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インタビュー 岡紀彦 
1パーセントでも可能性があるのなら、逃げるべきではない

<卓球レポート2007年5月号掲載>
2007年3月18日、車いすの卓球選手・岡紀彦(おか としひこ)が障害者ジャパンカップ(現在はジャパンオープン・パラ卓球選手権大会に改称)で20連覇を達成した。極度に骨が弱く、成長期まではちょっとしたことでも骨折してしまう病気を抱えながらも、幼い頃からスポーツ選手にあこがれ、車いすのプロ卓球選手という前例のない道を開拓した岡紀彦の、20連覇という節目でのインタビューを、ここにあらためて掲載する。


「正直に言うと、プレッシャーはかなりありました。連覇の数に比例して、プレッシャーも増していく。でも、それは避けられないことです」
 機敏な動きと正確なプレーで着実に勝利を収め、別格の実力を感じさせる岡紀彦。それにもかかわらず、20連覇をかけて臨んだ第27回障害者ジャパンカップは一瞬も気の抜ける戦いではなかった。

 準々決勝の宇津木孝章との試合、岡は最初の2ゲームを落とす苦しい出足となった。その後、何とか持ち直して最終ゲームを迎えたものの、9対10とマッチポイントを奪われた。
 過去の対戦成績は岡の全勝。だが、出足で流れに乗り、いったんは失いかけた流れを再び引き寄せた宇津木には、この1戦を支配しそうな雰囲気が漂っていた。
 追い込まれた岡。だが、ここでは宇津木の攻撃ミスを誘い、相手のマッチポイントを何とかしのいだ。しかし、次のラリーは残酷にもネットイン。10対11と再びマッチポイントを奪われ、まさい絶体絶命の状況となった。岡の連覇もここまでか......コート周辺の空気は微妙にざわついた。
 だが、岡の心は折れなかった。1本のミスも許されない場面で、渾身のフォアハンドスマッシュを放ったのだ。何という勇気、そして、技の精度。この1ポイントを機に、岡は逆転勝利を収めた。
「宇津木選手はツブ高ラバーを使ってコースを狙うのが上手です。浅かったり深かったり、僕の手が届きにくいようなコースをうまく狙っていました。ネットインも多かったですが、ツブ高の選手にネットが多いのはやむを得ません。ネットインは決して『運』ではないと思うんです。こちらの球に魂がないから、相手の球がネットインになる。彼は真面目に取り組んでいますし、最近かなり強くなっている選手です。ナイスゲームでした」

 準決勝では長島秀明に3-0で勝利。だが、さまざまな用具を使いこなすテクニシャンの長島は、たやすい相手ではなかった。
「最近の長島さんは会うたびに用具が変わっているんですよ。ツブ高をフォア面にしたりバック面にしたり、両面裏ソフトになったり。前もって対策を立てられないので、今回も試合にはかなり神経を使いました」

 そして迎えた決勝。小柄な岡に対し、相手の中出将男はがっしりした体格。パワーのある打球を放つのはもちろん、センスも光るプレーヤーだ。両者が演じたのは、「これぞ決勝」ともいうべき熱戦だった。互いに一歩も譲らぬアグレッシブなラリーの応酬の末、軍配は岡に上がった。
 20連覇、達成。
 大記録が成った瞬間、岡の表情は穏やかだった。我を忘れて喜びを叫ぶのではなく、ただ、小さくこぶしを握った。そして、ベンチに戻ると、妻の博子と固い握手を交わした。

 当然のことながら、20年間にわたって勝ち続けることは簡単ではなかった。中でも、14連覇がかかった2001年大会は、出場すら危ぶまれる危機だった。大会を目前に控えた1月に、右の肩甲骨を骨折。大会当日の朝になってもまともな練習さえできないほどの状態だった。岡の頭には『棄権』の2字が浮かんだ。
「どうせ連覇が途切れるのだったら、出場して負けるよりも棄権した方が格好もつく。出場するかどうか、かなり迷いました」
 悩んだ末、岡は負けを覚悟で出場を決意。そして、結果的に優勝し、連覇の記録を更新することができたのだ。
「出場して本当によかったです。あの時、もしも棄権していたら、今日の20連覇はなかったわけですから。出場を決意した理由......。1パーセントでも可能性があるのだったら、やはり逃げるべきではない、そう思ったのです」
 わずかな可能性にかけて、窮地から逃げない。岡の競技生活は、そうしたチャレンジの連続だったのだろう。それが20連覇という形を成したのだ。
「20連覇は、毎日の積み重ねの単なる結果ですよね。20連覇しようと思ってできるものでもありませんし、毎日コツコツやってきたことが、よい方向に表れたのだと思います」

 来年(2008年)は北京パラリンピック開催の年。20連覇の喜びにひたることもなく岡は世界を見据える。
「世界には強い選手がたくさんいるので、そういう選手に勝つための練習に集中します。国際大会に出て世界ランキングを上げ、必ず北京パラリンピックの出場権を獲得したい。それから、パラリンピックの過去2大会はベスト16だったので、何とかベスト8の壁を破り、メダルをつかみたいです。
 また、自分のこと以外にも、僕はこう思うんです。世界を目指す選手が、もっと増えてほしい。
 卓球は障害者も健常者も分け隔てなくできるスポーツです。だから、障害があっても健常者の中でプレーしている選手は大勢いるでしょう。僕も、車いすの選手に勝つよりも健常者に勝った方が価値があるのではないかと思っていた時期が長くありました。でも、世界で戦うようになり、少し考えが変わってきました。同じ体の特徴を持った選手同士で競うことも、本当に価値があることだと感じるようになったのです。
 障害があっても、世界のトップクラスの選手は信じられないような高度なプレーをします。自分の障害を言い訳にせず、いろいろな工夫をし、常に自分の可能性を追求しています。その選手たちと技を競い合い、世界一を目指すことに価値を見いだす選手が増えてほしい。そう思います」
 北京パラリンピックを控えた今年(2007年)は、岡にとって勝負の1年になる。出場枠が前回大会よりも減るため、出場権獲得のためにはこれまで以上に世界ランキングを上げなくてはならない。白いボールにすべてをこめ、岡の挑戦は続く。

文=川合綾子
文中敬称略


岡紀彦(おか としひこ)
1964年3月26日生まれ。先天性骨形成不全症のため車いすで生活する。障害者ジャパンカップ(ジャパンオープン・パラ卓球選手権大会)ではこのインタビューの後も連覇を伸ばし25連覇、通算27回優勝。2000年シドニーパラリンピック、2004年アテネパラリンピック、2008年北京パラリンピックに出場

障害者ジャパンカップ
(ジャパンオープン・パラ卓球選手権大会)
パラ卓球は、原則として障害の程度によってクラスを分け、同クラスの選手同士が試合を行うが、この大会は「車いす」「立位」を分けるのみで、障害の程度によるクラス分けを行わない、いわば"無差別級"の大会

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