二 コーチの哲学
ハ、忍耐で機会をつくる
一九六九年(昭和四四年)の世界選手権大会は西独のミュンヘンで開催された。私は総務という役割で日本選手団に随行していた。男子シングルスの決勝は、絶好調の守備主戦選手シェラー(西独)と伊藤繁雄の対決となった。
団体戦で優勝、男子複準決勝進出などで、その試合直前の伊藤選手はヘトヘトに疲れていた。直前に控え室で土間の上に大の字にへばっている伊藤選手を何人かの選手がマッサージをしていた。それでも楽天家ぶった伊藤選手は大きなオナラを出したり、女子選手に「鳥の肉を食いたい」と云って走らせたりしていたが、私は決勝が心配だった。
試合が始まったが伊藤の調子はよくない。シェラーのカットは好調で第一セットを失った伊藤に疲労とあせりが見えていた。伊藤はシェラーのバックを攻め、チャンスをフォアへスマッシュするが、やっと返したシェラーの返球は不安定ながらもよく切れており、伊藤の次のスマッシュのミスがつづいた。
私は遠くの観覧席から見ていられず、第二セットの終盤にベンチに入った。大津監督と話会った。「伊藤がバックやミドルにねばっている間はシェラーはミートしていない。伊藤のドライブは効いているが、フォアへ打つと変則球が返る…」と大津さんは分析する。私も同感。バックとミドルに徹底的にねばらせましょう、と合意した。二セット目も失って帰ってきた伊藤に二人で、その策戦を指示し、チャンスはバックに打て、と教え、第三セットに入った。ここがヤマだった。苦しいシーソーゲームを21-19で乗り切った。
五分休憩の間、次の戦略を大津さんと二人で伊藤選手の頭の中にくり返し叩き込んだ。「君のドライブはミドルとバックに打てば正解だ。よいスピンがかかって相手はミートしていないし、反撃はない。必ずチャンスがくるからじっくり待て。スマッシュはバックだ。フォアよりバックへ決めろ。そのうち必ず調子が出てくる。相手はあせりが出てきたぞ、自信をもっていけ」と。
一セット取ったことで、疲れの伊藤も落ちついてきた。指示通り第四セットは順調に進んだ。伊藤はよくねばり、チャンスを待ってバック、ミドルと決め、余裕が出たあとはフォアへ決めて勝った。
第五セットの伊藤は完全に復調、反対にシェラーはあせり凡失や反撃ミスも出て、伊藤大きくリード、後半の伊藤はフリーバッティングの様に打ちまくり、ベンチはあわてて手綱をしめる指示に出たほどだが、21-9で大勝したのである。
試合というものは、時にむずかしい変化をする。疲れた体をもってコートに出る前に、伊藤はもっと気力の集中に気をくばるべきであったのではなかろうか。また、シェラーは大魚を逃した。二セット先取したあと油断がたしかにあった。かさにかかった反撃も多すぎ、自ら自分のペースを乱した。七千人の大観衆がほとんどドイツ人、わがドイツの勝利を信じて疑わなかっただろう。彼らにとって、まったく劇的なこの大逆転は、この世のものと思われない悪夢だったろう。
翌日のあるドイツの新聞は、いやな記事を書いた。「伊藤は、五分間の休憩の時、興奮剤を飲んだ」というのだ。とんでもない。伊藤がのんだのは、シェラーと同じ清涼飲料だけだった。
この試合の問題は、選手もコーチも「忍耐」だった。じっと忍耐し、バック一途にねばる間に、集中力の回復などの変化が、少しずつ現われていったのである。
コーチと選手との関係は「信頼」でつながっている。その信頼はお互いの平素の行動や生活の中に育っていくものであり、選手の心の中に根をはっていくものだ。信頼をかち得ていないコーチが何を云っても叫んでも、選手はよい反応はしない。コーチと選手の間においても、卓球は血と魂なのだ、と思う。
[卓球レポートアーカイブ]
「卓球は血と魂だ」 第二章 二-ハ、忍耐で機会をつくる
2013.07.04
\この記事をシェアする/