短く止める練習が足りなかったためにヨーロッパのパワードライブに苦戦
わたしは「この練習をもっとたくさんやるべきだった」と悔いの残る練習が5つぐらいある。その中の1つに、短く止めるツッツキ、短く止めるレシーブがある。私はツッツキが下手だったために、大事なところで短く止めようとしたのがコートから1バウンドで出て負けたことが何度もある。'69年の世界選手権ではステパンチチ(ユーゴ)、'71年の名古屋大会ではベンクソン(スウェーデン)に敗れ、2度目の世界制覇の達成ができなかった1つの原因であった。
高校1年生のころは、ツッツキが下手なだけでなく、その他の技術も下手であったこともあるが、今でも印象に残っているのはツッツキをよくスマッシュで打ち込まれたことである。そのころの私のツッツキに対する戦法は、ドライブで返すかツッツキで返すかの2通りしかなかったことから、スマッシュで決められたときは「よく打ったなぁー、うまいなぁー」と感心していた。だが、今思うと打たれて当然で関心していた方がおかしかったのである。
それは、そのころの私のツッツキは、相手を少しでも大きく動かすように返したが、強打させないように深く入れるとか、2バウンドするようなツッツキを入れるとか、変化をつけるとか、ということはできずただ少しでも大きく動かせるところへ安全に返す、というだけで両サイドの真ん中へ落としていたからである。しかも、私のバック側に張りつけていたのは一枚ラバーで、打球点はバウンドの頂点より4~6センチ落ちたところでコートの真ん中への球威のないツッツキは、同じ1年生に打たれるのも当然だったし、1年に5回ほど行なわれる愛知県新人戦で常に3回戦か4回戦で負けるのも当然だった。
その後、両サイドに小さくくるサービス、レシーブはフォアハンドの回り込んで払うのと、ツッツキに変化をつけてカバーするようにしたが、サービスがうまい人には限界がありツッツキを必要とさせるサービスのうまい相手と対戦したときに大変苦戦した。
たとえば、高校3年のとき幸運にも中国遠征のジュニア代表で選ばれたときに、北京でサウスポーの中国式前陣攻守型の李景光(リケイコウ)選手と対戦したときだった。彼のサービスは、フォアハンドサービスも、バックハンドサービスも同じモーションから両サイドに小さくも大きくも出せ、サービスが非常にうまい。日本へ来たときは、その変化サービスに悩まされて、日本のジュニア代表は総ナメをされた。ツッツキ打ちもジュニアとは思えないほどうまかった。
私は、彼とは初対戦であった。試合前いつものように「絶対に勝つぞ。私のドライブが取れるものなら取ってみろ」と自信を持って立ち向かった。
しかし、試合が終わったときは、試合前とは反対にガックリと死んだような顔でコートをあとにした。威力のないツッツキを打たれて完敗したのである。彼のバックサイドに短く出してくる変化サービスが読めず、やむなく返した長いツッツキを強打で攻め込まれ、得意のドライブをまったく発揮できず、2ゲームとも10数本という大人と子供が試合をするような内容で完敗。このときは両面裏ソフトラバーで、切って返球したが、切っただけでは全然通用しなかった。
このときの私のように、打球点が遅い。変化がない。変化をつけてもコースが甘い。スピードがない。長く返すしかできない。などの威力のない一種類のツッツキ技術しか持っていないと、変化サービスから3球目攻撃がうまい選手と対戦した場合大変な苦戦をする。私は大学2年の全日本学生選手権の決勝で鍵本選手(早大―荻村商事)に負けたときのように、ストップレシーブから4球目攻撃のうまい選手と対戦したときに苦戦をすることが多く、ツッツキは大変に大事である。
しかし、日本の選手はまだツッツキを試合の中で使うことが多いと知っていても、ツッツキが試合で非常に大事な技術だと本当に知っている人は意外と少ないように思う。それに、試合の弱い人を見ると必ずといってよいぐらいツッツキの下手な人がほとんどである。ツッツキがうまい中国選手の話しをしよう。
