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三十六計と卓球 ~第二十三計 関門促賊~

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「日本の友人と世界の卓球界に『三十六計と卓球』を捧げる」 荘則棟

第二十三計 遠交近攻 遠くと講和を結び、近くを攻める

作戦の目標が地理的条件の制限を受ける場合、近くの敵を攻めることは
自分に有利であり、遠くの敵を攻めることは自分に不利である。
自分を有利に導くため、遠くの敵と一時的に連合する。
即ち、遠方の国と講和を結び、近隣の国を呑食する計略である。

 古代戦術の例

36kei-23-01.jpg 紀元前310年の戦国時代、範雎(はんすい)は秦昭王(しんしょうおう)に計略を献上した際、次のように言った。「今は諸侯(日本の大名に相当)が争い、天下は乱れ、僅(わず)か7ヵ国しか残っていません。7ヵ国の内、最も強いのは秦の国です。しかし秦は未だに東の方へ領土拡張ができていません。これは大王の対外政策に誤りがあるからです。聞くところによりますと、大王は近々韓国(かんのくに)と魏国(ぎのくに)の国土を通り斎国(さいのくに)を攻めるとのことですが、これは更なる間違いです」。
 これを聞いた秦昭王は「斎国を攻めることが何故間違っているのか」と問うた。範雎は「当初、斎湣王(さいみんおう)が韓国と魏国の国土を通り楚国(そのくに)を攻め、500平方キロメートルの土地を占領しましたが、最終的には韓国と魏国にその土地を奪われてしまいました。これは斎国が楚国と遠く離れ、韓国と魏国が楚国に近いからです。よって戦略を変更し、遠くと講和を結び、近くを攻めるのです」と答えた。
 秦昭王は更に質問した「どの様にして遠くと講和を結び、近くを攻めるのじゃ」。範雎は続けた「遠交...即ち遠く離れた国と仲良くし、敵対国を少なくします。近攻...即ち近くの国を1日も早く攻めるのです。一寸の土地を得ればこれは大王の土地です。一尺の土地を得ればこれも大王の土地です。この方法は門前に害がなく、他国の国土を進軍する必要もない為、奪った土地は大王の物となり、最終的には遠近ともに得ることができます。数年後には6ヵ国を併吞し、天下を統一することができます」。
 秦昭王は範雎の計略を採用し、更に範雎を宰相(さいしょう)に抜てきした。
 秦国は遠交近攻の計略に基づき、益々強大となり、その後の6ヵ国消滅と天下統一の為に確固たる基礎を築いたのである。



卓球における応用例

 1950~60年代の孫梅英(スンメイイン)選手や楊瑞華(ヤンルイホア)選手らはペン速攻型であり、相手のカットを攻める時、ネット近くにストップ球を出し、得点するケースをよく見かけた。
 しかし、これには前提条件がある。
 すなわち、重いスマッシュ、連射砲の様な攻めにより、相手を後退させ、左右に走らせ、台から遠く離れた時に、ネットぎりぎりのストップ球を出してこそ効果が出るのだ。
 強烈な攻撃力がなく、相手が後退していないのにストップすると、逆に相手にスマッシュされて自分が不利になる。
 したがって、重量級のスマッシュにより、相手を台から遠ざけた後のストップが生きてくる。
 また、スマッシュの後、ストップを出すような偽の動作をし、相手が台に近寄ったときスマッシュすれば、力は小さくても相手の不意を突ける。
 その結果、相手は前と後ろに気を配り、神経が分散し、変化に対応できなくなり、陣型が乱れ、遠近共に隙(すき)ができ、防御できなくなる。この時こそ、遠近共に自分が得るのである。


感想

1.まず相手の解決しがたい矛盾を見極め、この矛盾を捕らえ計略を施す。
2."遠きと手を結ぶ"計略と手段を有すると同時に、"近くを攻める"実力を有し、全局を見極め、計略を徐々に実施して行く。
3.勢いをもって利を導くことは、勝利を得るための重要な思想であり、全局に徹底していることが大事である。
 但し、徹底したり徹底しなかったり、命がけで戦い不必要な損をする、或は易きを取らずに難を取るのは禁物である。
4.敵の連合または分化に対し、戦略の必要に応じ各々撃破する。どこから撃破するかは、利害を良く考え的(まと)を得ると共に正確性を必要とする。
(翻訳=佐々木紘)
筆者紹介 荘則棟
chuan_s.jpg1940年8月25日生まれ。
1961-65年世界選手権男子シングルス、男子団体に3回連続優勝。65年は男子ダブルスも制し三冠王。1964-66年3年連続中国チャンピオン。
「右ペン表ソフトラバー攻撃型。前陣で機関銃のような両ハンドスマッシュを連発するプレーは、世界卓球史上これまで類をみない。
1961年の世界選手権北京大会で初めて荘則棟氏を見た。そのすさまじいまでの両ハンドの前陣速攻もさることながら、世界選手権初出場らしからぬ堂々とした王者の風格は立派であり、思わず敵ながら畏敬の念をおぼえたものだ。
1987年に日本人の敦子夫人と結婚。現在卓球を通じての日中友好と、『闖と創』などの著書を通じて、卓球理論の確立に力を注いでいる」(渋谷五郎)
本稿は卓球レポート1994年8月号に掲載されたものです。
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