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世界一への道 伊藤繁雄 
球史を革新したドライブ強打王 14【最終回】

「人の驚くようなプレーは、人の驚くような練習やトレーニングからしか生まれない」
 1969年世界チャンピオン、伊藤繁雄のこの言葉からは、彼のひたむきさとがむしゃらさがうかがえる。決して平坦ではない伊藤の卓球人生を支えたのは、卓球が自分の生きる証しであるという強い信念と、母への深い愛情だった。【前回の記事を読む】【第1回から読む

文=小谷早知 監修=辻歓則
※この記事は月刊卓球レポート2001年12月号を再編したものです


シェラーとの決勝

 伊藤はすっと立ち上がり、フロアに向かった。
 2階席には、横断幕が何枚も張られていた。満員の大観衆が大声を上げ、ドンドンと足を踏み鳴らすために、会場全体が揺れ動くような感覚に襲われる。

男子シングルス決勝の前にシェラーと握手を交わす


 第1ゲームが始まった。伊藤は作戦通り、少し威力を落とした確実なドライブで粘った。そして、チャンスボールだけを得意の強ドライブやスマッシュで狙い打ちしようとしたのである。ところがシェラーの守備は、予想以上に堅かった。1発や2発のスマッシュではびくともしない。
 自信を持って攻めても返ってくるシェラーのカットの変化に惑わされ、凡ミスを重ねてしまった。左右に大きく揺さぶられるほとんどのボールにフォアハンドで対応していたため、体力を過剰に消耗して自分のペースを崩すことにもなった。
 その上、フォアに大きく動かされて苦し紛れにクロスに返したボールを強打されての失点が続いた。
 ゲームは一貫してシェラー優位で進み、伊藤は第1ゲーム、第2ゲームを落とした。

 伊藤 19-21、14-21 シェラー
 (編集部注:当時は1ゲーム21ポイント制)

 第2ゲームの最後は、それまでのすべてを忘れようと、目をつぶったまま3球目を引っぱたいた。
 日本選手団のベンチには、早くも落胆した雰囲気が漂っていた。伊藤を勇気づけようと励ます仲間たちも、目に浮かぶ悲痛な色は隠せないでいた。

男子シングルス決勝、伊藤(手前)対シェラー


 しかし、伊藤の頭の中にはすでに、第3ゲームからの新しい作戦ができあがっていた。
 そのポイントは3つあった。

①攻めるコースをバックからミドルまでの範囲に限定する。カットの変化を付けられやすいフォア側は極力避けなければならない

②チャンスボールをただ待っていたのではらちが明かない。カットに対して最初から威力あるループドライブで攻め、甘く浮かせてからバックを目掛けてスマッシュを打ち込む

③バックに大きく動かされたときに、無理にフォアで回り込まずにツッツキでつなぎ、シェラーを前に寄せてから、またドライブでチャンスを作り出す

 大津監督や田舛総務も、同じ意見だった。
 とにかく相手にのまれず、戦略と戦術を徹底させて伊藤流のペースをつくっていくことである。シェラーには、総勢6,000人の地元の大観衆がついていた。ヨーロッパからは、1953年(ハンガリーのシド)以来男子シングルスの世界チャンピオンが出ていない。シェラーの応援に観客の熱が入るのも、無理からぬことだった。
 一方、日本選手団は男女合わせても40名程度に過ぎない。普通なら、気後れして当然だろう。
 伊藤は、ゆっくりとした足取りでコートに戻った。床を踏みしめて一歩進むごとに、伊藤優位のイメージの世界に入っていくかのような、しっかりした歩き方だった。

逆転劇

 第3ゲームが始まった。驚いたことに、戦術を転換しただけで、あれほど苦しかったフットワークに見違えるような余裕が出てきた。それだけにスマッシュチャンスも逃すことなく、シェラーの堅陣を的確に打ち抜くことができ、このゲームで初めて伊藤リードのうちに終盤を迎えた。