何種類ものツッツキ技術を持つ中国選手
中国選手のツッツキ技術は多彩でうまい。私は、5回の中国遠征や日本での数多くの日中交歓大会や世界選手権などで、中国選手とかなり対戦してきたが、いつもツッツキのうまさには感心していた。最近の日本のトップクラスもうまくなってきたが、それでも2倍から3倍ぐらい中国選手の方がうまいような気がする。それほど中国の選手は、ツッツキに対しては真剣に考えている。
たとえば、私は'66年に3度目の中国遠征をしたときにびっくりしたことがある。北京国際招待大会であるが、福島・長谷川組対荘則棟・李光景組のダブルスの準決勝で、荘則棟選手が短い変化サービスを、ふつうはラケットを右から左方向に動かしてサイド回転を与えるが、その逆の左から右に回転を与える逆サイド回転。初めて受けた私は、なかなか回転の見分けがつかず、3球目攻撃のミスを繰り返した。また、両サイドに長短とも切れるものと切れないもの。ミドルに短いストップレシーブ。しかもバウンド直後で、完全に3球目攻撃を封じられ手も足もでずに敗れた。
また、バーミンガム世界大会と、その前のカルカッタ世界大会で中国の李振恃選手がヨーロッパの強豪・ステパンチチ、シュルベク、ヨハンソン、ヨニエル、ゲルゲリーを倒したのも、巧妙なツッツキがあったからである。シュルベクやステパンチチのショートサービスを、コートで3バウンドから4バウンドする短いレシーブから4球目攻撃。相手がツッツキレシーブしてきたときも同じような短いツッツキで前に寄せ、次を思い切り強打する作戦が成功して、中国が団体で連続優勝を飾った。中国女子も同じようにうまいツッツキで、李エリサ(韓国)のドライブ、鄭賢淑のカットを封じ、2連勝を飾った。
しかし、もし李振恃選手、許紹発選手に長いツッツキの1種類しかなかったとしたらどうなるか。いくらショートがうまくても、ステパンチチ選手、シュルベク選手にまともにドライブをかけられたときはミスが多かっただけに、ステパンチチ選手、シュルベク選手の方が有利であっただろう。とくにパワードライブを持つ選手に、長いツッツキしかできない選手は、よほど払うネットプレイか、ショートが抜群にうまいという選手でなければ勝つことはむずかしい。ツッツキ打ちがうまい選手と対戦したときも同じである。やはり、最低でも両サイドのコーナーぎりぎりに深いのと、コートで2バウンド、3バウンドする短く切れるのと切れないツッツキ。それに、右から左へ動かすサイド回転とナックルのツッツキを身につけたい。もちろんフォアのツッツキ、バックのツッツキともである。もし、1つずつ増やしていくことができれば、短いツッツキレシーブから回り込んでスマッシュとか、ドライブ攻撃。短いツッツキをやるぞと警戒させておいて長いツッツキを送り、態勢を崩して球威のない打球をスマッシュ。その反対で李振恃選手がよくやる短く返してノータッチをとる。日本の井上選手(井上スポーツ)がよくやる短いスイングでサイド回転を与えて回り込んでスマッシュ。などというように、戦術に幅が出て必ず試合に強くなれるものである。
ツッツキの反復練習
ツッツキをうまくするには、やはり強化したい技術の反復練習をするのが一番である。
切れないツッツキが大体できるようになったら、お互いに手首を鋭く使って切り合いをする。または、切ったり切らなかったり変化をつけて攻める。サイド回転を加えて攻める。ラリー中に、短いのも入れて長短で攻め合う。短いストップレシーブを身につけたい人は、同じところにサービスを出してもらい、小さく返す。そのときに練習の効果を高めるには、15センチの円を書いてその中に入れる。2、3センチの狂いもないところへ入れたい人は、割れたボールを置いてそれに集中して落とすようにする。コーナーぎりぎりをねらいたい人も同じように、チョークで円を書いた中に入れるとか、ボールをねらう練習をするとおもしろいので集中できて効果が高い。サイド回転の練習をするときも同じである。
