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「作戦あれこれ」第45回 バックに寄せてからフォアを抜いた阿部戦

 特に精神面に注意して臨む

 5回戦で2年後輩の杉本敬太郎選手(東京・サンフレンド、現在―三重県庁)に勝って、1つの目標であった9年連続ベスト8入りを決めた私は、山下浩史選手(中大・東京)を3対1で破って出てきた左腕ドライブ主戦型のダブルスのうまい阿部勝幸選手(東京・協和発酵・翌'74年全日本No.1)とベスト4入りをかけて対戦することになった。当初から予想していたとおりだった。
 私と阿部選手との対戦は多く、'70年に名古屋で行なわれたアジア選手権の準決勝で初対戦して以来'71年の伊勢の全日本、'72年の東京の全日本の準々決勝でも対戦している。それらの対戦は全勝で私にとっては大変相性のよい選手であった。
 だが、私の調子は藤原選手(日本楽器)、杉本選手をストレートで破ったものの、全日本直前までの1年4ヵ月もの長い間スランプに悩まされ続けただけに「ヨシ、いけるぞ」という本当の自信がなかなかわいてこず、逆にバックハンドがスムーズに振れるだろうか?とか、切り替えがスムーズにいくだろうか?とか、ドライブはどうだろうか?という不安ばかりで「絶対に勝てる」と思い込めなかった。しかし、集中できて凡ミスさえ出さなければ勝つ自信もあった。それは、私と阿部選手が相性の良いせいで、すなわち同じようなロング戦でのラリーにすぐなりやすく、そうなったときドライブの威力とロビング打ちの安定性で基本的に私がややまさっていると思えたからだ。
 つまりこれまでの2人の試合内容を振り返ってみると、初めての対戦のときの阿部選手は、ドライブからのスマッシュやショートからのスマッシュなどで先手を取っても、私の中後陣からの両ハンドドライブとロビングによる守りに対し攻撃ミスが出て敗れた。そこで次の2度目の対戦では、無理をせずロング戦での凡ミスが出ないように、むしろ守りにポイントをおいた戦法に切りかえてきた。そこで私が前、中陣で攻め、阿部選手は中後陣で打ち返すラリー展開が多くなった。しかし、この阿部選手にしてみれば第1戦を参考にした上で考えて中陣から両ハンドドライブでつなぐ作戦もロング戦が得意中の得意であった私にとっては、実は大変にやりやすい戦法だった。今大会もこの戦法できてくれれば勝てると私は考えていた。とはいえ、甘いドライブや甘いロビングに対しての彼のスマッシュは1発で打ち抜く威力があったので油断は絶対に禁物であった。それだけに試合前は、作戦よりもまず次の心構えに十分注意した。
 ・油断は絶対にしない
 ・常に気を引き締めてやる
 ・集中してやる
 ・勝つときは1本でも少なく、負けるときは1本でも多くとる
 ・1本1本気合いを入れてやる
...このことを何度も自分に言い聞かせた。
 とはいえ作戦ももちろんたてた。それはここ1年間の阿部選手の試合ぶりが、前年度とあまり変わっていないので、1年前の全日本のときにとった作戦を参考にして考えたのだ。

 逆モーションサービスを使い積極的な3球目攻撃をする作戦

 <サービスを持ったとき>
 左利きとやるときは、特に逆モーションサービスがきく。そこで逆モーションのバックハンド・ドライブ性ロングサービスで相手のフォア側をつくのと、同じく逆モーションバックハンドサービスでバック前へ落とす変化サービスを使い、レシーブ攻撃を封じる。これが成功すると阿部選手のレシーブのコースがほとんどバック側に集まる。そして、フォア側に出したドライブ性ロングサービスをドライブや強打でレシーブされても、これをまって前陣でバウンド直後をとらえるプッシュ性ショートやフォアハンドで逆にバック側へ3球目攻撃する。阿部選手がショートやバックハンドでつないでくるのをフォアハンドドライブでさらにバック攻めをする。
 ショートサービスをツッツいてきたときは、素早く回り込んで高い打球点をとらえる得意のドライブで両サイド、ミドルに打ち分ける。そしてショートでの返球を再びドライブでバック攻めする。このバック攻めに対し相手がバック側を警戒したときは、思い切り阿部選手のフォアサイドのエンドラインを狙ってドライブ攻撃もまぜる。
 それともう1つ考えていたのは、両サイドへ出す逆モーションサービスがうまく成功して阿部選手がバック側に回り込めなくなったら、早いモーションでバック側へナックル性ロングサービスを出すことだ。そしてショートでレシーブしてきたのをねらいドライブで攻める3球目攻撃も頭に入れておいた。

