「日本の友人と世界の卓球界に『三十六計と卓球』を捧げる」 荘則棟
第三十五計 連環計 策が次から次へとリンクしている連続の計
巨大な敵に立ち向かう場合、短期間あるいは1回では倒せないため、
連続していくつかの計を使い、各計の相互作用によって力を合わせて敵を倒す
古代戦術の例
紀元208年三国時代の赤壁の戦の時、東呉の孫権(そんけん)は劉備(りゅうび)と連合して、曹操(そうそう)の大軍に立ち向かった。
劉備の策士龐統(ほうとう)は、曹軍が水上戦を苦手としている弱点を利用し、早速曹営(曹操の陣営)に潜り込んで、策を曹兵達に話した。
この策を耳にした曹操は部下に命じ、コの字形の大きな鉄釘で30隻から50隻の船を一列につなぎ合わせた。お陰で船は揺れなくなり、北方出身の兵士達は船酔いをしなくなったと大喜びであった。
しかし、龐統のこの策には、船をつなぎ合わせることで身動きできなくし、火攻めの的にする陰謀が隠されていたのだ。
更に、東呉の軍師周瑜(しゅうゆ)は、離間の計(反間計:卓球レポート'95年9月号)によって曹操の水軍大将蔡瑁(さいぼう)と張允(ちょういん)を消した。また、苦肉の策(苦肉計:卓球レポート'95年10月号)により、南東の風が吹く日を開戦の日とした。
これらの策は一つ一つつながって完璧な計略のチェーンとなり、小が大を倒し、弱が強を制し、火攻めにより曹軍の船を焼き、大勝したのである。
卓球における応用例
'63年第27回世界選手権大会において、中国のシェークカットマン・王志良(ワンヅーリャン)選手は、男子シングルス戦で、中国選手の脅威となっている日本の名将・木村興治選手を3-2で破り、世界卓球界を驚かせた。ヨーロッパの選手も彼に一目置いた。
というのは、シェークカットの元祖はヨーロッパであるが、ヨーロッパのシェークカットマンも木村興治選手には勝てなかったからである。その木村興治選手が中国式のシェーク打法に負けたのだ。
王志良選手の勝因を詳細に分析してみると、彼は堅実な基本技術をベースにして多くの策と変化を巧妙に運用し、得点を重ねている。巧妙な打法には一撃ごとに策が施され、一球ごとに技が見え隠れしている。
例えば、表面は静かで殺気を感じさせないが、綿の中には針が隠されている。
相手選手がネット近くに短いボールを出すと、彼は中後陣から、見た目には狼狽(ろうばい)したような動作で駆け寄って返球するが、そのボールには癖のある回転がかかっているため相手選手はこのボールに騙(だま)され、苦い結果を味わうことになる。
また、彼は対戦中に相手の心理を観察し、陰陽の計を用いる。
例えば、相手が慎重にドライブで攻めてくると読むと、下回転のボールを打つ動作で全く回転のない、あるいはやや上回転のボールを打ち、相手のドライブミスを誘う。相手が別の戦法でくると読むと、今度は軽い動作で下回転が強くかかっているボールを打ち、相手にネットミスをさせる。相手が躊躇(ちゅうちょ)混乱すると、今度はフォアとバックから、斜めや直線的な攻撃をしかける。
彼はいろいろな計を身につけて自在に運用しているため、いつどのような計がどこから飛び出してくるかわからない。従って日本の名将・木村興治選手が前後左右で計にはまり、敗北したのは偶然の出来事ではない。
感想
1."連環計"を運用するときのポイントは、敵の弱点を握り、行動を牽制(けんせい)し、戦闘力を弱めることである。それにより自分の不利な体勢を有利に導き、勝ちを得る。
2."連環計"を運用する方法はたくさんある。"迂(う)をもって直とする(回り道をすると見せかけて、実は早く目的を達すること)"もその一つである。≪孫子の軍事篇≫には「最も難しい対戦相手は、迂をもって直とし、災いを利とする者である」「迂をもって直とする計を先に知った者が勝つ」と記されている。迂を持って直とし、災いをもって利とすることを知らない者は、敵と争っても勝てない。
3."連環計"の運用は有機的な相互作用を狙いとしている。連続性を持ち、先(ま)ず局部から手をつけ、徐々に内部へ浸透して連鎖的に敵に攻撃を与え、全局を混乱と失敗に導く。この計の運用には連続性と合理性を必要とする。
4.全局的な考え方で全体を統率し、計画を綿密に練り、目的を明確にし、理論性を持って、時には局部的な犠牲を払い、大きな勝ちを得る。
5.弱が強を制す時は英知が主体となる。英知により自分の計画を実現できる人は聡明な強者であり、人の力量は知恵から生まれてくる。
紀元208年三国時代の赤壁の戦の時、東呉の孫権(そんけん)は劉備(りゅうび)と連合して、曹操(そうそう)の大軍に立ち向かった。
劉備の策士龐統(ほうとう)は、曹軍が水上戦を苦手としている弱点を利用し、早速曹営(曹操の陣営)に潜り込んで、策を曹兵達に話した。
この策を耳にした曹操は部下に命じ、コの字形の大きな鉄釘で30隻から50隻の船を一列につなぎ合わせた。お陰で船は揺れなくなり、北方出身の兵士達は船酔いをしなくなったと大喜びであった。
しかし、龐統のこの策には、船をつなぎ合わせることで身動きできなくし、火攻めの的にする陰謀が隠されていたのだ。
