第一章 わが卓球の創造 -選手、役員時代-
五 日本卓球協会(沼主事)からの返事
柳井卓球協会
田舛彦介様
拝啓 益々御勇健之候奉賀候。陳者今般卓球神宮競技種目除外に関し、御元気に満ちた至当至言之電報なり御手紙なりにて御恵送下され御激励の程感激の事に存じ候。それを思ひ、これを察し全国の声を聞き、当初より悪戦苦闘せしも、何れも効なく今日の悲運に遭遇し、全国数百万卓球マンに対し誠に申譯なく痛感罷在候。
今一〇年若かりせば…せしならんも、刀折れ矢盡き意気地なき敗退に終りたるを思へば、小生個人としては最早や卓球界を御世話す可き資格を喪失せるものと自認仕り居り候。卓球役員生活十八年を顧みるとき、今日程くやしき涙を流せし事無之候。
事件の真相は此に詳細御報告申上たくも又全国卓球マンの声を力に更に一戦す可き当然ならんも良かれ悪かれ現時の態勢に於ては何等効力なく寧ろ全国数百万卓球マンに累を及ぼすを虞れ居る次第にて、空しく御推察の程願上候。
此の時局に神宮大会開催を軍部に懇願せし厚生省が、軍部の要求に迎合し、而も行き過ぎに陥り、而も時局便乗主義的な文部省体育局の威圧に屈して今日の幣を惹起せしものにして、他にも悪条件は山積致し居り、何れ評議員会等に於て委細報告仕り候と存じ候。唯一言、政府が其の権力を悪用する今日より悪きはないと思はれますが、言論の自由を完全に束縛された今日、いい度くも言へない心情御推察下され度候。折悪しく最も重大なるときに宇佐川会長海軍病院に入院手術仕り、目下入院中にて、何れ退院後本部理事会開催、善後策及今後の方針に就き協議仕る可きも、御期待に添ふ事は小生個人の考へにては殆ど望なきものと存じ居候。
除外組、卓球とホッケー、重量挙等連絡協議、体協、厚生省への運動は当然なされたるも、体協の無力、而も其の崩壊を企画し居る厚生省の力は、ホッケー会長後藤文男氏が憤慨碩に接衝しても軽くいなされた現在に於ても御想像し得る如し。又体協の無力と末広理事長の去勢せられたるが如き状態に於ては、何等の役に立たず、小生など唯貴重なる時間を空費したに過ぎざる、せんなき状態に有之候。
唯一言附加したきは実際種目の選擇を致せしは厚生省人口局体練課の中川事務官にして、局長、課長の新参なりを好機として…独断強行省議を決定せしめし次第にて、ある力にて当然過ぎる説明も理由も抗議も議論も総て没却せしめらるる以上、独り卓球の件のみならず、国民の帰趨に迷ふが如き現況空しく、御洞察願上候。
次に戸外卓球の件に関しては、貴説も充分諒解し得る所に有之候も技術を離れて厚生、保健の見地より戸外への進出も当然と存じ、且政策的の理由も加味せられ居り候。最も都市に於て、近時街の卓球場の激増と隆盛が、種々の幣害を伴ひ、之が匤正上へも、又国民学校の児童に卓球を植付ける上にも小学校を利用せしむる点よりも種々考究の結果、戸外卓球の奨励も亦必要なる事に想到し、今後の発展を期待せし次第にて、従来の方針を変へしものにては無之、更に加ふるに戸外卓球の進出と相成りしものにて、卓球を根底より覆すが如き虞れあるものにては無之候。
本日事務所に寄った機会に於て、一言御挨拶申上可きと存じ、乱筆ながら而も要領よく書き得ざるを遺憾に思ひつつ一筆啓上仕りし次第に有之候。小生愚考仕るに茲一、二年の間は卓球は受難時代にして而も教会としては、或は手も足も出なき無意味な存在となるやも知れず、其の間を全国各地に於ける教会に於て其の地域を堅むれば、又花咲く春も訪れるものと期待致す一方、文部省、厚生省の無責任なやりかたが禍すると卓球界の相貌は一変し卓球其のものの墜落を見る虞れ有之可と存じ候。
小生個人としては、最早心身共に疲れ果て、挽回の意志も気力もなき現状故、評議員会なりに於て引退を要求せることを希望いたし居り候ふも、此の不始末に際して自ら進退を決するは余りに卑怯の如く考へられ、暫らく席を汚し居る次第にて、哀状御諒察願上候。
全国よりの手紙其他読む勇気なく、返事も頭痛致居り候も貴台の御激励には何等か御挨拶さねばならぬ、と考へ申候、御判読を賜はらば幸甚に御座候。
昭和十六年九月二十四日 沼正治
(註)
昭和十六年九月、明治神宮国民体育大会から、野球、卓球、庭球、ホッケー、重量挙の五種目除外が発表され、かわって柔剣術や土のう運び等の運動が加えられた。
私は直ちにその真相究明のため、日本卓球協会会長職務を代行されていた沼正治主事(専務理事)に再三にわたり、批判と共に激励の電報や手紙を送った。それに対して頂いた返事の一つがこれであった。
戦時中の国民スポーツ祭典であった明治神宮大会は、軍部の圧迫で文部省、厚生省がまず外来スポーツの除外に走った、ということだが、その内情を沼氏は説明されたわけだった。
卓球が当局側に柔弱なスポーツとして誤解される理由の一つは、町の卓球場における遊戯性にもあったようで、当時の卓球場はスポーツのイメージからほど遠いものもあった。戸外卓球というアイディアが日本卓球協会の中から生まれたのも、そのイメージの打破からでもあった。
私は戸外卓球には反対で、卓球の自殺行為にならぬか、と心配し、批判もした。このような熱烈な私の手紙に対しての沼さんからの手紙は、その後も何回か継続した。文部省や厚生省にも激しい手紙を何回か送った。しかし遂に返事はなかった。返事のかわりに私の身辺を憲兵が思想調査をはじめた。先輩たちが心配し事なきをえたが。
[卓球レポートアーカイブ]
「卓球は血と魂だ」 第一章 五 日本卓球協会(沼主事)からの返事
2013.05.13
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