第三章 卓球の炎をかかげて
一 選手・監督・ラバー問題
選手にとって一番大切なことは練習だ。一に練習、二に練習、三にも練習だ。メシを忘れるほど練習に打ち込める選手が強くなる。次に大切なもののひとつがラバー選びだろう。選手の個性をどう発揮するか、は最重要な課題だが、それに適したラバー選びだ。自己の卓球の行きづまりをラバーによって見事に解決し成功した選手の例もある。コーチをする立場に立っても、選手の個性をよくつかみ適したラバーを選んで協力してやることは重要な仕事となってきた。特に中学生や高校生の試合は、ラバーの特性を知らないために負ける場合が多く、相手の使用するラバーを十分に知って試合にのぞまなければ、とんでもないことになる場合がある。選手はもちろん、ラバーの研究をしない監督は、上級の試合での本当のコーチはできない。昨年の夏、日本にやってきた世界優勝のハンガリー男子選手団は、ラバー選びの時が最も真剣な目をしていたし、ベルチック監督もそうだった。世界の誰がどんなラバーを使っているか、相手の用具とプレーを知り、どうやって自分の力を発揮するか、が練習の目標なのだから。
想い出せば三四年前、当時全日本ランク二位を得た私は、日本によいラバーがないので、進駐軍にたのんで英国製ラケットをとりよせ、そのラバーをはがして自分のラケットにはった。代りがないので中心部分を切りとって他の部分とはりかえながら試合をつづけた。どうしても日本でよいラバーをつくりたい、と決心してその道に入ったのだが、今日では世界中の一流選手のほとんどが日本製ラバーを使うようになった。そして日本から出されるラバーの進歩に今も世界は注目しており、いち早くそれを使いこなして次の大会に備える努力をしているのである。一九五二年佐藤博治選手が使ったスポンジに端を発し、特殊ラバー禁止問題で世界はゆれた。その結果一九五九年スポンジは禁止され、ソフトラバーの厚さは四ミリ以内に制限された。この頃の欧州は、一切の特殊ラバー禁止という英国らの案と用具自由論が対立した。「卓球はこれからダイナミックなスポーツに成長していく可能性をもっている。その発展を止めてはならない。昔のコルク時代、一枚ラバー時代より、すでに立派なスポーツに発展しつつあるではないか-」という理論を発表したのは日本の荻村伊智朗氏と当時米国会長のキルパトリック氏らだった。
その後、裏ソフトの日本のループドライブ、そして表ソフトによる中国の速攻時代をへて、今日強力な性能をもつ裏ソフト中心のオールラウンド時代となってきたが、その一面イボ高ラバーやアンチラバーの変化球をまじえる多彩な技術の時代となった。シェークハンドプレーは、片面に強回転のラバー片面にその反対のラバーをはって相手を幻惑する異質ラバーの時代ともなった。もちろん本格派のスピードと回転で圧倒していく選手が主流ではあるが、一時圧倒された守備系選手たちが、この異質ラバーを使って再登場、卓球に面白味を加えたとも言えるかもしれない。
その反面、異質ラバーでクルクル回して相手を幻惑するプレーをこのままにしておいてよいか、という心配が欧米にある。欧米の選手達に意見を聞いてみた。「それは問題ない。選手の努力で解決できる」という人と、「クルクル回すのだけ何らかの規制を」という人がある。こうした問題はいつも一年後には自然に解決できた。問題を解決するのは、多くの場合いつも選手の努力なのである。
(卓球レポート一九八〇年一〇月号)
[卓球レポートアーカイブ]
「卓球は血と魂だ」 第三章 一 選手・監督・ラバー問題
2013.08.25
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