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わたしの練習㉛阿部愼吾 ショートとバックハンドを主体に

 小学校のころからスポーツの好きだった私は、どれ一つとして満足にできるものはありませんでしたが、とにかく動き回ることに喜びを感じていました。象潟中学校に入学と同時に一番好きだった野球部に入部しましたが、体が小さかった私は体力的に負担が大きく、1年生の秋ごろに小さな体でもやれる卓球部に転向しました。そのとき、母から「一度運動部に入ってやめていながら、またやって続くわけがない」と反対されましたが、「ようし、それなら意地でもやってやる」と思ったのが卓球のやみつきになるキッカケになったようにも思われます。
 その当時ただ好きではあっても、これといった知識もなく、先輩のやっていることをそのまま真似(まね)てやっていました。フォアハンドで少し打てるようになると、すぐゲーム方式のオールサイド練習をやり、ショートやバックハンドは絶対に使ってはいけない、と教えこまれていました。先輩の竹島さん(現東洋レーヨン)などがたまに練習にこられる以外は、ほんとうに井の中のかわずそのもので過ごした感があります。そうこうしているうちにもだんだん卓球ができるようになって、いっそうおもしろくなりました。中3で進学のことが気になるようになって、(卓球をやりたい、卓球の強い学校に入りたい)と思うようになりました。そこで、近くでもありまたある程度県内では強かった本荘高校に入学し、ここから本格的に卓球に打ち込むようになって行きました。

 ◇フットワークとスマッシュの練習

 ぼくが本荘高校に入学してまもなく、全日本のダブルスチャンピオン(昭和30年)として名をあげ、東京の世界選手権(昭和31年)にも出場された本間達雄さん(旧姓津野)を本校のコーチとして迎えたことが、ぼくの卓球への情熱をわき立たせました。それに秋田国体がその年に開かれ、木村、三木、瀬川、太田選手などのすばらしいプレーをこの目で見ることができ、なおいっそうその気持ちに拍車をかけたわけです。それから強くなりたい一心でいろいろな本も読むようになり、強くなるには技術的にはもちろんのこと、精神的にも体力的にもすぐれていなければいけないと考えました。ふだんの練習時間は3時間前後でしたが、1日4~5㌔のランニング、80~100㍍のうさぎ飛び、20~30分のフットワークは日課となるようになりました。
 高2の中ごろ、その当時全盛であったループドライブにひかれて裏ソフトに転向、ループからのスマッシュ練習が多くなっていきました。最初のころは“世界”という観念はほとんどなく、インターハイを夢見て練習に励みましたがいっこうに強くなれず、高2になってもまだインターハイの県予選にも出してもらえないという状態でした。顧問であり、そしてぼくの良き理解者であった長谷川先生に、よく「人より強くなりたかったら、人の見ていない所で努力しろ」と言われ、始業前に登校して走ったりマット運動をしたり、夜は自分の部屋が離れでもあったので、よく部屋の中で素振り、腕立て伏せ、腹筋運動などをやり、それらで試合に対する自信をつけるようにしました。そのせいか、試合になってあがるようなことはほとんどなく、ようやく2年の秋の県民体育大会で2位になり、“俺でもやれるんだ”と自信を持ち、このころから自分の目標を大きく持つようになりました。
 3年になってからは、自分の速攻を生かすには足とスマッシュの確実性にあると考え、特にスマッシュ練習に重点を置くようになりました。フォアクロス、バッククロス、フォアストレート、バックストレートと全部のコースを練習、特にバッククロスの練習が多く、ループの次のボールは必ずスマッシュをするという信念をもってやりました。そうでなければループをかける意味がないと思っていたからです。また、フットワーク練習をやらなかった日などは全然練習をやった気がせず、なんとなく落ち着かない気持ちになるので、毎日欠かさずにやるようにしました。そして3年のインターハイ予選で全種目代表になり、本大会団体4回戦で名門校東山(京都)と対戦した際、原田選手に勝ったことが自分に大学行きを決心させ、中大前監督の横山明さんのすすめもあっていま自分が中大でやらせていただく原因にもなったと思います。

