
「プロトタイプ(試作品)ができて山の麓、そこから大量生産を可能にする『量産試作』を本当の山登りとたとえるなら、スポンジの研究開発についてはまだ山の麓すら見えていませんでした。しかも山の麓までは特急列車ではなく、自転車で懸命に漕いでいく。そういう状況だったんです」(山崎)

ゼロベースで、全く新しいスポンジの研究開発に着手した当初は、『ブライス』のスポンジの性能にも遠く及ばなかった。そのため、スタートラインのはるか後方から、まずは『ブライス』のスポンジと同等の性能に追い付く必要があった。そして、同じスタートラインに立った上で、さらに「ノングルーでも、グルーイングした『ブライス』のスポンジと同等の性能」を目指した。そこへ持ってきてドンとテンションをかけ、グルーイングした『ブライス』の性能をも一気に超えていく。
「新しいスポンジの研究は、非常にハードルが高かったです。投資も必要になるし、相当な覚悟が必要でした。
それでも、良いものを作るなら自分たちがやるしかない。スポンジで新たな技術を開発し、イノベーション(革新)を起こしていくしかない。理想に燃えるような部分もありましたね」
株式会社タマス代表取締役専務の大澤卓子は、スポンジ開発にかけた当時の思いをそう語る。新しいスポンジの研究開発をスタートしたのは、97年7月の『ブライス』発売のころだった。08年4月の『テナジー05』発売に至るまで、10年を越える長い苦闘が始まった。