「日本の友人と世界の卓球界に『三十六計と卓球』を捧げる」 荘則棟
第十五計 調虎離山 (虎を山から離れさす)
虎を山から平地に誘い出す。自分には有利だが敵には不利な場所へ
相手を誘いこみ、山による虎の威勢を取り除いてから相手と戦う。
古代戦術の例
東漢安帝元年(紀元114年)、玉門関(ぎょくもんかん・現在の甘粛省敦煌北西)の西側に住む羌人(きょうじん)が氾乱を起こし、武都郡(ぶとぐん)を攻め落とし、略奪しようとたくらんでいた。
鄧太后(とうたいごう)は、将軍の才能を有し、かつ計略豊富な虞詡(ぐきょ)を武都郡太守に命じ、兵3000人を率いて反乱の平定に当たらせた。
このとこを知った羌人は数千名の兵を出し、陳倉崤谷(ちんそうしょうこく・現在の陜西省宝鶏南西)一帯で虞詡の部隊を待ち構えていた。
虞詡は敵の兵力が強大で、しかも有利な地形を利用しているため、強引な攻めは禁物と考え、すぐには攻撃を仕掛けず、少し離れたところで部隊を駐屯させた。
彼は兵士達に命じて大声で「我々はすでに援軍を朝廷に求めた。援軍がきたら直ちにおまえらと死の決戦をするぞ」と叫ばせた。これを聞いた羌人の兵士達は本当だと信じ込み、漢王朝の援軍がくる前に、近くの各村で財宝を略奪することにした。
虞詡は敵が兵力を分散したこの時を見計らい、部隊に昼夜兼行の強行軍を命じ、進軍の途中でかまどをたくさんつくり、いかにも援軍がしたかに見せかけ、敵軍が安易に追撃してこないようにした。
虞詡は武都郡に着くと兵士を十分休ませ、土気は高揚していた。
一方、羌人の兵士達は長期間の遠征のため疲れ果てており、漢軍の状況がよくわからないため、怯えているものもいた。
いよいよ成県南西の赤亭での一戦が始まった。
虞詡の率いる将兵は猛虎のごとく羌軍に襲いかかった。羌軍は反撃すらできず大敗して死体の山を築き、生き残った将兵は一目散に逃げていった。
卓球における応用例
'50年代から'70年代末までの中国卓球チームの打法は、百花斉放(ひゃっかせいほう)、百家争鳴(ひゃっかそうめい)、の時代であった。
独特なペンタイプの右攻撃左プッシュ、中前陣両面快速打法、ペンタイプの守備型、シェークタイプの守備型と攻撃型、攻守結合型、ペンタイプのループドライブ攻撃と快速攻撃型、シェークタイプのループドライブ打法などである。
しかし日本チームは比較的単調なループドライブ打法である。
中国のこのような布局は優勢を潜んでいる。日本チームが中国の打法を破ってもまだ二があり、二を破っても三があり、三を破っても四があり、梯子のようにどんどん出てくる。全部破るためには勢力を分散し、かつ数多く戦わなければならず、おのずとその勢力は強から弱へと化する。
中国選手が日本の比較的単調な打法の選手を破る場合、神経は集中でき、一を破れば百を破るがごとく、一に通用すれば全部に通用する。
中国選手が数種類の打法で相手と戦う場合、車輪戦(多人数で一人の相手に順番に挑戦し、疲れさせてしまうこと)を行なっているのと同じで、相手はなかなか適応できない。
百花斉放・百家争鳴の方針は、相手に多面作戦を強要し、勢力を分散させることになる。
中国の方法は、労力を半分使うだけで成果は倍になるが、相手は労力を倍使っても成果は半分しか得られない。
感想
1.客観的な条件と環境は非常に重要である。俗に言う「役人は官印に頼り、虎は山に頼る」、「虎が平野に出てくると犬にもバカにされる」は客観的条件の重要性を物語っている。
したがって、自分には有利で敵には不利な地理的条件を選び、虎のよりどころとなる山をなくし、その勢いを削れば、自然に虎の威風もなくなる。
2.鷹の一撃は百鳥がいくら真似しても、その勢いには勝てない。虎の怒りは百獣が競っても、その威風には勝てない。したがって敵の最も得意とするところを避け、最も弱いところを選び、そこを打つことが肝要である。
3.誘惑または力によって敵を有利な環境から切り離す。例えば鮫が水から出てしまうと、その威力は全く発揮できないのと同じである。敵が再び有利になった場合、強引に攻めることは卵で石を打つのと同じで、愚か者のやることである。
東漢安帝元年(紀元114年)、玉門関(ぎょくもんかん・現在の甘粛省敦煌北西)の西側に住む羌人(きょうじん)が氾乱を起こし、武都郡(ぶとぐん)を攻め落とし、略奪しようとたくらんでいた。
鄧太后(とうたいごう)は、将軍の才能を有し、かつ計略豊富な虞詡(ぐきょ)を武都郡太守に命じ、兵3000人を率いて反乱の平定に当たらせた。
このとこを知った羌人は数千名の兵を出し、陳倉崤谷(ちんそうしょうこく・現在の陜西省宝鶏南西)一帯で虞詡の部隊を待ち構えていた。
虞詡は敵の兵力が強大で、しかも有利な地形を利用しているため、強引な攻めは禁物と考え、すぐには攻撃を仕掛けず、少し離れたところで部隊を駐屯させた。