ねらった方向へ足を正確に運ぶ
だがこのとき、絶対に忘れてはならない大事なことがある。それは、できるかぎりバウンド直後をとらえることもあるが、足の運びを正確にやるということである。次の攻撃をやりやすくするためでもある。
しかし、最近の中・高校生の試合を見ていると正確な足の運びをしていないように思う。たとえばミドルら辺に来るバックのツッツキのとき、またはからだから少し左側に来るサービスやツッツキをツッツキで返す場合、左足を前に踏み込んで返す人が多い。果たして、そのような取り方で威力のあるツッツキが返せるだろうか。私は疑問に思ったので、一流選手の試合の連続写真を調べてみた。そしたら、バーミンガム大会でシングルスに優勝した河野選手も、女子の朴英順選手(朝鮮)も、ベンクソン選手(スウェーデン)も、一流の選手はほとんど右足前でツッツいている。左足前で取っているのもあったがそれは、バックサイドに短く出されたサービスと、逆をつかれて間に合わないときであって、あとはほとんど右足前。ツッツキの名手大関選手もほとんど右足前に構えてツッツいている。私もそうであるが、その方が腰が入るので威力のあるボールが出るし、ねらったところへ返しやすいし、変化に強い。また、戻りやすく次の攻撃の構えが早く取れる。その上リズムが狂わない。しかし、左足前の場合はその反対である。とくに、変化に弱い、球威がないために打たれやすいしレシーブミスが多い。このようなことから原則としては右利きの場合は右足前が正しいように思う。
試合前になると必ずやったツッツキの練習
私がツッツキが大事だと知ったのは、李景光選手に負けてから。その後からは、大会の10日ぐらい前から必ず20分から30分ツッツキだけの練習を入れた。また、激しい練習をして疲れたあとによくやった。とくに相手のフォアコーナーぎりぎりをねらって低い切れたツッツキをやった。それには訳があった。それは私の強敵の中に河野選手と、もちろん李景光選手がいた。その2人は、甘いコースならば変化があっても打つが、コーナーぎりぎりに入る低い切れたツッツキは、両者ともあまり強打できなかったからである。練習の中だけでなく、ゲーム練習の中でも対李景光、対河野を想定してやった。
そして、2年後の大学2年の6月に日本で日中交歓大会が行なわれたときに、再び李景光選手と対戦した。このときは、バックサイドに短く出してくるサービスに対して変化をつけたツッツキで李のバックへ深く返して3球目攻撃を防ぎ、ドライブ攻撃に結びつけて雪辱を果たした。河野選手に対しても変化をつけてドライブで返させ、逆にドライブで攻める同じようなパターンで連勝できた。それも、ツッツキのコース、変化、高さには常に頭が痛くなるほど神経を使ってやったからだと私は思う。
一流といわれる人にツッツキの下手な人はいない
強い中学校チーム、高校チームはよくみると実にツッツキがうまい。たとえば、女子の真岡女子高校、柳川商業、男子の熊谷商業など実にうまい。一流といわれる人もうまい。ということは、一流になる条件かもしれない。もちろん、ツッツキがうまくなっても使い方が下手であっては何にもならない。相手の動きの逆、読みの逆をつくことは絶対に忘れてはならないことである。最近はネットプレイの下手な人が多いだけに、長短のツッツキが自由にできるようになれば試合で大きな効果を発揮するだろう。とくに短いツッツキは、ドライブやスマッシュを封じ、相手をコートに寄せることができ、次の攻撃にあまり球威がなくてもコースさえよければ得点しやすい効果がある。
短いツッツキをぜひ修得しよう。
