ぼくの言うことを聞かないくらいのほうが強い選手になりますよ
野田学園には、大会前や合宿での長時間のミーティングはほとんどない。もちろん連絡事項の伝達はあるが、指導者が選手に長時間ずっと話し続けるようなミーティングはやらない。その代わり、練習の中で常に選手のプレーに目を配り、気になったことがあればすぐに選手と言葉を交わす。ベンチでも一方的にアドバイスをするのではなく、選手との対話の中から答えを探していく。
現在の指導のスタイルに到達したのは、仙台育英学園高時代に岸川聖也を指導した経験が元になっている。「僕よりも聖也の方が圧倒的に実績が上で、いろいろな経験をしているし、賢いし、試合でやるべきこともわかっていた。『聖也、落ち着け』と言いながら、僕の方が緊張していたんですよ」と橋津は当時を振り返る。
橋津自身も柳井商業高3年時には、中国高校選手権大会で3冠王に輝いた実績がある。しかし、選手との実績や経験の差を認め、時に選手から練習や技術のエッセンスを吸収しながら、指導者として成長していったところに橋津文彦の凄みがある。
指導者の言うことは絶対で、選手は常に指導者の言うことを聞いていればいい。それが、かつての日本式の指導方法だった。常に謙虚で、周りの意見や情報に耳を傾けるオープンマインドな姿勢は、日本の指導者の中では当たり前のようでいて、実は貴重なものだ。
16年インターハイ学校対抗決勝での野田学園高のベンチ。17年夏は悲願の優勝を懸けて9回目のインターハイに挑む
彼の目から見て、「強くなる選手」と「強くならない選手」は、一体どこが違うのだろうか。
「まず強くなる選手というのは、自分の意見や意思をはっきり持っており、主張が強い選手。用具ひとつをとっても、自分自身の譲れないこだわりを持っています。僕の言うことを聞かないくらいの方が強くなりますよ。結局、聞かない子ばかりですからね」と橋津は笑う。
逆に用具について「何を使ったらいいんでしょうか」と聞いてくるような選手は、なかなか伸びないという。「あれを使ってみたい」「これを使ってみたい」という希望があれば、橋津はそれを一切否定せず、できる限り用具を準備できるように務める。それが指導者としての仕事のひとつであると自覚している。
「選手に自主性を持たせたい。自分で考えて、自分で決められる選手になってほしい。それが僕の指導哲学です」
異色の才能と個性を、型にはめずに大きく育てる。野田学園からは、これからも圧倒的な攻撃力とスケールを備えた、未来のメダリストたちが輩出されていくだろう。
橋津文彦 はしづ・ふみひこ
1974年5月10日生まれ、山口県出身。柳井商業高3年時に中国高校選手権大会3冠、1年間のドイツ卓球留学を経て明治大に進学。卒業後、東洋大姫路高の講師を経て仙台育英学園高の卓球部監督となり、03・04年インターハイ学校対抗優勝。
08年に野田学園高に移り、09・13年度全国高校選抜大会優勝、インターハイ学校対抗では準優勝5回。岸川聖也、吉村真晴ら多くのトップ選手を指導した
【卓球王国 2017年9月号掲載】
■文中敬称略
文=卓球王国
写真=渡辺塁・卓球王国