ぼくが初めてラケットを握ったのは、中学1年のときです。両親をはじめ兄弟たちが卓球の愛好者でしたので、自然と卓球の道に入りました。
中学時代はしっかりした指導者がなく自己流で、卓球というのはただフォアハンド一本の攻撃でやればよいもの、と考えておりました。これが私のシェークハンド攻撃のはじめであり、卓球のはじめでもあります。
中学時代の練習は、特別な練習場もなく、授業後教室の机を隅(すみ)に寄せ、フォアロングを少し打ってすぐ試合をしていました。このときのサービスは、バックのロングサービスだけで、オールフォアの卓球をやっていました。3年間このような練習で過ぎてしまい、ぼくは何だかものたらず、名古屋電気工高に入ってもう一度最初からやりはじめる決意をしました。
◇がむしゃらになんでもやった
あこがれの高校に入って、最初びっくりしたのは、練習時間の多いことと、また先生や先輩たちの指導が厳しいことでした。それで、この小さな体で3年間、いや1年間でも辛抱できるかなと不安でした。それと同時に、強くなろうと思うなら他の人と同じようなことをしていたら強くなれない、人一倍練習し苦しみ努力しなくてはと思い、新しく希望と闘志が湧いてきました。そして、数年後はきっと誰にも負けない選手になってやるぞ、インターハイ団体優勝を目標にがんばるんだ、と決心しました。
高校時代の練習は毎日で、1日平均4時間から5時間程度、練習中は休みなくぶっつづけでやりました。練習方法は昼と夜間練習の二つに分かれており、昼間練習は基礎練習で、十分にロング、ショート打ちをしてからフットワーク(フォアとバックへ一本ずつ打ってもらうのと、ショートで全面を回してもらいオールフォアで打つフットワーク)。どんなに難しい球でも絶対にノータッチをしないように、必死に飛びつき台に入れることだけ考えていました。このあと、サービス、レシーブ。特にこの練習は高校生には必要だと思います。次に3球目、あるいは自分の長所を伸ばし短所を直す練習。大体昼の練習はこの位で、夜は実戦的な練習とダブルスをやりました。
1年のときは、ただ先生や先輩の言われることを聞いてがむしゃらにやっていました。この1年間は精神面、練習面ともすごく苦しい長い1年で、ぼくはこの1年間でいろいろ悩みました。こんなに一生懸命練習しているのにちっとも上達しない自分は、もう強くなれないのだろうか、シェークのドライブ選手はだめだろうか、素質はないだろうか―といろいろ悩み、こんなに練習して強くならなかったらやめてしまったほうがいいと思い、何度やめようと思ったかしれません。でも、入部したときの決心を思い出し、男ならこの位で負けていたらだめだと自分で自分を励ましてがんばり通してきました。
◇1日1日計画をたてて
つらかった1年も終わり、2年になって後輩ができ、少し何かにつけて余裕ができました。と思ったら、また急にスランプがきて、どうにもならない壁にぶつかり、何かと悩みました。そうしたとき、ぼくの一番頼りになる卓球に経験の深い兄に相談したのです。それからという練習は、1日1日計画をたて、今日はレシーブミスをなくそう、明日はサービスミス、スマッシュミスをなくそう、次はロング戦になった場合はコースを良く考えて、というように、小さなことだけど考えながら1日の練習をして、またその日の練習の反省を書くようにしました。そのためか凡ミスが少なくなり、自然と練習が楽しくなってきました。この年は、割合幸運な成績をあげることができ、自分自身悔いがなく思いきってやれた学年でした。
3年となり昭和29年の国体から10年連続全国大会優勝という輝かしい伝統を受け継いだとき、3年生はぼくと深谷君のふたりだけで、インターハイ、国体、全日本のうちで何か一つ以上取らなければならないという責任感でいっぱいでした。3年生になってからは、不安で不安で眠れない日がよくありました。
最上級生になってから自分の好きなだけ練習ができ、国体の前日、午前0時半頃までしたことを覚えています。このとき自分の得意とするスピードのあるドライブをしっかり安定させ、またロング、ショート打ちを、それからロングからのスマッシュを十分にやりました。そのおかげで国体では学校の単独チームで、幸運にも全試合ストレートで優勝することができました。しかし、高校生活最大の目標にしていたインターハイ、全日本のときこそ自分の技術の未熟さ、体力、精神面の弱さが痛いほど身にしみました。
高校生活で一番思い出に残ったのは、約1カ月間の中国遠征。この北京で行われた招待試合に参加して、2回戦荘則棟と対戦して善戦したとはいうものの、自分の卓球の未熟さを全面的に見せつけられ、バックハンドが自由自在に振れなくてはいけないこと、レシーブの強化、3球目攻撃を確実にすること、相手より先手先手に攻めること、後にさがったら絶対勝てないことがはっきりわかり、よい勉強になりました。
◇フットワークと実戦練習が主体
大学へ入学してからの現在の私の練習は、15時半~17時半、18時45分~21時半。しかし、ボールを打っているのは4時間前後。練習方法は昼は基礎練習で、フットワークが大半を占めます。この後時間を決めて、サービス、レシーブ、3球目、ループ打ち、ツッツキ打ち、ループをかけて返ってきた球をスマッシュ、などの練習をします。夜は実戦練習でシングルス、ダブルスの試合をします。私の好きな練習は、相手の一カ所へ返しショートで全面を動かしてもらうオールサイド練習です。ほとんどフォアで回りドライブをかけ、どうしても回れなかった場合は、バックハンドあるいはカットを使います。現在私が最も力を入れて練習しているのは、試合で使えるようなバックハンドと前陣でのスマッシュです。
バックハンドでは、相手の速いピッチにもおされないような、そしてチャンスボールがきたらスマッシュ、変化ボールがきても自由に振れ、またどんなピンチになっても自信を持ってバックハンドでもポイントできるように会得したい。
前陣でのスマッシュにおいては、ラケットが重く、またバックスイングが大きいので、オーバーミスがたくさんあります。試合中にドライブをかけて打った後、球が上がってくるのですけど、ドライブをかけたあとなので体勢がくずれていて、うまく入りません。ですから、ドライブからスマッシュの切り替えを速くするようにしています。
このほかカットをドライブに頼らず角度で打てるように、またショートをハーフボレー式に返す練習、その他もっともっとたくさんありますが、計画を立てながら覚えていきたいと考えています。
トレーニングは、体力、精神的な面を充実するために、また足腰を強くしてフォアハンドだけで動けるという自信をつけるために、毎朝30分間ランニングをして、このあと柔軟体操、腕立て伏せ30回、腹筋30回をしています。
今後の目標は、地方の大学にいても努力しだいで日本選手権で優秀な成績をおさめること。また世界選手権の檜舞台まで進出したいのが私の夢であります。
今後ともよろしくご指導くださいますようお願い申し上げます。
はせがわ のぶひこ
愛知県名古屋電工出身、愛知工大1年。
裏ソフト、シェークのドライブ型攻撃選手。昭和39年度全国高校複1位。昨年秋、中国遠征で活躍した。
(1965年8月号掲載)
[卓球レポートアーカイブ]
わたしの練習㉖長谷川信彦 バックハンドとスマッシュに重点
2015.12.09
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