"試合の反省"は勝った時にすると効率がいい。「ああすればさらによかった。こうすればさらによくなる」とよい気持ちで次々と意欲がわき、今後の課題、練習を考えることができるからである。しかし、負けた時の反省もまた大切。くやしさは明日への原動力となる。
私は、毎年2月に山口県柳井市で行なわれている西日本選手権大会に今年も出場した。年に一度だけの大会出場である。
今年は、西日本選手権の"顔"ともいえるダニー・シ―ミラー(アメリカ3冠王に返り咲いた)はじめ、韓国卓球界がもっとも期待している男子若手No.1の高校2年生安(東京世界大会代表)、女子も今回優勝した東京世界代表の申、ほぼ同じ力をもつ白、李の強豪が出場。日本からも世界代表は合宿のため参加できなかったものの、協和発酵、日産自動車、和歌山相銀、第一勧銀、三井銀行の実業団一部リーグの若手や近畿大、中京大等が出場し、ジャパン・オープン(東京選手権)に次ぐ国際交流ビックトーナメントに成長した。
私は、6度目の優勝を目指したが、西日本大会出場以来はじめて決勝進出ならず、準々決勝で強ドライブの持ち主・宮崎選手(和歌山相銀、東京選手権ベスト16)に敗れた。予想外の敗戦であった。国内の大会でベスト4以下に落ちたことはあまり記憶にない。ショックだった。しかし、この敗戦から今回もいろいろなことを学ぶことができた。敗戦を顧(かえり)み、シーズンを迎える読者みなさんの参考になれば、と思う。
気のゆるみから調子を狂わす
私が現役時代、全日本選手権に出場するときの準備や心構えは、今まで何回か書いた。対戦を予想される選手の研究からはじまり、トレーニング、ウォーミングアップ、食事等、かなり細かく気をつかっていた。
私は今大会も勝つつもりであった。そして食事、基本練習等、昨年の失敗を反省して臨んだが、まだいくつか欠けている点があった。それははずかしい話だが、まず気持ちにゆるみがあった点だ。
大会前、今回出場する選手の中で特にマークしなければならないのは、昨年優勝のシ―ミラー、ソウル・オープンで前原選手を破っている安、それに私が現役のころあまりいなかったアンチカットマンの強豪浜中選手(和歌山相銀)の3人と思っていた。敗れた宮崎選手については、日本リーグで阿部選手(協和発酵)を打ち破るほど日本で有数のパワードライブを持っているが、サービス、レシーブ、攻撃に荒さがあると感じていた。私の好きなタイプであり、普通の展開にもっていければ、と考えていた。
シ―ミラー、安、浜中選手には危機感があったため、彼らの試合はよく見、展開を考えた。しかし、優勝を狙う人間としてははずかしいことに―現役時代はまずこういうことは少なかったと記憶しているが―エアポケットともいえるすきができた。
決して宮崎選手の実力をあなどったわけではない。が、他の選手のことに集中し、フッと...やはり気のゆるみ、集中力のおとろえがあったのだろう。
浜中戦は彼の一発の強打と異質変化サービス、変化カットに苦しみ予想どおり全く危い試合だった。1ゲーム目6-14からかろうじで浜中選手の打ちミスに救われて勝ち、2ゲーム目を落とした。しかし、ようやく3ゲーム目に彼のプレーになれ、5本で快勝。「よしっ」とフッと気の抜けるような勝ち方であった。
その「救われた。やれやれ」といった気持ちが、私を大きくつつみ、決勝のことには頭がいったが肝心の次の試合の準備―勝つための対策が頭からポッカリ抜けていた。
現役当時、私はいくら試合が連続してあっても、またいくら次に対戦する選手の予想がつかなくても、試合が終わったら汗をかいたユニフォームをすぐ着替え、次の対戦相手に対する作戦を確認(可能なら試合を観戦しながら)して、その作戦どおりのシャドープレーをし汗をかいた状態で次の試合に臨めるように備えた。
通常の場合は気合いが入るように声を出して素振りをしたり、場合によっては短いサーキット・トレーニングをしてからコートに入った。
ところが、体力不足による前年の失敗もあり、若い選手と対戦する多少のテレもあったのか、声を出しても、何がなんでも、の気持ちで準備できなかった。これも、体力のなさからくるおとろえ、といったものなのだろうか。しかも、準備する時間もない。私はホッとした気分が抜けぬまま、何回かの素振りをしただけで、宮崎選手と対戦するコートに向かった。
一戦一戦全力を尽くすことが優勝への道
私の大会全体を乗り切る作戦はまちがっていた。どんな大会でも優勝するためには一つ一つの試合を全力で備え、勝ち抜くことで勢いがつく。一回戦から一本でも少なく勝ち、調子を上げることでバカ当りも可能になる。そして1ゲームもムダなゲームをおとさないことで体力を温存するのが正道だ。私のやったのはベテランの試合配分ではあったが、ビックトーナメントで優勝するためのペース配分ではなかった。体力、気力のおとろえからこういうペースで戦えなくなる(途中でバテルことを恐れて)、勝ち抜けなくなる時がいつかはくるが、若い選手は特に「一戦一戦にすべてをかける」ことを忘れてはならない。
試合前、相手の研究をしっかりやろう