 積極的なフォアハンドレシーブ攻撃をする作戦

 <レシーブに回ったとき>
 阿部選手のサービスは、今までと同じようにバック前のサービスが中心になるはずだ。というのは、私に対してロングサービスを出した場合、ドライブレシーブで1発で打ち抜かれる恐れもあるし、うまくブロックしたとしても連続攻撃される可能性が高いからだ。特に私のフォア側へきた場合、私は阿部選手のフォア側へ1発で打ち抜くレシーブをねらう。
 このことから、バック前への変化サービスが約8割ぐらいはくるだろう。そしてバック側への深いロングサービスが1割、残りの1割をフォア側へ出してくるに違いない。そこで私は、大学1年のときの全日本の決勝戦で左腕ドライブ型の木村選手と対戦したときに成功して以来ずっと続けて好結果を生んでいる「確率でヤマをはるレシーブ」を今回も取ることにした。つまり、全体のサービスの約8割が集まるバック側のショートサービスにやまをかけ、回り込んでフォアハンドで払うレシーブ攻撃をして先手を取ることを狙った。この大胆に回り込むレシーブに対して、阿部選手はバック側に返されたときはショート、フォア側に返されたときはドライブや強打で3球目攻撃をすることが多い。そこで、攻めやすいショートのくるバック側へ払ってレシーブをし、バック攻めをする作戦を立てた。
 深いロングサービスを出してきたときは強い回転をかけた。しかも速いドライブレシーブで勝負することにした。なぜならば、阿部選手は私にショートや威力のないドライブをさせ、それを狙っているのでその狙いの逆をつくためだ。それとロングサービスを出す場合、からだを大きく使って出すので次の戻りが遅くなりやすく守りにスキができるからであった。つまり成功したときのレシーブ得点率が高い。
 <ロング戦になった場合の心構えと作戦>
 ・チャンスだと思い自信をもって打ち合う
 ・しっかりとボールをからだに引きつけて打つ
 ・フォアハンドもバックハンドも振り切る
 ・一球一球コースを考えて攻める
 ・できるだけ中陣から前でプレイする
 ・後陣に追い込まれたときは、スナップを使った曲がって伸びるドライブを深いコースへ何本も打ち返し反撃のチャンスを待つ
 ・相手をロビングに追い込んだときは、バック側を攻めてバックサイドに寄せたのち、フォアサイドを抜く
 ・スタンドプレイは絶対にしない
 ・チャンスボールは思い切って攻め、無理なボールはしっかりつなぐ。絶対に無理な攻撃をしない
 ・フォアを攻められた場合、左利きによく効くフォアストレートの攻撃を忘れない
...これらの作戦を考えて試合に臨んだ。
 大会は、大会ハイライトの決勝戦まであと残すところ3試合となり、会場は一段と熱気が増してきた。コートも16コートから8コートにへり、広々とした感じになった。私はウォーミングアップをする前に会場の雰囲気に慣れコートを下見したあと、体育館の横で試合の習慣としている額から汗が流れ落ちるまでのダッシュとシャドープレイを繰り返してからコートに入った。阿部選手は、私がコートに入ってからすこしして入ってきた。
 私は、阿部選手がベンチコーチのイスに座るまで彼を見ていたが、その時の淡々とした表情から「阿部選手は積極的に攻める作戦ではなく、ラリーに持ち込み私に打たせてから反撃に出る戦法でくる」と思った。

