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世界一への道 長谷川信彦 
人の3倍練習し、基本の鬼といわれた男 1

 独特な一本差しグリップから放つ「ジェットドライブ」や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで世界を魅了した長谷川信彦。
 運動能力が決して優れていたわけではなかったが、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」であった。

文=田中大輔 監修=辻歓則
※この記事は月刊卓球レポート2002年7月号を再編したものです



 昭和49年(1974年)全日本選手権大会準決勝、長谷川は2度目の優勝を狙う世代交代の旗手・高島規郎と対戦した。27歳になった長谷川の、ジェットドライブと呼ばれた強烈なドライブは、威力がやや落ちてはいたがミスがなく、一方、1日30キロ走り鍛え込まれた下半身に支えられた高島のカットも、容易には崩れなかった。
 試合は満員の観客の目を第1コートにくぎづけにする中で、1ゲーム目から促進ルールへともつれ込む熱戦となった。
 重いドライブにロビングと、糸を引くようなカットとそこから回り込んでのスマッシュといったラリーの応酬となり、両者がまさに死力を尽しての攻防となった。
 激しい試合は長谷川の体力を大きく奪い、ドライブの威力を減退させ、高島の正確無比なカットを打ち抜けなくなっていった。
 会場を揺るがすような拍手の中で、日本卓球史上最高の記録の大選手・長谷川信彦は新鋭・高島の軍門に下った。
 その直後、世界の金メダル5個、全国優勝29回(全日本選手権大会での優勝10回を含む)、アジアでも中国選手に強く、金メダルは20個と輝かしい戦績を持つ長谷川信彦は、体力、気力の限界を感じ、この大会を最後にラケットを置くことを決意した。
 引退までに大小合わせると300回以上の優勝回数、これもまた日本卓球史上例を見ない最多優勝で、記録男長谷川信彦の面目躍如である。

昭和49年度全日本卓球選手権大会男子シングルス準決勝
死力を尽くした長谷川信彦(左)と高島規郎



「世界一への道」の取材のために、私は東武桐生線の赤城駅のプラットフォームに降り立つと、長谷川信彦は右手を高く上げてニコニコと「おはよう、ご苦労さん」と、ユニフォーム姿で出迎えてくれた。
 長谷川はハンドルを握りながら「さっきまでラージボールの指導をやっていたんだ。ラージボールはラリーが続くのでおもしろいよ」などと話し、5分ほど聞いているうちに、車は卓球道場のあるテーブルテニスガーデン・ハセガワに着いた。
 桐生市の四方が緑に囲まれた山の中。約500坪の敷地が広がり、15台の卓球台、ボール、マシンなどを備えた200坪の道場とそれに隣接した自宅があった。
 道場は鉄骨を一切使わずすべて木造で、木々の香りがただよってくるような、落ち着いた雰囲気の建物であった。
 壁に選手たちに向けて書かれたボードが掛けられているのを見て足を止めた。

強くなるには
・常に試合と同じ気持ちで練習する
・フォーム、フットワーク、3球目、4球目攻撃など抜群にせよ
・世界で勝てる選手になれ
・自分から進んで素振り、体力作りをやれ
        '01・6・10 長谷川信彦

 私はもう一度、目を凝らして読んだ。
 これはまさしく、長谷川信彦の卓球哲学そのものである。
 長谷川信彦55歳、現役を退いて26年(編集部注:2002年当時)。今でも毎朝ルームランナーでのランニングを30分、バーベルなどを使っての筋力トレーニングを30分行い、さらに週に1回は2時間の長距離ランニングを欠かさない、という。私はそこに「卓球人として、常に最高のプレーを見せる」という長谷川の卓球哲学を感じた。
 現役時代には毎日2時間をトレーニングに費やした。その半分はランニングだった。
「試合前にランニングをたくさんやったときには負けなかった。反対にランニングをあまりやらなかったときには、勝てなかった。走ると体のバランスがよくなるし、心も鍛えられる。孤独に強くなる。長距離ランニングは自分の卓球の命だ」と言い切る。
 そんな長谷川の強靭(きょうじん)な肉体を、元国際卓球連盟会長・故荻村伊智朗は「長谷川の卓球は内臓の戦いに持ち込む」と評していた。
 現役時代、206グラムという重いラケットを使っていたのにもかかわらず、トレーニングをしていたおかげで、怪我(けが)は少なかったという。

長谷川が使っていたラケット


 ところが、引退後に一時期体重が66キロまで増え、ふくらはぎの肉離れを何度もしていた。それを反省し、先に述べたようにランニング、トレーニングをすることにした。
「トレーニング、ランニングをすると、体重が61キロとベストになり、肉離れはしなくなった。当り前の話だけど、トレーニングの大切さを再認識したよ」とトレーニングの鬼・長谷川は私の顔を見て笑った。

 私はしばらく道場の中を見ていたが、「ヨシッ、1本」「サァ、ファイト」と聞こえてくる声に引っぱられるように2階に上がり、手すりから下のフロアを見た。
 おやっ、あれは何だろう。
 自分側のコートは全面で、相手側のコートは何分の1かを板で覆って、それ以外の部分のコートにしか打てないように、コートの広さで相手とハンデをつけてゲームをやっているのだ。そのことで相手にも勝てるチャンスが生まれるので真剣勝負になる、ということだ。
 長谷川のフルスイングした強打が、その狭くしたコートに的確に入る。精密機械のようだ。相手が強打してくると、高い放物線を描く華麗なロビングで、狭いコートに何本でもスマッシュをしのぐ。相手のボールが少しでも甘いと、カウンターのバックハンドを相手コートに放つ。すごく緊迫したゲームに私は魅せられていた。現役時代、どんな相手との試合でも真剣勝負の試合をした、という長谷川卓球の真髄だ。
 現役を引退して26年たつとはとても思えない、そのすばらしい技術、精神力を見ながら、現役時代の長谷川の鍛錬が、いかに凄(すさ)まじかったかを感じることができた。

長谷川のスイングは現役を引退して26年たつとは思えない


 夜の卓球教室では、子どもたちに本当の「基本」を教える。ここでは素振りをとても大切にする。2時間の指導時間のうち30分を、素振りに費やすのである。素振りの指導のときには体の軸を意識させるために、直立姿勢でラケットを振らせることから始める。そして、大きくスタンスを広げての素振りや、フットワークを入れての素振りをする。

フォア、バック、フットワークや切り替えなど
さまざまな素振りで基本を身に付ける


 これは「今の日本の選手は、トップ選手から小学生に至るまでみんな体の軸が崩れている。だからフォームが崩れて、いいボールが打てないし、いい動きができない」との考えからだ。
「それに今の選手は、卓球の知識が乏しい。僕は中学生のころには『卓球レポート』を見ては、名選手のフォームの真似(まね)をしていたね」(
次回へ続く)

壁には卓球レポートの誌面や連続写真が貼られていた




Profile 長谷川信彦 はせがわのぶひこ
1947年3月5日 ー 2005年11月7日。愛知県瀬戸市出身。
1967年世界卓球選手権ストックホルム大会男子シングルス優勝。
一本差し右シェーク攻撃型。快速ドライブとバックスマッシュ、ロビングで18歳で全日本制覇。20歳で世界制覇。全国優勝29回、アジア優勝20回、世界優勝5回。

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