「日本の友人と世界の卓球界に『三十六計と卓球』を捧げる」 荘則棟
第十六計 欲擒故縦 ("とらえる"ために先ず"はなつ")
「擒(とらえる)」ことが目的で、「縦(はなつ)」は手段である。
「手段」はあくまで「目的」を達成するために奉仕するのである。
「縦」は虎を放して山に帰らすことではなく、目的を持って少し手を緩めることである。
すなわち「追い詰められた犬は壁を飛び越える」、
また「追い詰められた猛獣は闘争心が強く、最後の力を振り絞って向って来る」、
故に急いで事を成し遂げようとするほど失敗する。
したがって「縦」の目的は徹底的に敵を捕らえることである。
古代戦術の例
三国時代の蜀漢(しょくかん)建興3年(紀元225年)、健寧の太守である雍闓(ようがい)は孟獲(もうかく)と結託し反旗をあげた。
諸葛亮(しょかつりょう)は蜀兵(しょくへい)50万を率い、趙雲(ちょううん)と魏延(ぎえん)を大将とし、一路南中へ向かった。
先(ま)ず雍闓を撃ち破り、かつ数回にわたって孟獲を捕らえた。しかし孟獲は捕らわれたことを不服とせず、「山道が狭いため自分の能力が発揮できなかった」とか、「誰かが自分を裏切った」などと理由づけた。
諸葛亮は再度孟獲を放ち、結局7回放して7回捕らえたのである。
孟獲は最後感銘を受け、心から諸葛亮を尊敬し、彼の下へ投降した。
諸葛亮が孟獲を7回放して7回捕らえたのは、職権乱用や名誉のためではない。
諸葛亮は敵軍の大将を征服することにより、敵軍兵士の心をとらえたのだ。
諸葛亮は孟獲を放した後、毎回自軍の兵士を尾行させ、敵軍の状況や地理的条件を探索した。それによって行軍時の死傷者を最小限に止(とど)めることができた。
当時、諸葛亮は中原(ちゅうげん)を征服する計画を立てていた。しかし、出軍にあたっては強固で信頼でき、かつ安定した後方地区が必要であった。
出軍後に孟獲らに反乱を起こされたのでは、前も後ろも敵に攻められることになる。
中原を強引に征服すれば、一時的な平定は可能であるが、長くは続かない。
この場合、人の心を攻めることが最善の策である。敵を友と化し、自軍の力を増強し、後方の心配事を取り除くのである。
したがって、諸葛亮が孟獲を7回放して7回捕らえたのは、深い戦略的意義を持っていたのである。
卓球における応用例
スポーツマンの選手寿命は短い。この短い選手寿命の中で、最高の成績を勝ち取るには、時間を十二分に利用し、訓練に打ち込み、自分を充実させることである。
また最大限にチャンスを利用して優秀な成績をあげ、自分を発展させ大きく成長することである。
しかし遺憾(いかん)ながら、"欲擒故縦"という計略は、人によっては知らず知らずのうちに仲間に対処する策となっている。
例えば、日頃の訓練において、仲間の欠点を見つけても口に出さない、あるいは故意に言わない。その結果、仲間も自分も技術のレベルアップがなかなかできない。
共同訓練は、互いに錬磨し、各々が相手の技を磨く砥石(といし)である。仲間の欠点を指摘しないと、仲間はそれを悟れない。その結果大事な事業を台無しにするのである。
このような考え方がスポーツマンの脳裏にある限り、白アリに腐食された樹木の如く事業は駄目になる。
(1)一部の指導者には、技術検討会などを積極的に推し進める研究熱心さが欠けている。
(2)一部の選手には、仲間の技術的欠点や間違いなどは、コーチや監督が指導する事柄であり、自分はただの選手でその責務がなく、煩(わずら)わしいことには関知しないというような間違った考え方を持っている。
(3)"盲従主義(盲目的に従うこと)"。一部の選手は自信や独立性に欠け、人に手を取ってもらわないと道も歩けない。このような人間は根底から改造しない限り、何の実績も残せないであろう。
また一部の選手はコーチや監督の指示のみ従い、平伏し、それによって信頼され、自分が"得"をすると思っている。
確かにコーチや監督は相当豊富な経験を積んでいることは否定できない。
しかし客観的に見た場合、コーチや監督の全てが正しいとは限らないし、異なった意見を大胆に提起し、それを研究・分析・検討することにより、一致した見解を見出だすことが肝要である。
唐王朝時代の思想家韓愈(かんゆ)は、「師説」の中で「弟子が師匠と同じになる必要はない。また師匠が弟子より賢いとは限らない。学問には前後があり、技術には専門がある」と書いている。
