昨年6月、野田学園高校卓球部の橋津文彦監督は「2020年の生徒たちへ(前編・中編・後編)」というタイトルで、コロナ禍における苦悩や向き合い方について卓球レポートに寄せてくれた。
あれから1年がたち、高校卓球界のトップランナーはどんな思いで日々を過ごし、これからどう進もうとしているのか。
橋津監督が今の心境をつづった特別寄稿を3回に分けて掲載する。
(前編はこちら)、(中編はこちら)
今年のチームスローガンは「人間力卓球」
高校選抜(全国高等学校選抜卓球大会)を終え、私はチームミーティングで次のような話をしました。それは、全日本(全日本卓球選手権大会)の惨敗から、岩井田駿斗(HZF)の東アジアホープス選手権大会の日本代表選考会通過などを経て感じたことでした。
よく「未来は変えられても、過去は変えられない」という言葉を耳にします。しかし、全日本惨敗という過去があり、それに発憤して努力し、良い結果を収めることができたとしたら、後から笑って全日本惨敗を振り返ることができるのではないか。つまり、その時は痛恨の失敗でも、失敗した過去を「成功するための糧」に変えてしまうことができるんだと気づきました。
もちろん、競技を続ける以上、目の前の一戦一戦が大切です。しかし、コロナ禍での全日本の失敗があったからこそ、みんなで高校選抜に向かって努力することができました。そして、優勝はできませんでしたが、2位という成績を収め、全日本惨敗というネガティブな出来事をポジティブな過去に変えることができたと生徒たちに話しました。
そのミーティングでは、今年のチームスローガンについても伝えました。野田学園では毎年チームスローガンを掲げます。コロナ禍で大会が軒並み中止になった昨年は、「想像力を持ってポジティブに!」がスローガンでした。
今年のチームスローガンは「人間力卓球」です。コロナ禍で制限されることが多く、思い通りにいかないことばかりですが、このような時代だからこそ、人としての総合力が必要だと強く感じています。生徒一人一人が自身に秘めたありとあらゆるパワーを卓球に注ぎ、未来を見据えてチャレンジしてほしい。この思いから、今年のスローガンは「人間力卓球」に決めました。
インターハイに向けては、実戦の少なさをフォローする練習に着目
今は夏のインターハイ(全国高等学校卓球選手権大会)に向けて何ができるのか、何をしなければならないのかを模索しながら生徒たちと向き合っています。
コロナ禍以前は、攻撃力をより高めていくことに練習時間の多くを割り当て、ブロックや台上の細かな技術練習に割く時間は少なめでした。オープン大会や実業団、大学生チームとの合同練習をこなしながら、生徒たちの実戦や練習試合の様子を見て、細かい部分を改善し、長所を磨いていくことが私の基本的な指導方法でした。
しかし、コロナ禍で合同練習などの実戦に近い練習がほとんどできなくなった今は、実戦経験をフォローするような練習に取り組むことが重要だと考えています。今年の全日本の惨敗は、体調管理に気を取られすぎて練習に集中できなかったことが大きな反省点ですが、技術的な敗因は、「実戦経験の少なさからくる細かな台上技術や守備力の低さを相手に突かれたこと」だと痛感しています。
このことを踏まえ、今はインターハイに向けて練習内容を見直し、技術向上に力点を置いて練習に取り組んでいるところです。
選手たちの「声出し制限」について
日本卓球協会が定める新型コロナウイルス感染症対策ガイドラインには、「大会中に大きな声で会話、応援等をしないこと」「不要な声出しはしない」とコロナ禍における競技上の注意点が記されています。この注意点をつい忘れ、高校選抜では選手やベンチがヒートアップして思わず大きな声を出し、審判から注意を受けて中断する試合がいくつも見られました。私たち野田学園も、インターハイの山口県予選や中国ブロック大会で思わず声を出して注意を受ける生徒たちが何名か出ました。そのため、技術面だけでなく、得失点時の声出しを抑えることを生徒たちに意識させることにも重点を置いて、日頃の練習に取り組んでいるところです。
不要な声出しをしないことは感染予防の一助になりますし、そのことの重要性を十分理解した上で、声出し制限について個人的な見解を述べます。