わたしは「この練習をもっとたくさんやるべきだった」と悔いの残る練習が5つぐらいある。その中の1つに、短く止めるツッツキ、短く止めるレシーブがある。私はツッツキが下手だったために、大事なところで短く止めようとしたのがコートから1バウンドで出て負けたことが何度もある。'69年の世界選手権ではステパンチチ(ユーゴ)、'71年の名古屋大会ではベンクソン(スウェーデン)に敗れ、2度目の世界制覇の達成ができなかった1つの原因であった。
高校1年生のころは、ツッツキが下手なだけでなく、その他の技術も下手であったこともあるが、今でも印象に残っているのはツッツキをよくスマッシュで打ち込まれたことである。そのころの私のツッツキに対する戦法は、ドライブで返すかツッツキで返すかの2通りしかなかったことから、スマッシュで決められたときは「よく打ったなぁー、うまいなぁー」と感心していた。だが、今思うと打たれて当然で関心していた方がおかしかったのである。
それは、そのころの私のツッツキは、相手を少しでも大きく動かすように返したが、強打させないように深く入れるとか、2バウンドするようなツッツキを入れるとか、変化をつけるとか、ということはできずただ少しでも大きく動かせるところへ安全に返す、というだけで両サイドの真ん中へ落としていたからである。しかも、私のバック側に張りつけていたのは一枚ラバーで、打球点はバウンドの頂点より4~6センチ落ちたところでコートの真ん中への球威のないツッツキは、同じ1年生に打たれるのも当然だったし、1年に5回ほど行なわれる愛知県新人戦で常に3回戦か4回戦で負けるのも当然だった。
その後、両サイドに小さくくるサービス、レシーブはフォアハンドの回り込んで払うのと、ツッツキに変化をつけてカバーするようにしたが、サービスがうまい人には限界がありツッツキを必要とさせるサービスのうまい相手と対戦したときに大変苦戦した。
たとえば、高校3年のとき幸運にも中国遠征のジュニア代表で選ばれたときに、北京でサウスポーの中国式前陣攻守型の李景光(リケイコウ)選手と対戦したときだった。彼のサービスは、フォアハンドサービスも、バックハンドサービスも同じモーションから両サイドに小さくも大きくも出せ、サービスが非常にうまい。日本へ来たときは、その変化サービスに悩まされて、日本のジュニア代表は総ナメをされた。ツッツキ打ちもジュニアとは思えないほどうまかった。
私は、彼とは初対戦であった。試合前いつものように「絶対に勝つぞ。私のドライブが取れるものなら取ってみろ」と自信を持って立ち向かった。
しかし、試合が終わったときは、試合前とは反対にガックリと死んだような顔でコートをあとにした。威力のないツッツキを打たれて完敗したのである。彼のバックサイドに短く出してくる変化サービスが読めず、やむなく返した長いツッツキを強打で攻め込まれ、得意のドライブをまったく発揮できず、2ゲームとも10数本という大人と子供が試合をするような内容で完敗。このときは両面裏ソフトラバーで、切って返球したが、切っただけでは全然通用しなかった。
このときの私のように、打球点が遅い。変化がない。変化をつけてもコースが甘い。スピードがない。長く返すしかできない。などの威力のない一種類のツッツキ技術しか持っていないと、変化サービスから3球目攻撃がうまい選手と対戦した場合大変な苦戦をする。私は大学2年の全日本学生選手権の決勝で鍵本選手(早大―荻村商事)に負けたときのように、ストップレシーブから4球目攻撃のうまい選手と対戦したときに苦戦をすることが多く、ツッツキは大変に大事である。
しかし、日本の選手はまだツッツキを試合の中で使うことが多いと知っていても、ツッツキが試合で非常に大事な技術だと本当に知っている人は意外と少ないように思う。それに、試合の弱い人を見ると必ずといってよいぐらいツッツキの下手な人がほとんどである。ツッツキがうまい中国選手の話しをしよう。
何種類ものツッツキ技術を持つ中国選手