 ◇2年間を徹底して基本練習に

 中大に入ってすぐ水上茂さんについて、東洋レーヨン監督の門屋豊徳さんを知ることができ、そこで自分のプレーをもっともっと生かせる表ソフトに変え、フォア主戦のオールラウンドプレーの完成に目標をおきました。それまでの段階として、私は大学2年間を高校のときに我流でやってしまってついた悪いクセを直し、ほんとうの基本を身につけるためにやろうと決心、毎日基本理論とにらめっこしながら練習に励みました。そして週に1、2度門屋さんのもとで基本理論やいろいろな技術を学び、毎日の練習で自分の時間を持てたときにそれを取り入れて自分のものにするよう努めました。それに関して一番気をつけたことは、絶対に勝とうと思わないようにしたことです。勝とうと思うと前の自分にもどってしまい、悪いクセのままになってしまうからです。試合のときはただがむしゃらに、練習でやったことをそのままやるように努めそれを実行してきました。
 苦しい練習のなかで、いまなつかしい思い出の一つとしてよみがえるものは、1年の秋のリーグ戦で2部転落という最悪の事態に直面し、その1部復帰のための処置として、根村主将が1、2年生中心に年の終わりの合同トレーニングの最中からまる2週間、50分~1時間のフットワーク、カット打ち、バックハンドなどを中心とした練習を持ってくださったことです。この練習で足を交差して大きく動くフットワークをマスターでき、カット打ちにもある程度自信を持つことができました。それに合同トレーニング中は、午前中にランニングや素振りのフットワーク、サーキットトレーニングなどで徹底的にしぼられただけに、かなりの疲労を感じましたが、最後までやり通せた体力的な自信も大きな収穫でした。
 2年になってからは自分の自由な時間を多く持てるようになり、それで自分の最大の欠点であるフォアへの飛び込みを速くすることに重点をおきました。オールフォアで動くせいもあり、バックへの回り込みはできてもフォアをつかれたときにもろさがあるため、バックに構えて一気にフォアに飛び出せるように、ショートをフォア深く送ってもらったりプッシュしてもらいそれに飛びつく練習を主に行いました。また、自分の主戦武器でもあるスマッシュを常に基本から考え出し、どんなミスでもどこに欠陥があるかわかるようになるまで練習しました。
 そして、2年の春季リーグ戦で1部に返り咲き、秋季リーグ戦で優勝決定戦まで持ち込むことができ、この対専大戦で野平さんに打ち勝てたことが大きな自信になりました。また幸運にも第1回世界卓球強化選手選抜対抗戦に選ばれて、高橋さんと対戦する機会を与えていただきました。この試合は惨敗に終わりましたが、自分のフォアハンドにもある程度納得のいくものが出せるようなりましたので、自分のプレーの目標に近づくために現在はショート、バックハンドを主体に1日の練習を組み立てています。

 ◇現在の練習と抱負

 現在の練習は1日の時間をなるべくむだのないようにうまく活用するために、授業時間を考えて練習時間を計画的に組み合わせ納得のゆく毎日であるようにつとめています。昼は授業もあり、練習場も混んで思ったように練習できないために、朝早く登校して自分のやりたい練習をするようにしています。1日の練習時間は4~6時間でその2/3程度は基礎練習でしめられております。ゲーム練習でもそのゲーム中にやろうと思うことを前に考えておき、負けてもその練習に徹底するようにしておりますが、それでも試合はこび、かけひきなどに関しても気をつけてやるときもあり、一つのゲームでもいろいろな練習方法を考え、ただ漫然と終えることのないようにすることを心がけています。
 基礎練習ではバックハンドを主体に行い、その練習も完全に安定性を求めるものから、スマッシュ、フォアハンドとの切り替えと徐々に実戦的な方向へと持っていっておりますが、まだ完全に実戦で使えるまでに至っておりませんので、これからもいろいろな練習と組み合わせながら、どんどんやってゆこうと思っています。またこれからは日学連の合宿などで得た有意義な練習を多く取り入れ、幅のある大きなプレーをするように努め、目を広く世界にむけて毎日の練習に励もうと思っております。そして勝つことを目的とせず、いかにして自分の納得のいく試合をし、いかにして自分のプレーを最高のものにするかを最終目的に、勝敗はそれから後に自然に現れてくるものと信じています。

あべ しんご
秋田県本荘高校出身、中央大学2年。

(1966年1月号掲載)

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