試合で得失点時に声を出さない、あるいは控えるという制限は、選手へ(生徒へ)知らず知らずのうちに大きなストレスがかかるものです。そのため、中には本来のパフォーマンスを十分に発揮できない選手も出てくるでしょう。選手たちは声を出して自分を鼓舞することがプレーのパフォーマンス向上につながることを肌で知っていますし、我々指導者も長年にわたって声を出すことの大切さを伝えてきました。もはや、声を出すことは無意識で生理現象に近い感覚になってきていると思います。
加えて、基準も明確ではありません。当然ながら選手個々によって声量やキーの高さは違いますし、それをジャッジする審判側もそれぞれで聞こえ方が異なるでしょう。実際に高校選抜やインターハイ予選で、同じような声の大きさに聞こえるにもかかわらず、注意される選手と注意されない選手とがいて、その基準の不明瞭さに私も含めて不満の声が多く聞かれました。一方で、6月に開催されたアジア選手権大会日本代表選考合宿や前期日本リーグ千葉大会をインターネットで観戦しましたが、選手たちの声出しに関しては制限がないように見受けられました。このように、会場内だけでなく、大会ごとに基準がまちまちなところは疑問を感じるところです。
私がここで主張したいのは、選手たちの声出しを制限しないでほしいということではありません。「選手たちや指導者が戸惑わないよう納得できるジャッジをしてほしい」ということです。
コロナ禍の中、感染予防対策に追われながら大会を運営するのは本当に大変なことですし、運営に携わる方々は相当な重圧にさらされることと思います。
参加する私たちは、要望するだけでなく、最大限の協力を惜しみません。不自由な時代ですが、だからこそ、運営側も参加者側もお互いを尊重し、選手たちがインターハイという集大成の場で最高のパフォーマンスが発揮できる機会を共につくっていければと強く願っています。
今は感染予防と健康管理を徹底し、大好きな卓球に全身全霊で向き合う
私自身は最近歳を取ったからなのか、以前のようなメラメラとした感情がわくことが少なくなり、自棄にも似た気持ちになって寂しくなることもありましたが、昨年10月にメモリアルチャレンジマッチを開催し、全国大会も行われはじめてからは、OBや生徒たちの頑張る姿を目の当たりにしていくうち、「人のために」という感情が以前より強くなってきています。
昨年掲載せていただいた特別寄稿(前編、中編、後編)で、「コロナ禍における想像力の大切さ」を述べさせていただきましたが、私自身、この1年間を振り返ると、これまでにはないくらい、いろいろなことを想像した1年間でした。これから、コロナは収束していくのか?卓球を取り巻く環境はどのように変化していくのか?など、さまざまなことを想像しました。
教え子の中には、プロの卓球選手として活躍する者、大学を卒業して卓球から離れる者、現役を引退して指導者として卓球に関わっていく者など、みんながさまざまな選択をし、それぞれの未来を想像しています。一方、10年先の私はどうしているだろうかと思いをはせると、考え方は変わっていると思いますが、きっと同じ場所で同じことをしているのでしょう。
中高生の指導者というのは本当に多くの自己犠牲を払わなければできない仕事ですが、生徒たちの夢を通して、自分の夢をも輝かせることができる魅力あふれる仕事なのだと改めて感じています。今はまだ限られていますが、できることを模索し、想像しながら生徒たちと思いを共有し、全力で卓球に取り組んでいきたいと強く思っています。
昨年、大変お世話になり大好きだった指導者の渋谷五郎さんが他界されました。亡くなられる直前まで卓球に携わられていたそうで、コロナ禍でしばらくお会いすることができなかったせいか、今でも他界されたことが信じられず、目を閉じると五郎さんが笑顔で選手にアドバイスされている姿をリアルに想像することができます。また、身近でも私より年下の知人の方が病気で他界される悲しい出来事が起こりました。
訃報に加え、最近は同世代の人たちが病気になる話も多く聞くようになり、少しネガティブな聞こえ方になるかもしれませんが、「命」というものを以前より身近に、そして尊く感じるようになってきました。
そうした心境の変化もあり、ありふれた言い方ですが、感染予防と健康管理をしっかりと行い、一日一日を、一分一秒を大切にして目の前にある「今」を、大好きな卓球に全身全霊で向き合っていきたいと心から思っています。(了)
(まとめ=卓球レポート)