中国選手のツッツキ技術は多彩でうまい。私は、5回の中国遠征や日本での数多くの日中交歓大会や世界選手権などで、中国選手とかなり対戦してきたが、いつもツッツキのうまさには感心していた。最近の日本のトップクラスもうまくなってきたが、それでも2倍から3倍ぐらい中国選手の方がうまいような気がする。それほど中国の選手は、ツッツキに対しては真剣に考えている。
たとえば、私は'66年に3度目の中国遠征をしたときにびっくりしたことがある。北京国際招待大会であるが、福島・長谷川組対荘則棟・李光景組のダブルスの準決勝で、荘則棟選手が短い変化サービスを、ふつうはラケットを右から左方向に動かしてサイド回転を与えるが、その逆の左から右に回転を与える逆サイド回転。初めて受けた私は、なかなか回転の見分けがつかず、3球目攻撃のミスを繰り返した。また、両サイドに長短とも切れるものと切れないもの。ミドルに短いストップレシーブ。しかもバウンド直後で、完全に3球目攻撃を封じられ手も足もでずに敗れた。
また、バーミンガム世界大会と、その前のカルカッタ世界大会で中国の李振恃選手がヨーロッパの強豪・ステパンチチ、シュルベク、ヨハンソン、ヨニエル、ゲルゲリーを倒したのも、巧妙なツッツキがあったからである。シュルベクやステパンチチのショートサービスを、コートで3バウンドから4バウンドする短いレシーブから4球目攻撃。相手がツッツキレシーブしてきたときも同じような短いツッツキで前に寄せ、次を思い切り強打する作戦が成功して、中国が団体で連続優勝を飾った。中国女子も同じようにうまいツッツキで、李エリサ(韓国)のドライブ、鄭賢淑のカットを封じ、2連勝を飾った。
しかし、もし李振恃選手、許紹発選手に長いツッツキの1種類しかなかったとしたらどうなるか。いくらショートがうまくても、ステパンチチ選手、シュルベク選手にまともにドライブをかけられたときはミスが多かっただけに、ステパンチチ選手、シュルベク選手の方が有利であっただろう。とくにパワードライブを持つ選手に、長いツッツキしかできない選手は、よほど払うネットプレイか、ショートが抜群にうまいという選手でなければ勝つことはむずかしい。ツッツキ打ちがうまい選手と対戦したときも同じである。やはり、最低でも両サイドのコーナーぎりぎりに深いのと、コートで2バウンド、3バウンドする短く切れるのと切れないツッツキ。それに、右から左へ動かすサイド回転とナックルのツッツキを身につけたい。もちろんフォアのツッツキ、バックのツッツキともである。もし、1つずつ増やしていくことができれば、短いツッツキレシーブから回り込んでスマッシュとか、ドライブ攻撃。短いツッツキをやるぞと警戒させておいて長いツッツキを送り、態勢を崩して球威のない打球をスマッシュ。その反対で李振恃選手がよくやる短く返してノータッチをとる。日本の井上選手(井上スポーツ)がよくやる短いスイングでサイド回転を与えて回り込んでスマッシュ。などというように、戦術に幅が出て必ず試合に強くなれるものである。
ツッツキの反復練習
ツッツキをうまくするには、やはり強化したい技術の反復練習をするのが一番である。
切れないツッツキが大体できるようになったら、お互いに手首を鋭く使って切り合いをする。または、切ったり切らなかったり変化をつけて攻める。サイド回転を加えて攻める。ラリー中に、短いのも入れて長短で攻め合う。短いストップレシーブを身につけたい人は、同じところにサービスを出してもらい、小さく返す。そのときに練習の効果を高めるには、15センチの円を書いてその中に入れる。2、3センチの狂いもないところへ入れたい人は、割れたボールを置いてそれに集中して落とすようにする。コーナーぎりぎりをねらいたい人も同じように、チョークで円を書いた中に入れるとか、ボールをねらう練習をするとおもしろいので集中できて効果が高い。サイド回転の練習をするときも同じである。
ねらった方向へ足を正確に運ぶ