(4)高尚な情操が欠けている。例えば自分の技術は相手より低いので、間違いや欠点を指摘しても、相手が受け入れてくれないだろう。あるいは"背伸び"して自分の力の程も分らずにと思われ、相手を傷付けるだろう。また、このような狭い考え方は素養の低さを物語っている。「自分の欠点を率直に指摘してくれる人は、恩師であり良友である」という哲理(てつり)を認識していないからである。
(5)嫉妬(しっと)心理。これは非常に陰湿で暗い心理である。自分が仲間に追い抜かれることを恐れ、仲間との関係は、"お前は死す、我のみが生きる"存亡のみの関係と見なし、事業を成し遂げる友達関係ではない。
嫉妬は悪を助長し、進歩を抑圧する卑劣な情欲であり、前進における悪魔である。
感想
1.縦(はなつ)と擒(とらえる)は、首尾呼応(しゅびこおう)し、リンクして用いる。
2.縦と擒は対立した形式だが、統一しており、相反しかつ相成っている計略である。
3.縦は生きる道があるように見せかけ、包囲網は一カ所のみ開いており、放任させるのではない。また虎を山に帰すものでもない。
4.日常は厳しく管理し、厳しく要求し、厳しく訓練する。またその厳しさは合理的であること。
選手の悪い事柄に対しては決して放任してはならない。平素放任に慣れてしまうと。試合の時にその悪い癖が出てくる。これはコーチや本人も抑えることができなくなる。
厳しく要求する"擒"は愛情であり、自由放任の"縦"は害である。溺愛(できあい)により蒔(ま)いた種は、最終的には苦い実しか収穫できない。
5.用兵の技は手綱(たづな)を緩めたり強めたりすることである。緊張した試合の前に、体をリラックスさせることは科学的なリズムであり、次の段階においてさらに大きな戦闘力を発揮するためである。
リラックスと放任は本質的に異なり、混同してはならない。
6.縦は放任、麻痺(まひ)、職権乱用ではない。
三国時代の蜀漢(しょくかん)建興3年(紀元225年)、健寧の太守である雍闓(ようがい)は孟獲(もうかく)と結託し反旗をあげた。
諸葛亮(しょかつりょう)は蜀兵(しょくへい)50万を率い、趙雲(ちょううん)と魏延(ぎえん)を大将とし、一路南中へ向かった。
先(ま)ず雍闓を撃ち破り、かつ数回にわたって孟獲を捕らえた。しかし孟獲は捕らわれたことを不服とせず、「山道が狭いため自分の能力が発揮できなかった」とか、「誰かが自分を裏切った」などと理由づけた。
諸葛亮は再度孟獲を放ち、結局7回放して7回捕らえたのである。
孟獲は最後感銘を受け、心から諸葛亮を尊敬し、彼の下へ投降した。
諸葛亮が孟獲を7回放して7回捕らえたのは、職権乱用や名誉のためではない。
諸葛亮は敵軍の大将を征服することにより、敵軍兵士の心をとらえたのだ。
諸葛亮は孟獲を放した後、毎回自軍の兵士を尾行させ、敵軍の状況や地理的条件を探索した。それによって行軍時の死傷者を最小限に止(とど)めることができた。
当時、諸葛亮は中原(ちゅうげん)を征服する計画を立てていた。しかし、出軍にあたっては強固で信頼でき、かつ安定した後方地区が必要であった。
出軍後に孟獲らに反乱を起こされたのでは、前も後ろも敵に攻められることになる。
中原を強引に征服すれば、一時的な平定は可能であるが、長くは続かない。
この場合、人の心を攻めることが最善の策である。敵を友と化し、自軍の力を増強し、後方の心配事を取り除くのである。
したがって、諸葛亮が孟獲を7回放して7回捕らえたのは、深い戦略的意義を持っていたのである。
卓球における応用例
スポーツマンの選手寿命は短い。この短い選手寿命の中で、最高の成績を勝ち取るには、時間を十二分に利用し、訓練に打ち込み、自分を充実させることである。
また最大限にチャンスを利用して優秀な成績をあげ、自分を発展させ大きく成長することである。
しかし遺憾(いかん)ながら、"欲擒故縦"という計略は、人によっては知らず知らずのうちに仲間に対処する策となっている。
例えば、日頃の訓練において、仲間の欠点を見つけても口に出さない、あるいは故意に言わない。その結果、仲間も自分も技術のレベルアップがなかなかできない。
共同訓練は、互いに錬磨し、各々が相手の技を磨く砥石(といし)である。仲間の欠点を指摘しないと、仲間はそれを悟れない。その結果大事な事業を台無しにするのである。
このような考え方がスポーツマンの脳裏にある限り、白アリに腐食された樹木の如く事業は駄目になる。
(1)一部の指導者には、技術検討会などを積極的に推し進める研究熱心さが欠けている。
