第三章 卓球の炎をかかげて
四 選手強化こそ日本の生命
世界選手権ノビサド大会の男女単ベスト一六に入ったのは日本は川東(第一勧銀)ただ一人。男女複、混合複でベスト四に入る組なし。女子団体で第九位、わずかに男子団体が健闘して第三位を獲得したが、現地で見たこの結果の実感は“日本惨敗”の印象をぬぐえなかった。しかし、日本選手団はベストを尽してがんばった成績であり、残念ながらこれが実力相応の成果かもしれなかった。だから、二年後の東京大会で、日本がこれ以上良い成績をあげることは困難かもしれないのである。元世界選手権者のシド氏らから「なぜ日本はこんなに弱くなったのか」と尋ねられたが答える言葉がなかった。「いや、日本はアマチュアだから」と答えると、シド氏は笑いながら「アマチュアで本当に強い選手がつくれますか。欧州一流も中国もみんなプロコーチ、プロ選手だよ」と言う。
大会直後ハンガリーのスポーツ施設を視察したが、社会主義国のスポーツ対策は大変力が入っている。特にオリンピック種目は国家の援助が凄い。私は今すぐプロ選手育成を唱えるつもりはない。日本の中学、高校、大学、実業団の組織力と現場指導者の情熱はどこの国と比べても劣るものではない。しかし、世界選手権はトップの二~三人が強くなければダメなのであり、一〇〇人の団体戦なら日本は中国以外に負けることはない。要するに日本のピラミッドは頂点がないのである。なぜ頂点がないのか。①国家チームの訓練が困難 ②コーチがアマであること ③生活水準向上の反面、民族意識等の低下などがあげられるが、要するに世界をよく知らないことも原因となっている。
もちろん、スポーツは楽しむものであり、勝つことにこだわる必要はない。それなら世界第一五位ぐらいで満足したらよい。問題は勝利を目指して錬磨することに意義を求めるかどうかであり、それをハッキリさせて今後を考えたいものだ。幸い、今回の大会は日本の指導者層が五〇人以上大会を見学視察されたことはよかった。これらの指導者がどこまで真剣に今後に対処されるかを楽しみにしたい。ただし、その中のある人は、日本はあと二〇年かかる、と言う。今すぐ対策を講じても五年以上かかることは私も同意できるが二〇年とはきびしい見方だ。ともかく、日本選手はマナーはよく、大会出場国で一番おとなしい選手団であり、二〇年前のような野性味がなくなった点も気がかりだ。七種目全勝した中国の選手団は物凄い意気込みだった。李富栄団長が率先して大声を出し、手を振り上げて声援する姿も印象的で前回男子の敗退の雪辱戦といった観があった。なりふりかまわぬ中国の姿は、かつての“友好試合”的な影を消し、この意味で好感がもてた。またこの二年間最も努力したのはお隣の韓国。すでに女子は大きな差がつき、男子も互角に育ってきた。さて、日本はどこへゆくのか。筆者は六年前のカルカッタ大会のあと「弱い日本では尊敬されない」と書いた。いろいろ問題もあろうが、選手はもっと個性を磨き、苦難と戦い、檜舞台で実力を発揮できるような自分を創造してほしい。指導者は選手の角をためて牛を殺すのでなく、大いに個性を育て上げる道を進めてほしい。
このままでいけば、日本は世界のお笑い草になり下がるかもしれない。これは生やさしい仕事ではない。卓球日本は強くなければならない。“選手強化は卓球日本の生命”であることを、いま一人一人が、改めて考えてみるべきではなかろうか。
(卓球レポート一九八一年七月号)
[卓球レポートアーカイブ]
「卓球は血と魂だ」 第三章 四 選手強化こそ日本の生命
2013.09.05
\この記事をシェアする/