彼は兵士達に命じて大声で「我々はすでに援軍を朝廷に求めた。援軍がきたら直ちにおまえらと死の決戦をするぞ」と叫ばせた。これを聞いた羌人の兵士達は本当だと信じ込み、漢王朝の援軍がくる前に、近くの各村で財宝を略奪することにした。
虞詡は敵が兵力を分散したこの時を見計らい、部隊に昼夜兼行の強行軍を命じ、進軍の途中でかまどをたくさんつくり、いかにも援軍がしたかに見せかけ、敵軍が安易に追撃してこないようにした。
虞詡は武都郡に着くと兵士を十分休ませ、土気は高揚していた。
一方、羌人の兵士達は長期間の遠征のため疲れ果てており、漢軍の状況がよくわからないため、怯えているものもいた。
いよいよ成県南西の赤亭での一戦が始まった。
虞詡の率いる将兵は猛虎のごとく羌軍に襲いかかった。羌軍は反撃すらできず大敗して死体の山を築き、生き残った将兵は一目散に逃げていった。
卓球における応用例
'50年代から'70年代末までの中国卓球チームの打法は、百花斉放(ひゃっかせいほう)、百家争鳴(ひゃっかそうめい)、の時代であった。
独特なペンタイプの右攻撃左プッシュ、中前陣両面快速打法、ペンタイプの守備型、シェークタイプの守備型と攻撃型、攻守結合型、ペンタイプのループドライブ攻撃と快速攻撃型、シェークタイプのループドライブ打法などである。
しかし日本チームは比較的単調なループドライブ打法である。
中国のこのような布局は優勢を潜んでいる。日本チームが中国の打法を破ってもまだ二があり、二を破っても三があり、三を破っても四があり、梯子のようにどんどん出てくる。全部破るためには勢力を分散し、かつ数多く戦わなければならず、おのずとその勢力は強から弱へと化する。
中国選手が日本の比較的単調な打法の選手を破る場合、神経は集中でき、一を破れば百を破るがごとく、一に通用すれば全部に通用する。
中国選手が数種類の打法で相手と戦う場合、車輪戦(多人数で一人の相手に順番に挑戦し、疲れさせてしまうこと)を行なっているのと同じで、相手はなかなか適応できない。
百花斉放・百家争鳴の方針は、相手に多面作戦を強要し、勢力を分散させることになる。
中国の方法は、労力を半分使うだけで成果は倍になるが、相手は労力を倍使っても成果は半分しか得られない。
感想
1.客観的な条件と環境は非常に重要である。俗に言う「役人は官印に頼り、虎は山に頼る」、「虎が平野に出てくると犬にもバカにされる」は客観的条件の重要性を物語っている。
したがって、自分には有利で敵には不利な地理的条件を選び、虎のよりどころとなる山をなくし、その勢いを削れば、自然に虎の威風もなくなる。
2.鷹の一撃は百鳥がいくら真似しても、その勢いには勝てない。虎の怒りは百獣が競っても、その威風には勝てない。したがって敵の最も得意とするところを避け、最も弱いところを選び、そこを打つことが肝要である。
3.誘惑または力によって敵を有利な環境から切り離す。例えば鮫が水から出てしまうと、その威力は全く発揮できないのと同じである。敵が再び有利になった場合、強引に攻めることは卵で石を打つのと同じで、愚か者のやることである。
(翻訳=佐々木紘)
筆者紹介 荘則棟
1940年8月25日生まれ。
1961-65年世界選手権男子シングルス、男子団体に3回連続優勝。65年は男子ダブルスも制し三冠王。1964-66年3年連続中国チャンピオン。
「右ペン表ソフトラバー攻撃型。前陣で機関銃のような両ハンドスマッシュを連発するプレーは、世界卓球史上これまで類をみない。
1961年の世界選手権北京大会で初めて荘則棟氏を見た。そのすさまじいまでの両ハンドの前陣速攻もさることながら、世界選手権初出場らしからぬ堂々とした王者の風格は立派であり、思わず敵ながら畏敬の念をおぼえたものだ。
1987年に日本人の敦子夫人と結婚。現在卓球を通じての日中友好と、『闖と創』などの著書を通じて、卓球理論の確立に力を注いでいる」(渋谷五郎)
1940年8月25日生まれ。
1961-65年世界選手権男子シングルス、男子団体に3回連続優勝。65年は男子ダブルスも制し三冠王。1964-66年3年連続中国チャンピオン。
「右ペン表ソフトラバー攻撃型。前陣で機関銃のような両ハンドスマッシュを連発するプレーは、世界卓球史上これまで類をみない。
1961年の世界選手権北京大会で初めて荘則棟氏を見た。そのすさまじいまでの両ハンドの前陣速攻もさることながら、世界選手権初出場らしからぬ堂々とした王者の風格は立派であり、思わず敵ながら畏敬の念をおぼえたものだ。
1987年に日本人の敦子夫人と結婚。現在卓球を通じての日中友好と、『闖と創』などの著書を通じて、卓球理論の確立に力を注いでいる」(渋谷五郎)
本稿は卓球レポート1993年9月号に掲載されたものです。