わたしが今日あるのは、中学時代(山形・立川中)の練習の蓄積が半分以上占めていると思いますので、少し遠回りになりますが、中学時代の練習について少し触れてみたいと思います。
~先生相手のノック練習~
自分でいうのはおかしいと思いますが、強い練習相手がいなかったので、金丸武夫先生考案の、通称ノック式練習を、先生を相手にやるのが常でした。ノック式練習というのは、正規の卓球台と同じ高さのテーブルを卓球台の脇に置いて、先生がそのテーブルに1度バウンドさせたボールを、先生自身が打つ、というやり方です。直接ノックせず余分なテーブルに1度バウンドさせるのは、ラリーと同じようなリズム感でやるためだったと思います。わたしは、この練習のおかげで、スケールが大きくなったと信じています。たしか中学2年になってから始め、中学卒業まで続けました。その主なものを書きますと
①左右にノックされたボールをドライブで返球→バックショート→前に踏み込んでスマッシュ
②バックサイドにノックによるツッツキをドライブで返球→次にフォア・バックにふつうにノックしてもらい(フォア・バックの切り替え)→何本目かのバックショートで返球後→軽く上げてもらう→スマッシュ
③ノックによるツッツキ→スマッシュ(これは毎日20本必ずやった)
いま考えてみて、この練習が非常によかったと思う点は、わたしの主戦武器であるドライブをはじめ、スマッシュ、前後左右のフットワーク、フォア・バックの切り替え、ツッツキ打ち(スマッシュを含む)...など、ゲームに必要ないろいろな技術が含まれている、ということです。中学時代、ゲーム練習を一度もやったことのないわたしが、大会でそこそこ活躍できたのは、ノック式練習の効果がかなりあった、ということにほかならないと思っています。
トレーニングについては、それほどやっていません。腕立て伏せ―50回、腹筋―50回、うさぎ跳び―250m、ランニング―4km(家からバス停まで約2㎞あり、往復走った)...程度でした。練習時間は、午後4時から6時半までの2時間半。試験の時は、学校の方針で、3日前からはいっさいできませんでした。
以上が、中学時代の練習の概略です。
~ドライブの威力を求めて~
現在熊谷商業で、中学時代の練習と最も違う点は、ゲーム練習が多い、ということです。前にも書いたとおり中学時代に一度も経験しなかったことで、入学当初はめんくらいました。しかし、みんな必死でやっていますから、わたしも自然に引き込まれていき、いまでは、大会と同じ緊張感が好きになりました。ゲーム練習にもいろいろ方法があります。マンネリ化を防ぐために、吉田先生が苦心されていることがよくわかり、選手としてはがんばらなければならない、というファイトが湧いてきます。
いまわたしが重点的に力を入れている練習をあげてみますと、
まず第1に、フォア・ドライブの威力を増すということ。そして、威力を3つの点からとらえています。
①攻撃選手の生命と言われるフォア・クロスの強化
②ドライブボールの回転量アップと変化―1種類のドライブだけでは、どんなに回転量があっても、球質を覚えられれば威力が半減しますので、バウンド後伸びるドライブ、曲がるドライブ、沈むドライブ...など、ドライブボールの回転量の変化と、球質の変化の両面から、追求しています
③スピードも攻撃選手の大切な要素です。回転量アップと矛盾するかもしれませんが、スピードのあるドライブとスマッシュとの使いわけにも挑戦する意味で、練習しています
次に、サービス・レシーブの強化
①サービスについては、特に下切れの工夫
②レシーブについては、ショートサービスに対して台上ではらうレシーブ練習に力を入れています。わたしにとって、レシーブ技術の向上は、特に欠かすことのできない重要項目と思っています。
次にバック系技術の強化
このバック系技術の強化には、いろいろなねらいがあります。
①相手のドライブ処理に―ショート
②速攻対策として―ショート
③レシーブ技術の1つ―ツッツキ
④先手攻撃をするための技術の1つ―ショートとツッツキ、バック・ロング
⑤攻撃力に幅をつけるために―バック・ロング
以上が、現在わたしが力を入れている技術です。考え方としては、長所を伸ばしながら、短所を強化していく...ということになるでしょうか。フットワークは、いまのところ自信がありますし、学校の規定練習の中に、前後・左右、オールサード、N字式...などがあり、年平均すれば1日35分ぐらいやっていますから、まず心配ないと思っています。
トレーニングについては、規定として、腕立て伏せ―30回、腹筋―30回、ダッシュ―60m×4回、シャドープレー5分、そのほか跳躍、柔軟体操を毎日やっています。これ以外に、自主トレとして、ランニング―15分、ダッシュ―50m×3回、足腰の強化―30kgのバーベルを主体に、腕の強化―鉄アレイ、うさぎ跳び...などを欠かさずやっています。自主トレをやる時間は、朝登校前とか、夜練習終了後とか、その時の練習スケジュールや体調などによって、使いわけています。先生からは毎日のように、走れ、走れと言われています。
