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「卓球は血と魂だ」 第一章 九 西日本大会の育成

第一章    わが卓球の創造 -選手、役員時代-

九 西日本大会の育成


 昭和二十二年、山口県卓球界が大同団結しようという気運となり、はじめて山口県卓球協会を結成、会長には内田陽裕氏(防府、鐘紡)理事長には当時二十六才の私が就任した。

 戦前には西日本選手権大会は山口市でも下関市でも開催されていたが、これを柳井一本とすることになり、この大会の強化に努力した。しかし十年後、バタフライ卓球用品メーカーとしての事業の拡張のため、柳井の運動具店を閉鎖し、東京を本社とし、一家をあげて東京に進出した。このため、西日本大会は県卓協の中村清二理事長中心に運営されることになり、続いて今日では平岡博、田中茂明、松浦徹真氏以下の地元の人達の熱心な運営で、年々盛大につづけられてきた。

 しかし何と云っても地方での大会はマンネリ化しやすいし、しだい細りになりやすいものだ。東京での事業が安定してきた私は、昭和五十四年度から、地元の要望にこたえ、この大会に外国一流選手を招待する形の協力をはじめた。

 昭和五十四年度は米国NO.1のダニー・シ―ミラー選手を招待した。そして既に引退していた全日本選手権六回優勝の記録をもつ長谷川信彦選手(タマス社員、卓球レポート副編集長)が自発的にこの大会に出場してくれることになった。

 これで大きな意義が加わった。ある年はリッキー・シ―ミラー(全米第二位)、ある年はステパンチチ(ユーゴ、元世界選手権複優勝者)が出場したが、その後の四年間は連続して長谷川対シ―ミラーの決勝戦となり、二勝二敗の成績である。

 五年目の今年(第四十六回大会)は不覚にも準々決勝で長谷川は宮崎選手(和歌山相銀)に敗れ、決勝は韓国の新鋭十八才の安宰亨選手がシ―ミラーを破って優勝した。

 女子の方では昭和五十七年、八年とも韓国一流選手が出場し、五十七年は安海淑、黄男淑、五十八年は申、李、白三選手で単複すべてを制覇している。

 この西日本選手権大会は朝日、毎日、読売の三大紙のほか、中国新聞からの地方新聞が大きなスペースをさいてくれており、テレビも各社が取材放映してくれている。実はそれには主催者の長年にわたるマスコミ対策の努力があるわけで、全日本選手権以外ではこれほど大きくマスコミがとり上げる卓球競技界会は他にその例を見ないのである。

 また、この大会にはシニア、ベテラン種目のほかに、ジュニア大会が非常に盛大になってきた。五十八年現在、この大会に参加した選手の総数は一三〇〇人に達した。明年度はホープス(小学生級)を加える予定であり、一六〇〇名を越えるのではなかろうか。

 現在三会場、五十二台のテーブルが使用されているがこの審判指導や進行運営には地元の高校や中学校指導者、それに柳高や柳商OBたちで編成している柳友クラブのメンバーが大いに活躍しているが、来年度以降の主催者のうれしい悲鳴が聞えてくる。

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