(2)一部の選手には、仲間の技術的欠点や間違いなどは、コーチや監督が指導する事柄であり、自分はただの選手でその責務がなく、煩(わずら)わしいことには関知しないというような間違った考え方を持っている。
(3)"盲従主義(盲目的に従うこと)"。一部の選手は自信や独立性に欠け、人に手を取ってもらわないと道も歩けない。このような人間は根底から改造しない限り、何の実績も残せないであろう。
また一部の選手はコーチや監督の指示のみ従い、平伏し、それによって信頼され、自分が"得"をすると思っている。
確かにコーチや監督は相当豊富な経験を積んでいることは否定できない。
しかし客観的に見た場合、コーチや監督の全てが正しいとは限らないし、異なった意見を大胆に提起し、それを研究・分析・検討することにより、一致した見解を見出だすことが肝要である。
唐王朝時代の思想家韓愈(かんゆ)は、「師説」の中で「弟子が師匠と同じになる必要はない。また師匠が弟子より賢いとは限らない。学問には前後があり、技術には専門がある」と書いている。
(4)高尚な情操が欠けている。例えば自分の技術は相手より低いので、間違いや欠点を指摘しても、相手が受け入れてくれないだろう。あるいは"背伸び"して自分の力の程も分らずにと思われ、相手を傷付けるだろう。また、このような狭い考え方は素養の低さを物語っている。「自分の欠点を率直に指摘してくれる人は、恩師であり良友である」という哲理(てつり)を認識していないからである。
(5)嫉妬(しっと)心理。これは非常に陰湿で暗い心理である。自分が仲間に追い抜かれることを恐れ、仲間との関係は、"お前は死す、我のみが生きる"存亡のみの関係と見なし、事業を成し遂げる友達関係ではない。
嫉妬は悪を助長し、進歩を抑圧する卑劣な情欲であり、前進における悪魔である。
感想
1.縦(はなつ)と擒(とらえる)は、首尾呼応(しゅびこおう)し、リンクして用いる。
2.縦と擒は対立した形式だが、統一しており、相反しかつ相成っている計略である。
3.縦は生きる道があるように見せかけ、包囲網は一カ所のみ開いており、放任させるのではない。また虎を山に帰すものでもない。
4.日常は厳しく管理し、厳しく要求し、厳しく訓練する。またその厳しさは合理的であること。
選手の悪い事柄に対しては決して放任してはならない。平素放任に慣れてしまうと。試合の時にその悪い癖が出てくる。これはコーチや本人も抑えることができなくなる。
厳しく要求する"擒"は愛情であり、自由放任の"縦"は害である。溺愛(できあい)により蒔(ま)いた種は、最終的には苦い実しか収穫できない。
5.用兵の技は手綱(たづな)を緩めたり強めたりすることである。緊張した試合の前に、体をリラックスさせることは科学的なリズムであり、次の段階においてさらに大きな戦闘力を発揮するためである。
リラックスと放任は本質的に異なり、混同してはならない。
6.縦は放任、麻痺(まひ)、職権乱用ではない。
(翻訳=佐々木紘)
筆者紹介 荘則棟
1940年8月25日生まれ。
1961-65年世界選手権男子シングルス、男子団体に3回連続優勝。65年は男子ダブルスも制し三冠王。1964-66年3年連続中国チャンピオン。
「右ペン表ソフトラバー攻撃型。前陣で機関銃のような両ハンドスマッシュを連発するプレーは、世界卓球史上これまで類をみない。
1961年の世界選手権北京大会で初めて荘則棟氏を見た。そのすさまじいまでの両ハンドの前陣速攻もさることながら、世界選手権初出場らしからぬ堂々とした王者の風格は立派であり、思わず敵ながら畏敬の念をおぼえたものだ。
1987年に日本人の敦子夫人と結婚。現在卓球を通じての日中友好と、『闖と創』などの著書を通じて、卓球理論の確立に力を注いでいる」(渋谷五郎)
1940年8月25日生まれ。
1961-65年世界選手権男子シングルス、男子団体に3回連続優勝。65年は男子ダブルスも制し三冠王。1964-66年3年連続中国チャンピオン。
「右ペン表ソフトラバー攻撃型。前陣で機関銃のような両ハンドスマッシュを連発するプレーは、世界卓球史上これまで類をみない。
1961年の世界選手権北京大会で初めて荘則棟氏を見た。そのすさまじいまでの両ハンドの前陣速攻もさることながら、世界選手権初出場らしからぬ堂々とした王者の風格は立派であり、思わず敵ながら畏敬の念をおぼえたものだ。
1987年に日本人の敦子夫人と結婚。現在卓球を通じての日中友好と、『闖と創』などの著書を通じて、卓球理論の確立に力を注いでいる」(渋谷五郎)
本稿は卓球レポート1993年11月号に掲載されたものです。