~あこがれの長谷川選手めざして~
練習については、いままで書いたとおりですが。わたしはカゼをひきやすいので、健康管理には気をつけています。
練習の途中で、汗をかいたらユニフォームをしばしば着替えること、寝る時にからだを冷やさないようにすること、1日のうちに何回もうがいをすること(練習の休けい時間には必ずうがいをする)...など。
食べ物には好き嫌いがなく、よく食べるほうだと思います。「食べるヤツほど強くなる」なんて話を聞かされたことがありますが、そんな意識はなく、とにかくなんでもおいしく食べられる、というところです。特に果物と野菜は好物です。しっかり食べて、激しい練習にも耐えられるだけの体力をつけなければいけない、と考えています。
理屈をつければ、精神面の健康管理とでもいうのでしょうか、中3の10月に「斎藤清をたたえる歌」を作詞作曲しました。発想はある本を読んでいて、「限界を越える」という一節が目にとまり、それをヒントに"目指すは世界チャンピオン、その日のためにがんばるんだ"...という主旨の歌を作ったわけです。
いまは家族と離れて生活していますが、家に帰りたいな、と思うような時や、何かカベにぶつかったような時に、この歌をうたって気持ちをスッキリさせています。当時は、それほどはっきりした意識があって作ったわけではなかったのに、いまでは、心の支えになっている、と言っても過言ではありません。「高い目標を持つことが精神面の支えになる」という意味のことを、吉田先生からも言われ、また卓球レポートでも読んだことがありますが、わたしの場合、自分の作った歌が支えになるなんて思ってもみませんでした。でも、いまはこの歌をだいじにしたいと思っています。
ことしの目標は、夏のインターハイで3冠王になること。そして、全日本選手権大会の一般の部でランキングに入ることが最大の目標です。それを足がかりとして、将来、世界選手権大会に出場したいと考えています。
そのためには、試合のスタートでの集中力を高め、どんな場合でも、好スタートがきれるようにならなければいけない、と自分に言い聞かせています。そして、あこがれの長谷川選手のようになりたいと思っています。長谷川選手のような、ダイナミックな卓球が好きですし、卓球に対するガメツさ、卓球と取り組む姿勢...等、まだまだ及びもつきませんが、努力して一歩一歩近づきたいと思っています。
さいとうきよし 埼玉・熊谷商高2年
第31回東京選手権3位
(1979年6月号掲載)
~先生相手のノック練習~
自分でいうのはおかしいと思いますが、強い練習相手がいなかったので、金丸武夫先生考案の、通称ノック式練習を、先生を相手にやるのが常でした。ノック式練習というのは、正規の卓球台と同じ高さのテーブルを卓球台の脇に置いて、先生がそのテーブルに1度バウンドさせたボールを、先生自身が打つ、というやり方です。直接ノックせず余分なテーブルに1度バウンドさせるのは、ラリーと同じようなリズム感でやるためだったと思います。わたしは、この練習のおかげで、スケールが大きくなったと信じています。たしか中学2年になってから始め、中学卒業まで続けました。その主なものを書きますと
①左右にノックされたボールをドライブで返球→バックショート→前に踏み込んでスマッシュ
②バックサイドにノックによるツッツキをドライブで返球→次にフォア・バックにふつうにノックしてもらい(フォア・バックの切り替え)→何本目かのバックショートで返球後→軽く上げてもらう→スマッシュ
③ノックによるツッツキ→スマッシュ(これは毎日20本必ずやった)
いま考えてみて、この練習が非常によかったと思う点は、わたしの主戦武器であるドライブをはじめ、スマッシュ、前後左右のフットワーク、フォア・バックの切り替え、ツッツキ打ち(スマッシュを含む)...など、ゲームに必要ないろいろな技術が含まれている、ということです。中学時代、ゲーム練習を一度もやったことのないわたしが、大会でそこそこ活躍できたのは、ノック式練習の効果がかなりあった、ということにほかならないと思っています。
トレーニングについては、それほどやっていません。腕立て伏せ―50回、腹筋―50回、うさぎ跳び―250m、ランニング―4km(家からバス停まで約2㎞あり、往復走った)...程度でした。練習時間は、午後4時から6時半までの2時間半。試験の時は、学校の方針で、3日前からはいっさいできませんでした。
以上が、中学時代の練習の概略です。
~ドライブの威力を求めて~
現在熊谷商業で、中学時代の練習と最も違う点は、ゲーム練習が多い、ということです。前にも書いたとおり中学時代に一度も経験しなかったことで、入学当初はめんくらいました。しかし、みんな必死でやっていますから、わたしも自然に引き込まれていき、いまでは、大会と同じ緊張感が好きになりました。ゲーム練習にもいろいろ方法があります。マンネリ化を防ぐために、吉田先生が苦心されていることがよくわかり、選手としてはがんばらなければならない、というファイトが湧いてきます。