だがこのとき、絶対に忘れてはならない大事なことがある。それは、できるかぎりバウンド直後をとらえることもあるが、足の運びを正確にやるということである。次の攻撃をやりやすくするためでもある。
しかし、最近の中・高校生の試合を見ていると正確な足の運びをしていないように思う。たとえばミドルら辺に来るバックのツッツキのとき、またはからだから少し左側に来るサービスやツッツキをツッツキで返す場合、左足を前に踏み込んで返す人が多い。果たして、そのような取り方で威力のあるツッツキが返せるだろうか。私は疑問に思ったので、一流選手の試合の連続写真を調べてみた。そしたら、バーミンガム大会でシングルスに優勝した河野選手も、女子の朴英順選手(朝鮮)も、ベンクソン選手(スウェーデン)も、一流の選手はほとんど右足前でツッツいている。左足前で取っているのもあったがそれは、バックサイドに短く出されたサービスと、逆をつかれて間に合わないときであって、あとはほとんど右足前。ツッツキの名手大関選手もほとんど右足前に構えてツッツいている。私もそうであるが、その方が腰が入るので威力のあるボールが出るし、ねらったところへ返しやすいし、変化に強い。また、戻りやすく次の攻撃の構えが早く取れる。その上リズムが狂わない。しかし、左足前の場合はその反対である。とくに、変化に弱い、球威がないために打たれやすいしレシーブミスが多い。このようなことから原則としては右利きの場合は右足前が正しいように思う。
試合前になると必ずやったツッツキの練習
私がツッツキが大事だと知ったのは、李景光選手に負けてから。その後からは、大会の10日ぐらい前から必ず20分から30分ツッツキだけの練習を入れた。また、激しい練習をして疲れたあとによくやった。とくに相手のフォアコーナーぎりぎりをねらって低い切れたツッツキをやった。それには訳があった。それは私の強敵の中に河野選手と、もちろん李景光選手がいた。その2人は、甘いコースならば変化があっても打つが、コーナーぎりぎりに入る低い切れたツッツキは、両者ともあまり強打できなかったからである。練習の中だけでなく、ゲーム練習の中でも対李景光、対河野を想定してやった。
そして、2年後の大学2年の6月に日本で日中交歓大会が行なわれたときに、再び李景光選手と対戦した。このときは、バックサイドに短く出してくるサービスに対して変化をつけたツッツキで李のバックへ深く返して3球目攻撃を防ぎ、ドライブ攻撃に結びつけて雪辱を果たした。河野選手に対しても変化をつけてドライブで返させ、逆にドライブで攻める同じようなパターンで連勝できた。それも、ツッツキのコース、変化、高さには常に頭が痛くなるほど神経を使ってやったからだと私は思う。
一流といわれる人にツッツキの下手な人はいない
強い中学校チーム、高校チームはよくみると実にツッツキがうまい。たとえば、女子の真岡女子高校、柳川商業、男子の熊谷商業など実にうまい。一流といわれる人もうまい。ということは、一流になる条件かもしれない。もちろん、ツッツキがうまくなっても使い方が下手であっては何にもならない。相手の動きの逆、読みの逆をつくことは絶対に忘れてはならないことである。最近はネットプレイの下手な人が多いだけに、長短のツッツキが自由にできるようになれば試合で大きな効果を発揮するだろう。とくに短いツッツキは、ドライブやスマッシュを封じ、相手をコートに寄せることができ、次の攻撃にあまり球威がなくてもコースさえよければ得点しやすい効果がある。
短いツッツキをぜひ修得しよう。
筆者紹介 長谷川信彦
1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960~70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960~70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1977年9月号に掲載されたものです。