 20-17

 ところが、心のどこかに緩みが生じたのだろう。伊藤はここでスマッシュミスを重ねた。

 20-19

「20オールに持ち込まれたら、俺の負けだ」
 伊藤の目の前が白くなった。マラソンレースのゴール前で併走者に追い付かれ、振り切り損なったランナーと同じで、ばん回された側がもう一度引き離して勝つのは、追い抜いて勝つより困難である。
「次の1本が勝負だ。これを取れば絶対に第4、第5ゲームも取れる。腹をくくって、この1本に俺のこれまでの卓球人生を懸けるしかない」
 伊藤が出したのは、バックミドルへの下回転サービスだった。シェラーは低い軌道のカットでクロスに返してくる。伊藤は素早く回り込み、強ドライブを仕掛けた。
 1球、2球......。
 チャンスはなかなかやって来ない。それならばと伊藤は、次のボールをツッツき、シェラーをいったん前陣に引き寄せてから再びドライブで攻めた。
 この揺さぶりが効いて、カットがようやく浮いて返ってきた。伊藤は、全身の力を込めて強打した。彼が放ったのは、フォアクロスへの重いスマッシュボールだった。一発で抜けはしなかったが、次のボールはやや短く、浮いてミドルに返ってきた。しかも、シェラーは剛球をしのいだ後で、体勢を崩している。
「しめた!」
 伊藤は、シェラーのフォアにとどめのスマッシュを打った。
「うっ」
 伊藤は自分の目を疑った。またもやシェラーのラケットが、ボールの軌道を断ったのだ。
 ボールは伊藤を嘲(あざ)笑うかのように、ゆっくりと深くに飛んできた。
「入るな。絶対に入らないでくれ!」
 伊藤は、スマッシュを打ち終えたフォロースルーの体勢のままだった。絶対に打ち抜けると確信していたために、次球に備えてニュートラルの位置に戻るという初歩的なことを忘れてしまったのだろうか。いや、渾身(こんしん)の力を込めて強打したために、基本姿勢に戻りたくても手足が思うように動かなかったのかもしれない。
「あのボールが入っても、もう取れない。頼む、入ってくれるな」
 伊藤は祈るような気持ちだった。
 ボールは、テーブルからほんの数センチほどのところでアウトした。伊藤はパシッと左手で受け止めて胸をなで下ろし、走ってベンチに戻った。
 何よりも、心の緩みを戒めなければならなかった。試合では、豪快なスマッシュを決めてやろうと格好を付けたり、必要以上に勝ちを意識したりといった雑念を抱いてはならない。本当の敵はシェラーではなく、自分自身だったのだ。2度と第3ゲームの轍(てつ)を踏んではいけない。無欲無心になるのだ。体を鍛え込んだ伊藤にとって、疲労は必ずしもマイナス要素にはならない。むしろ、体から無駄な力みを取り除いてくれるはずである。
 第4ゲームに入った伊藤の耳には、会場全体にとどろく喚声も聞こえなくなった。意識の中に存在しているのは、シェラーと伊藤自身だけだった。試合は終始伊藤のリードで進み、21点目も1本でものにした。

 21-16

 伊藤にとって精神的に苦しかったのは、リードしてスコアに大きく差を付けた、最終ゲームだった。第3、第4ゲームを伊藤に取られて焦ったシェラーが、無理な反撃に転じて自らペースを崩し、前半で一気に10点近くもの差がついてしまったのである。

 4-1、8-2、11-4。

「これだけリードしているんだ。もう追い付かれることはないだろう。少しくらい楽をしたって......」
 疲労も手伝って、こんな雑念が心のすき間に入り込んでくる。

 14-6、18-7。

「いや、駄目だ。第3ゲームであれだけ苦しんだじゃないか。最後の1点を取るまで、絶対に気を抜いてはいけない」
 もう一人の自分が、弱い心と疲れた体をむち打つ。ゲームの後半には、シェラーの存在さえも意識から消え去ってしまい、ただただ自分との戦いになった。伊藤が1本取るたびにシェラーが取り返す攻防が繰り返された。しかし、シェラーもすでに疲労の極限にあって、伊藤の葛藤と動揺に付け入ることができない。ゲームは10点の差を保ったまま、20-9でマッチポイントとなった。
 伊藤は、斜め上回転サービスをミドル前に出し、フォアに返ってきたボールを全力でスマッシュした。次の瞬間、伊藤はもうガッツポーズをしながら相手コートに走り寄り、シェラーに握手を求めていた。最後はすべて、思い描いたシナリオ通りだった。長い苦闘の末、ついに世界チャンピオンの栄冠を手にしたのである。

第5ゲーム、伊藤のスマッシュ


 チームメートや記者、カメラマンがどっと押し寄せ、伊藤はあっという間にもみくちゃにされた。誰かに抱き上げられて優しい言葉を投げかけられたとき、初めてほおを熱いものが伝った。
 恍惚(こうこつ)として勝利に酔いしれる伊藤には、もう、何が何だか分からなかった。女子選手の泣き顔が見える。長谷川や河野をはじめとする男子選手の顔も、今にも崩れそうだ。監督やコーチがうんうんと何度もうなずいているのも、目の奥で感じられた。

シェラーとの死闘を終え、報道陣に囲まれる


 そんな中で伊藤は、脳裏にちらつくある面影を追っていた。故郷で待つ、母の小さな姿だった。
 キャプテンとしての、そして日本チャンピオンとしての責任を果たせたのだ。これで胸を張って日本に帰れる。卓球の道に進むことを許してくれたおふくろに、やっと恩返しができたんだ。
 初めてラケットを握ったときのこと、思うように卓球ができなかった就職時代、無名選手として屈辱を味わった専修大入学当初、長谷川の世界選手権大会優勝を機に生まれ変わってからの選手生活。その陰にいつも母の姿があった。母親が支えてくれていなければ、今の伊藤はなかった。
 各国の旗が打ち振られ、伊藤の大健闘をたたえる観客の拍手は、いつまでも鳴りやまなかった。
 球史を革新したドライブ強打王、伊藤繁雄。その名は、これから先も世界の卓球人に長く語り継がれていくに違いない。
(完)




Profile 伊藤繁雄 いとうしげお
1945年1月21日生まれ。山口県新南陽市出身。
1969年世界卓球選手権ミュンヘン大会男子シングルス優勝。
うさぎ跳びが5kmできた全身バネのようなフットワークから繰り出されるスマッシュとドライブの使い分けは球歴に残る。3球目を一発で決める強ドライブ、曲がって沈むカーブドライブなどは伊藤が技術開発し世界に広まった。

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