宮崎選手は強かった。もちろん私の方の失敗も大きかったのだが、彼のサービスとドライブは威力があった。
サービス、と言えば―信じられない話だが―私は対戦するまで、宮崎選手が裏面にアンチを貼った異質反転プレーをするとは知らなかった。そのために試合前にラケットを見せてもらわず、サービスを受けて初めて気がついた。以前の彼しか頭になかったのだ。
対戦相手を必要以上に恐れることはない。が、対戦相手を十二分に研究することは必要だ。対戦してみて、私の頭にあった以前の彼とは、ラバー、サービスからして違い、私は面くらった。そして不安になった。また遠くで観戦するのと実際に対戦するのとは違う。それも頭に入れておくことだ。宮崎選手のサービスは思ったより―遠くからは何となく出しているように見えても―切れていて、斜め上、下に鋭く変化した。しかも私があまりレシーブしたことのない、アンチ面でも出していたのかも知れない(私にはすべて裏ソフト面で出しているように見えてしまったが)。そしてドライブも―レシーブが悪かったせいもあり―非常に威力があった。
試合に勝とうと思ったら次に対戦する選手の技術はもちろん、一挙手一投足も見のがさず、クセまで読みとるぐらいの構えが必要なのだ。
試合前はレシーブ練習が必要
今大会の前、私は昨年に比べ好調であった。現役時代にはおよぶべくもないが、年末年始は毎日3時間の練習をこなし、世界代表合宿に参加した時も代表選手たちとほぼ互角の対戦成績であった。
宮崎戦では、もちろんアンチにひっかかったこともあるが、レシーブが非常に悪かった。対浜中戦でも以前からすると考えられないくらい凡ミスが出た。この傾向は代表選手たちと対戦した時からあった。が、フットワーク練習をたくさんやれば自然にもどるだろう、と甘く考えてしまった点がある。
やはりドライブ選手に勝つには"フォアへパッと強く払えるレシーブ"がどうしても必要。そしてこれは無意識にでるくらいやり込まなければできない技術なのだ。逆に、払おうと思っても、恐くて軽く入れるようなレシーブになるようでは、試合に勝てないものだ。そして、そのためにはフォア前、ミドル前のレシーブを自信をもって払える練習が必要になる。今回、宮崎選手のサービスを払えなかったのは―アンチに自分が思った以上にひっかかっていたのではないとすると―台上のレシーブ練習不足につきる。ドライブマンに勝つために、試合前にレシーブ練習を必ずやろう。
私は、毎年2月に山口県柳井市で行なわれている西日本選手権大会に今年も出場した。年に一度だけの大会出場である。
今年は、西日本選手権の"顔"ともいえるダニー・シ―ミラー(アメリカ3冠王に返り咲いた)はじめ、韓国卓球界がもっとも期待している男子若手No.1の高校2年生安(東京世界大会代表)、女子も今回優勝した東京世界代表の申、ほぼ同じ力をもつ白、李の強豪が出場。日本からも世界代表は合宿のため参加できなかったものの、協和発酵、日産自動車、和歌山相銀、第一勧銀、三井銀行の実業団一部リーグの若手や近畿大、中京大等が出場し、ジャパン・オープン(東京選手権)に次ぐ国際交流ビックトーナメントに成長した。
私は、6度目の優勝を目指したが、西日本大会出場以来はじめて決勝進出ならず、準々決勝で強ドライブの持ち主・宮崎選手(和歌山相銀、東京選手権ベスト16)に敗れた。予想外の敗戦であった。国内の大会でベスト4以下に落ちたことはあまり記憶にない。ショックだった。しかし、この敗戦から今回もいろいろなことを学ぶことができた。敗戦を顧(かえり)み、シーズンを迎える読者みなさんの参考になれば、と思う。
気のゆるみから調子を狂わす
私が現役時代、全日本選手権に出場するときの準備や心構えは、今まで何回か書いた。対戦を予想される選手の研究からはじまり、トレーニング、ウォーミングアップ、食事等、かなり細かく気をつかっていた。
私は今大会も勝つつもりであった。そして食事、基本練習等、昨年の失敗を反省して臨んだが、まだいくつか欠けている点があった。それははずかしい話だが、まず気持ちにゆるみがあった点だ。
大会前、今回出場する選手の中で特にマークしなければならないのは、昨年優勝のシ―ミラー、ソウル・オープンで前原選手を破っている安、それに私が現役のころあまりいなかったアンチカットマンの強豪浜中選手(和歌山相銀)の3人と思っていた。敗れた宮崎選手については、日本リーグで阿部選手(協和発酵)を打ち破るほど日本で有数のパワードライブを持っているが、サービス、レシーブ、攻撃に荒さがあると感じていた。私の好きなタイプであり、普通の展開にもっていければ、と考えていた。
シ―ミラー、安、浜中選手には危機感があったため、彼らの試合はよく見、展開を考えた。しかし、優勝を狙う人間としてははずかしいことに―現役時代はまずこういうことは少なかったと記憶しているが―エアポケットともいえるすきができた。
決して宮崎選手の実力をあなどったわけではない。が、他の選手のことに集中し、フッと...やはり気のゆるみ、集中力のおとろえがあったのだろう。
