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わたしの練習63小和田敏子 パワーの強化を

 ほとんどの人がそうであるように、わたしも中学から卓球を始めました。姉のすすめもあって入部したわけです。学校は谷地中学(山形)といって、県大会ではいつも1、2位という成績を残している強い学校でした。部員数は60人以上、コートは男子3台女子2台、というわけで、ひとり当たりの練習時間は少なく、1時間もできればいいほうでした。練習内容は単純で、①クロス打ち(フォアとバック) ②ショート打ち ③ツッツキ打ち、などでした。勝ち抜き戦の日などは、早く負けたら台につくことができないので、必死でやったことを覚えています。現在のわたしの負けずぎらいは、ここから生まれたのだと思います。
 高校は谷地高校に進みました。上級生に強い人がいませんでしたので、いつも男子が練習相手でした。あの当時、ループドライブが流行したころでしたので、それを覚えるためにかなりの時間をさきました。いま思うと、男子選手と練習できたことが、たいへんプラスになっていると思います。しかし、田舎(いなか)でもあり、練習も中学時代とそれほど変わらない単純なものでしたので、自分の力がどのくらいかもわからず、全国大会などでは、緊張のためあがってしまい、練習の半分の力もだせないまま、負けてしまうのが常でした。

 ◇限界へ挑戦のため大学へ

 卓球をやめようかと考えこんだときもありましたが、このままやめてしまっては後味が悪いので、やりはじめたからには自分の限界に挑戦してやろうと、両親の反対を押し切って中京大学へ進学したわけです。
 大学に入ってからの練習は、毎朝7時から8時までトレーニングをやります。①ランニング20分 ②ダッシュ50mを5回 ③素振り300~500回。規定練習は午後4時から7時まで、そのあと自由練習で、8時から10時まで体育館は使用できます。ときどき、寮に帰るのが11時近くなったりするので、朝起きるのがつらく、何度かトレーニングを休もうかと思ったことがありました。でもここでがんばったことが、現在の私をタフなからだにしてくれた原動力であったと思います。
 現在の監督は服部功先生です。この監督さんはものすごくランニングが好きで、私の1年生のころは、時間さえあればランニングをやらされました。このころの練習内容は、おもにフットワークに重点をおきました。最高1時間以上もやったことがあります。高校時代は1日15分もやればいいほうでしたので、大学に入ってこれほどつらい練習はありませんでした。そのほかの内容は、①ショート対ショートから回り込んでのスマッシュ ②サービスと3球目攻撃 ③レシーブと4球目攻撃 ④フォア・バックの切り替え、などで、基礎練習が主体でした。夜間練習の場合には、男子にお願いして実戦練習をやってもらいました。しかし、いくら練習しても、本大会になると自分の納得したプレーができずに後味の悪い試合だけで、その理由もわからないまま1、2年のうちは、東日本学生5位、6位の成績だけで終わってしまいました。

 ◇日ソ対抗代表で自信つく

 2年の終わりごろ、あまりのふがいなさに、卓球をやめようかと考えているとき、運よく日ソ対抗の代表に選ばれました。次いでアジア選手権代表候補選手の強化合宿にも選ばれました。何回となく合宿に参加させてもらっているうちに、一流の人たちと技術的にはそれほどかわらないことに気づきました。それならなぜ負けるのか。大部分は、精神面の弱さに原因するのではないか、と考えるようになりました。わたしは、いろいろな面で、“きびしさ”に欠けていたのです。そこで、練習場でも日常生活でも、きびしさを追求しはじめたのです。このときです、アジア選手権日本代表に選ばれたのは。その結果、団体戦で優勝できませんでしたが、シングルス3位、ダブルス2位、ミックス2位という自分でもびっくりするほどの成績をおさめることができました。
 このときの練習は、スピードをつけるため、また回転を増すため、上半身を使って自分の力で打つことに重点をおきました。それとカットを何本も何本もねばって打てるように、毎日2時間近く練習に練習を重ねました。
 アジア選手権に参加して感じたことは、①特に韓国選手は、ツッツキ打ちが抜群で、レシーブからの攻撃がものすごくうまい ②ゲームが競り合ったとき、勝負強い、わたしのいままでの卓球と比べて、このへんを学び取らなければいけないと思いました。と同時に、自分の武器となる主戦の技術を習得しなければならない、という教訓も与えられました。帰国後は、以上のことを頭におきながら、“先手必勝”を目標に練習をはじめました。そのためには、①レシーブをできるだけはらう―自分の長所であるショート対ショートから、ロング戦にもっていけるからです。この練習を徹底的に行ったかいがあったのか、11月中旬に行われた全日本学生選手権では、大関さん(青山学院大)を破って初優勝できました。この試合では、自分は悔いのない練習をやってきているので、ただ何も考えずに“自分のプレーができればそれで良い”と、そのことだけを考えていました。その1週間後の全日本選手権までは、ただ調子をあげることだけに集中しました。この期間の練習は、①ロングサービスからのオールサイズ ②レシーブからのオールサイズ ③バック側にショートサービスをだしてもらい→バックロングレシーブ→フォア側にスマッシュする連けいプレー ④切り替え練習…などでした。夜はほとんど実戦練習でした。

 ◇チャンピオンに恥じない選手に

 これらの練習がよかったからか、運がよかったのか、全日本選手権の団体・ダブルス・シングルスの3部門でタイトルをとることができました。タイトルを手にした以上、これからの私の課題は、どのような立場におかれても、いつでも自分の卓球ができることにあると思います。技術面では、①パワーの強化とともに、スマッシュの練習 ②ストレートコースの強化 ③フォアへのとびつき…などを習得して、幅広いプレーヤーを目ざしてがんばっていきたいと思います。

こわだ としこ 中京大学3年、山形・谷地高出。
21歳。右きき、ペン・裏ソフトの攻撃選手。
身長161㎝、体重54kg。


(1969年2月号掲載)
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