 集中力を欠き前半苦戦

 試合が開始された。
 阿部選手の戦法は、やはりラリーに持ち込み私に打たせてから反撃に出る戦法だった。これは私にとってやりやすかったがそのために私の心構えが狂い戦法が狂った。試合の直前まで油断を絶対にしない、気を引き締めてやる、集中してやる、とあれほど思っていたのに、いざゲームが始まるとあまりにも相手の戦法が自分の思ったとおりの攻め崩しやすい戦法なので拍子抜けしてしまい、今まで3連勝していると思う心のスキもでき気がゆるみ、集中力を欠いてしまった。そのために、先手をとってバック攻めしスキを見てフォア側を抜くつもりの作戦が、フォア側を攻めたりバック側に攻めたりのまったく一貫性のない戦いぶりになってしまい、したがって凡ミスが出た。また、集中力が低下してミートが弱くなり、足の踏み込みも悪くなり、阿部選手が中陣からエンドラインいっぱいに軽く返してくるドライブに、スマッシュミスや何でもないドライブミスが出た。守っても凡ミスが出はじめ、2対3、4対6とリードされた。このとき中途半端な気持ちになっていると気がつき「集中、集中」と言い聞かせたり「踏み込んで打つんだ」とつぶやいたりして自分を励まして臨んだ。だが、いったん緩んでしまった気は引き締めようと必死になってもそれは逆にボールと相手に集中しない結果となった。どうしても、心・技・体が一体とならず力んで威力のないドライブやスマッシュをくり返し、後陣から逆にゆさぶられて攻撃ミスが出はじめ5対10と5本のリードを奪われた。この大会はじめての、もっとも悪い状態であった。私は「この状態が続けば負けるかもしれない。何とかしなければ!」と焦った。
 そうして悩んでいるときにハプニングが起きた。観覧席の2階席から突然「阿部選手、ゼッケンをつけなさい」と大きな声がかかったのだ。協会の役員の方の声であった。私も初めて阿部選手のゼッケンがないことを知った。阿部選手は主審にタイムをかけてベンチに戻った。
 私はこの間、出直す最大のチャンスを与えられたと思い、必死に反省した。それは...
 ・いろいろな雑念が入り集中できなかった。自分の試合だけを考えて集中してやる
 ・相手は打たせる戦法をとってさそいの軽いドライブで攻めてきている。それに対してコートから離れた位置からドライブやスマッシュをしていたので打球点が遅くなりミスが出た。できるだけ前について、高い打球点をとらえ積極的に足を使って動いて攻める
 ・このとき、ボールをからだにしっかりひきつけて腰を入れて打つ。ドライブをかけるときもスマッシュを打つときもしっかり踏み込んで打つ。また、スマッシュを打つときラケットをしっかりかぶせて打つ
 ・作戦に一貫性がないのもミスの原因となった。試合前の作戦どおり、バック側を集中して攻めてからフォア側を抜く
 ・自信を持ってプレイする
 ・昨年までの試合は一切忘れて白紙の状態で臨む
 この間2分間ぐらいだったが、特に「自分の試合だけを考えて集中してやる。昨年までの試合は一切忘れて白紙の状態で臨む」と考えたことで、ピリッと気も体も引き締まり、いつもの気力、集中力がよみがえった。
 ここから私の快進撃が始まった。
 ゲームが再開したときはレシーブであったが、試合前に立てた作戦どおりフォアで回り込んで積極的に払って攻め、4球目をバック攻めして先手を取った。そのあとは徹底したバック攻めから機をみてフォア側を打ち抜き「この調子だ」と思った。
 この後は勢いにのり積極的な3球目攻撃、5球目攻撃、と攻撃の手をゆるめず先にドライブで攻められたときでもショートでしのいでからの回り込みドライブやスマッシュで負けずに押し返し、持久戦に持ち込もうとする阿部選手に対して台について叩いて一気に14対11と逆転した。この5本の連取で試合の流れが変わり、1ゲーム目は14本と逆転勝ちした。
 1ゲーム目の逆転勝ちで試合はほとんど私のペースとなり、得意のバックハンドスマッシュも決まりはじめて、結局試合前の読みが的中し2、3ゲームも18本、11本とストレート勝ち。準決勝へと進んだ。
 私にとっては、阿部選手がゼッケンをつけ忘れ私に立ち直りのキッカケを与えてくれたのは大変幸運だった。もし、1ゲーム目を先行されていたとしたら阿部選手に逆に波に乗られて、もし勝ったとしてもかなりの体力を消耗させられて優勝できなかったかもしれない。阿部選手は惜しいチャンスを逸した。プレイヤーは試合に臨むときは細心の注意をしなければならない、とこの時私は学んだ。



筆者紹介 長谷川信彦
hase.jpg1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960~70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1979年4月号に掲載されたものです。
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