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三十六計と卓球 ~第十三計 打草驚蛇~

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「日本の友人と世界の卓球界に『三十六計と卓球』を捧げる」 荘則棟

第十三計 打草驚蛇 (草むらを叩けば蛇が驚く)

人をびっくりさせるような方法を用いて、暗闇に潜んでいる敵または陰謀を発見し、敵に恐怖を与えて威勢を削る。あるいは慎重に行動しなかったために、秘密を漏らしてしまい、自分が不利になるかまたは失敗する。

 古代戦術の例

36kei-13-01.jpg 紀元前627年、秦(しん)の大軍は鄭(てい)を襲撃することになった。
 長老の蹇淑(けんしゅく)は秦穆公(しんぼくこう)に"大軍を遠征させ、遠き敵と戦うのは不利です。遠征をおやめください"と進言した。
 しかし秦穆公は聞き入れず出軍となった。蹇淑は涙を流しながら、王将の孟明視(もうめいし)に"崤山(しょうざん)(河南省三門峡の南東)を通る時は、晋軍(しんぐん)の待ち伏せに充分気を付けよ"と念を押した。しかし傲慢(ごうまん)な孟明視は敵を軽視し、鄭国攻略の旅に出た。
 帰路で崤山を通る時、蹇淑の忠告を聞かず、偵察も出さずに4隊に分かれて進軍した。先頭の自軍が少数の晋軍に出合った時も、これが「誘兵の策略」だと考えもせず、山奥の渓谷へと兵を進め、とうとう敵軍の罠にはまってしまった。
 前の方で敵の軍旗が翻(ひるがえ)っているのに、孟明視は「敵が強がりを見せているのだ、その旗を倒せ」と命じた。
 部下が敵の軍旗を倒した時、待ち伏せしていた晋軍が四方八方から一斉に現れ、晋軍は惨敗し孟明視は捕虜となった。



卓球における応用例

 1959年、第25回世界卓球選手権大会の時、中国とハンガリーの男子団体戦準決勝で、中国チームの容国団選手は前世界チャンピオンである名将シド選手に敗れた。しかし、男子シングルスに入ってから、容国団選手は日本のホープ星野展弥選手、ハンガリーの主将ベルチック選手、アメリカの名将マイルズ選手らを連破し、彼の名は一躍卓球界の注目の的となった。
 決勝戦に進んだ時、彼と世界チャンピオンを争う相手は、団体戦で敗れ雪辱を期すシド選手であった。
 容国団選手は団体戦でシド選手に負けたが、気落ちした様子はまったくなく、むしろ新しい戦術を練りだし、勝算ありと言わんばかりであった。
 一方シド選手は団体戦で容国団選手に勝ったものの、彼が各国の名選手を一掃して決勝戦に出てきたことは実力そのものであり、内心驚いているようであった。
 両選手の決勝戦が始まった。シド選手は第一ゲームを先取した。しかし容国団選手は落ち着いており、闘志はますます高揚した感じであった。
 彼は右上回転(ドライブ)の戦術を用い、シド選手の台に接近しての鋭角的反撃戦術を崩したのである。
 シド選手は彼の右上回転の球に策を失い、高い返球が目立った。容国団選手のスマッシュが見事に決まり出し、ますます勢いに乗り、3ゲームを連取し、中国に初めての世界チャンピオンの栄冠をもたらしたのである。


感想

1.敵が兵力を隠している場合、そこには大きな陰謀と力が隠されている。疑問を感じた時には必ず偵察し、相手の実状をつかんでから行動する。繰り返しで偵察することは、敵の内部事情を知ることと、暗闇に隠されている敵を発見する重要な方法である。
 さもないと蛇を驚かせ、あるいは蛇を捕らえようとして逆に蛇に嚙まれる。
2.相手を偵察する場合、先ず表面的なものが目につく。さらに観察を続ければ、内面的なことも見えてくる。「最初に伏兵をやっつける」これこそが敵に勝つための重要な手段である。"草むらを叩く"ことにより、敵がどのくらいいるかを知ることができ、"蛇を巣から追い出し"一挙にせん滅することが目的である。
3.敵と戦う場合、勇敢な将軍と精鋭な兵士が必要であり、開局をリードすることが大切である。これは自軍を力づけ、敵の威力を削減できる。人の心を攻めるのが上策である。
4.「打草驚蛇」の中で敵を驚かすことと、秘密を漏らすことは正反対の事柄である。前者は敵軍の鋭気を削り、待ち伏せを一掃できるが、後者は作戦の秘密が敵に知られ、自分に不利になる。したがってこの計略を応用する場合は、攻めと防御の両方をうまく使い分ける必要がある。
(翻訳=佐々木紘)
筆者紹介 荘則棟
chuan_s.jpg1940年8月25日生まれ。
1961-65年世界選手権男子シングルス、男子団体に3回連続優勝。65年は男子ダブルスも制し三冠王。1964-66年3年連続中国チャンピオン。
「右ペン表ソフトラバー攻撃型。前陣で機関銃のような両ハンドスマッシュを連発するプレーは、世界卓球史上これまで類をみない。
1961年の世界選手権北京大会で初めて荘則棟氏を見た。そのすさまじいまでの両ハンドの前陣速攻もさることながら、世界選手権初出場らしからぬ堂々とした王者の風格は立派であり、思わず的ながら畏敬の念をおぼえたものだ。
1987年に日本人の敦子夫人と結婚。現在卓球を通じての日中友好と、『蘭と創』などの著書を通じて、卓球理論の確立に力を注いでいる」(渋谷五郎)
本稿は卓球レポート1993年5月号に掲載されたものです。
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