浜中戦は彼の一発の強打と異質変化サービス、変化カットに苦しみ予想どおり全く危い試合だった。1ゲーム目6-14からかろうじで浜中選手の打ちミスに救われて勝ち、2ゲーム目を落とした。しかし、ようやく3ゲーム目に彼のプレーになれ、5本で快勝。「よしっ」とフッと気の抜けるような勝ち方であった。
その「救われた。やれやれ」といった気持ちが、私を大きくつつみ、決勝のことには頭がいったが肝心の次の試合の準備―勝つための対策が頭からポッカリ抜けていた。
現役当時、私はいくら試合が連続してあっても、またいくら次に対戦する選手の予想がつかなくても、試合が終わったら汗をかいたユニフォームをすぐ着替え、次の対戦相手に対する作戦を確認(可能なら試合を観戦しながら)して、その作戦どおりのシャドープレーをし汗をかいた状態で次の試合に臨めるように備えた。
通常の場合は気合いが入るように声を出して素振りをしたり、場合によっては短いサーキット・トレーニングをしてからコートに入った。
ところが、体力不足による前年の失敗もあり、若い選手と対戦する多少のテレもあったのか、声を出しても、何がなんでも、の気持ちで準備できなかった。これも、体力のなさからくるおとろえ、といったものなのだろうか。しかも、準備する時間もない。私はホッとした気分が抜けぬまま、何回かの素振りをしただけで、宮崎選手と対戦するコートに向かった。
一戦一戦全力を尽くすことが優勝への道
私の大会全体を乗り切る作戦はまちがっていた。どんな大会でも優勝するためには一つ一つの試合を全力で備え、勝ち抜くことで勢いがつく。一回戦から一本でも少なく勝ち、調子を上げることでバカ当りも可能になる。そして1ゲームもムダなゲームをおとさないことで体力を温存するのが正道だ。私のやったのはベテランの試合配分ではあったが、ビックトーナメントで優勝するためのペース配分ではなかった。体力、気力のおとろえからこういうペースで戦えなくなる(途中でバテルことを恐れて)、勝ち抜けなくなる時がいつかはくるが、若い選手は特に「一戦一戦にすべてをかける」ことを忘れてはならない。
試合前、相手の研究をしっかりやろう
宮崎選手は強かった。もちろん私の方の失敗も大きかったのだが、彼のサービスとドライブは威力があった。
サービス、と言えば―信じられない話だが―私は対戦するまで、宮崎選手が裏面にアンチを貼った異質反転プレーをするとは知らなかった。そのために試合前にラケットを見せてもらわず、サービスを受けて初めて気がついた。以前の彼しか頭になかったのだ。
対戦相手を必要以上に恐れることはない。が、対戦相手を十二分に研究することは必要だ。対戦してみて、私の頭にあった以前の彼とは、ラバー、サービスからして違い、私は面くらった。そして不安になった。また遠くで観戦するのと実際に対戦するのとは違う。それも頭に入れておくことだ。宮崎選手のサービスは思ったより―遠くからは何となく出しているように見えても―切れていて、斜め上、下に鋭く変化した。しかも私があまりレシーブしたことのない、アンチ面でも出していたのかも知れない(私にはすべて裏ソフト面で出しているように見えてしまったが)。そしてドライブも―レシーブが悪かったせいもあり―非常に威力があった。
試合に勝とうと思ったら次に対戦する選手の技術はもちろん、一挙手一投足も見のがさず、クセまで読みとるぐらいの構えが必要なのだ。
試合前はレシーブ練習が必要
今大会の前、私は昨年に比べ好調であった。現役時代にはおよぶべくもないが、年末年始は毎日3時間の練習をこなし、世界代表合宿に参加した時も代表選手たちとほぼ互角の対戦成績であった。
宮崎戦では、もちろんアンチにひっかかったこともあるが、レシーブが非常に悪かった。対浜中戦でも以前からすると考えられないくらい凡ミスが出た。この傾向は代表選手たちと対戦した時からあった。が、フットワーク練習をたくさんやれば自然にもどるだろう、と甘く考えてしまった点がある。
やはりドライブ選手に勝つには"フォアへパッと強く払えるレシーブ"がどうしても必要。そしてこれは無意識にでるくらいやり込まなければできない技術なのだ。逆に、払おうと思っても、恐くて軽く入れるようなレシーブになるようでは、試合に勝てないものだ。そして、そのためにはフォア前、ミドル前のレシーブを自信をもって払える練習が必要になる。今回、宮崎選手のサービスを払えなかったのは―アンチに自分が思った以上にひっかかっていたのではないとすると―台上のレシーブ練習不足につきる。ドライブマンに勝つために、試合前にレシーブ練習を必ずやろう。
筆者紹介 長谷川信彦
1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960~70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960~70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1983年4月号に掲載されたものです。