更に、東呉の軍師周瑜(しゅうゆ)は、離間の計(反間計:卓球レポート'95年9月号)によって曹操の水軍大将蔡瑁(さいぼう)と張允(ちょういん)を消した。また、苦肉の策(苦肉計:卓球レポート'95年10月号)により、南東の風が吹く日を開戦の日とした。
これらの策は一つ一つつながって完璧な計略のチェーンとなり、小が大を倒し、弱が強を制し、火攻めにより曹軍の船を焼き、大勝したのである。
卓球における応用例
'63年第27回世界選手権大会において、中国のシェークカットマン・王志良(ワンヅーリャン)選手は、男子シングルス戦で、中国選手の脅威となっている日本の名将・木村興治選手を3-2で破り、世界卓球界を驚かせた。ヨーロッパの選手も彼に一目置いた。
というのは、シェークカットの元祖はヨーロッパであるが、ヨーロッパのシェークカットマンも木村興治選手には勝てなかったからである。その木村興治選手が中国式のシェーク打法に負けたのだ。
王志良選手の勝因を詳細に分析してみると、彼は堅実な基本技術をベースにして多くの策と変化を巧妙に運用し、得点を重ねている。巧妙な打法には一撃ごとに策が施され、一球ごとに技が見え隠れしている。
例えば、表面は静かで殺気を感じさせないが、綿の中には針が隠されている。
相手選手がネット近くに短いボールを出すと、彼は中後陣から、見た目には狼狽(ろうばい)したような動作で駆け寄って返球するが、そのボールには癖のある回転がかかっているため相手選手はこのボールに騙(だま)され、苦い結果を味わうことになる。
また、彼は対戦中に相手の心理を観察し、陰陽の計を用いる。
例えば、相手が慎重にドライブで攻めてくると読むと、下回転のボールを打つ動作で全く回転のない、あるいはやや上回転のボールを打ち、相手のドライブミスを誘う。相手が別の戦法でくると読むと、今度は軽い動作で下回転が強くかかっているボールを打ち、相手にネットミスをさせる。相手が躊躇(ちゅうちょ)混乱すると、今度はフォアとバックから、斜めや直線的な攻撃をしかける。
彼はいろいろな計を身につけて自在に運用しているため、いつどのような計がどこから飛び出してくるかわからない。従って日本の名将・木村興治選手が前後左右で計にはまり、敗北したのは偶然の出来事ではない。
感想
1."連環計"を運用するときのポイントは、敵の弱点を握り、行動を牽制(けんせい)し、戦闘力を弱めることである。それにより自分の不利な体勢を有利に導き、勝ちを得る。
2."連環計"を運用する方法はたくさんある。"迂(う)をもって直とする(回り道をすると見せかけて、実は早く目的を達すること)"もその一つである。≪孫子の軍事篇≫には「最も難しい対戦相手は、迂をもって直とし、災いを利とする者である」「迂をもって直とする計を先に知った者が勝つ」と記されている。迂を持って直とし、災いをもって利とすることを知らない者は、敵と争っても勝てない。
3."連環計"の運用は有機的な相互作用を狙いとしている。連続性を持ち、先(ま)ず局部から手をつけ、徐々に内部へ浸透して連鎖的に敵に攻撃を与え、全局を混乱と失敗に導く。この計の運用には連続性と合理性を必要とする。
4.全局的な考え方で全体を統率し、計画を綿密に練り、目的を明確にし、理論性を持って、時には局部的な犠牲を払い、大きな勝ちを得る。
5.弱が強を制す時は英知が主体となる。英知により自分の計画を実現できる人は聡明な強者であり、人の力量は知恵から生まれてくる。
(翻訳=佐々木紘)
筆者紹介 荘則棟
<1940年8月25日生まれ。
1961-65年世界選手権男子シングルス、男子団体に3回連続優勝。65年は男子ダブルスも制し三冠王。1964-66年3年連続中国チャンピオン。
「右ペン表ソフトラバー攻撃型。前陣で機関銃のような両ハンドスマッシュを連発するプレーは、世界卓球史上これまで類をみない。
1961年の世界選手権北京大会で初めて荘則棟氏を見た。そのすさまじいまでの両ハンドの前陣速攻もさることながら、世界選手権初出場らしからぬ堂々とした王者の風格は立派であり、思わず敵ながら畏敬の念をおぼえたものだ。
1987年に日本人の敦子夫人と結婚。現在卓球を通じての日中友好と、『闖と創』などの著書を通じて、卓球理論の確立に力を注いでいる」(渋谷五郎)
<1940年8月25日生まれ。
1961-65年世界選手権男子シングルス、男子団体に3回連続優勝。65年は男子ダブルスも制し三冠王。1964-66年3年連続中国チャンピオン。
「右ペン表ソフトラバー攻撃型。前陣で機関銃のような両ハンドスマッシュを連発するプレーは、世界卓球史上これまで類をみない。
1961年の世界選手権北京大会で初めて荘則棟氏を見た。そのすさまじいまでの両ハンドの前陣速攻もさることながら、世界選手権初出場らしからぬ堂々とした王者の風格は立派であり、思わず敵ながら畏敬の念をおぼえたものだ。
1987年に日本人の敦子夫人と結婚。現在卓球を通じての日中友好と、『闖と創』などの著書を通じて、卓球理論の確立に力を注いでいる」(渋谷五郎)
本稿は卓球レポート1995年11月号に掲載されたものです。