いまわたしが重点的に力を入れている練習をあげてみますと、
まず第1に、フォア・ドライブの威力を増すということ。そして、威力を3つの点からとらえています。
①攻撃選手の生命と言われるフォア・クロスの強化
②ドライブボールの回転量アップと変化―1種類のドライブだけでは、どんなに回転量があっても、球質を覚えられれば威力が半減しますので、バウンド後伸びるドライブ、曲がるドライブ、沈むドライブ...など、ドライブボールの回転量の変化と、球質の変化の両面から、追求しています
③スピードも攻撃選手の大切な要素です。回転量アップと矛盾するかもしれませんが、スピードのあるドライブとスマッシュとの使いわけにも挑戦する意味で、練習しています
次に、サービス・レシーブの強化
①サービスについては、特に下切れの工夫
②レシーブについては、ショートサービスに対して台上ではらうレシーブ練習に力を入れています。わたしにとって、レシーブ技術の向上は、特に欠かすことのできない重要項目と思っています。
次にバック系技術の強化
このバック系技術の強化には、いろいろなねらいがあります。
①相手のドライブ処理に―ショート
②速攻対策として―ショート
③レシーブ技術の1つ―ツッツキ
④先手攻撃をするための技術の1つ―ショートとツッツキ、バック・ロング
⑤攻撃力に幅をつけるために―バック・ロング
以上が、現在わたしが力を入れている技術です。考え方としては、長所を伸ばしながら、短所を強化していく...ということになるでしょうか。フットワークは、いまのところ自信がありますし、学校の規定練習の中に、前後・左右、オールサード、N字式...などがあり、年平均すれば1日35分ぐらいやっていますから、まず心配ないと思っています。
トレーニングについては、規定として、腕立て伏せ―30回、腹筋―30回、ダッシュ―60m×4回、シャドープレー5分、そのほか跳躍、柔軟体操を毎日やっています。これ以外に、自主トレとして、ランニング―15分、ダッシュ―50m×3回、足腰の強化―30kgのバーベルを主体に、腕の強化―鉄アレイ、うさぎ跳び...などを欠かさずやっています。自主トレをやる時間は、朝登校前とか、夜練習終了後とか、その時の練習スケジュールや体調などによって、使いわけています。先生からは毎日のように、走れ、走れと言われています。
~あこがれの長谷川選手めざして~
練習については、いままで書いたとおりですが。わたしはカゼをひきやすいので、健康管理には気をつけています。
練習の途中で、汗をかいたらユニフォームをしばしば着替えること、寝る時にからだを冷やさないようにすること、1日のうちに何回もうがいをすること(練習の休けい時間には必ずうがいをする)...など。
食べ物には好き嫌いがなく、よく食べるほうだと思います。「食べるヤツほど強くなる」なんて話を聞かされたことがありますが、そんな意識はなく、とにかくなんでもおいしく食べられる、というところです。特に果物と野菜は好物です。しっかり食べて、激しい練習にも耐えられるだけの体力をつけなければいけない、と考えています。
理屈をつければ、精神面の健康管理とでもいうのでしょうか、中3の10月に「斎藤清をたたえる歌」を作詞作曲しました。発想はある本を読んでいて、「限界を越える」という一節が目にとまり、それをヒントに"目指すは世界チャンピオン、その日のためにがんばるんだ"...という主旨の歌を作ったわけです。
いまは家族と離れて生活していますが、家に帰りたいな、と思うような時や、何かカベにぶつかったような時に、この歌をうたって気持ちをスッキリさせています。当時は、それほどはっきりした意識があって作ったわけではなかったのに、いまでは、心の支えになっている、と言っても過言ではありません。「高い目標を持つことが精神面の支えになる」という意味のことを、吉田先生からも言われ、また卓球レポートでも読んだことがありますが、わたしの場合、自分の作った歌が支えになるなんて思ってもみませんでした。でも、いまはこの歌をだいじにしたいと思っています。
ことしの目標は、夏のインターハイで3冠王になること。そして、全日本選手権大会の一般の部でランキングに入ることが最大の目標です。それを足がかりとして、将来、世界選手権大会に出場したいと考えています。
そのためには、試合のスタートでの集中力を高め、どんな場合でも、好スタートがきれるようにならなければいけない、と自分に言い聞かせています。そして、あこがれの長谷川選手のようになりたいと思っています。長谷川選手のような、ダイナミックな卓球が好きですし、卓球に対するガメツさ、卓球と取り組む姿勢...等、まだまだ及びもつきませんが、努力して一歩一歩近づきたいと思っています。
さいとうきよし 埼玉・熊谷商高2年
第31回東京選手権3位
(1979年6月号掲載)