今年のインターハイ、全国中学大会で片面に裏ソフトラバー、片面にアンチラバーのカットマン(以下アンチカットマン)が大活躍をした。
インターハイの男子シングルスのベスト4に3人、全国中学大会の女子シングルスのベスト4はなんと全員がアンチのカットマン。中学の女子シングルスは2年連続アンチのカットマンが優勝した。インターハイの学校対抗で見事2連勝を飾った柳川高校も、愛甲、田中、安永と3人のアンチカットマンが優勝の原動力となった。中学、高校では昨年以上にアンチカットマン旋風が巻き起こっている。
来年もアンチ旋風の可能性が高い
この調子でいくと来年のインターハイ、全国中学大会もアンチ旋風の可能性が高いと私は見る。その理由は主に3つある。
1つは、アンチのカットマンが年々増加の傾向にあること。2つ目は、アンチの選手の用具の研究が進んでいること。もう1つは、中、高校生の時点では、アンチでカットしたのか裏ソフトでカットしたのか見分けづらいこと、である。
インターハイの戦評の中でも少し述べたが、アンチのカットマンは、サービスやツッツキのときだけラケットを反転させるのではなく、レシーブはもちろんのことドライブに対してもラケットを反転させて鋭く変化をつける高等技術を使っている。また、攻撃がうまくなって、攻守の切りかえがスムーズになってきている。そのため、攻撃選手や同タイプのカットマンが、アンチのカットマンに甘いボールを返し一発で抜かれる場面を何度もみた。
このようなプレーを見て私は「変化にモロい選手、パワーのない選手、ドライブで粘れない選手、勇気のない選手は勝てない時代に突入した」と思った。と同時に「ますます基礎技術が大切」と痛切に感じた。
アンチのカットを数多く打つこと
アンチのカットマンに強くなるには、何といってもアンチのカットマンとたくさん練習をすることだ。
そして、まず粘る練習をすること。ドライブマンであればゆっくりドライブで粘る。表ソフトやイボ高の攻撃選手であればドライブをかけないで軽くはじいて粘る。カットマンであればツッツキで粘る。このとき50本ノーミスで粘るとか、100本ノーミスで粘る練習をする。レベルの高い選手なら1000本ノーミスで粘る、というように精神的な負荷を与えてやると効果が高い。目標本数が続いたときは自信がつく。平気で500本ノーミスで続けてられるようになったら、アンチのカットマンと対戦しても怖くなくなるだろう。
その他、ツッツキで粘る、ドライブマンであれば強いドライブ、イボ高の選手はプッシュで粘る、強打が何本も続けて入るか挑戦する。あるいは、裏ソフトとアンチ面のカットを交互に打って続ける練習やサービスから3球目攻撃、レシーブ練習などをやるとよい。
基礎をしっかり守って打ち返す
これらの練習をやるときに気をつけることは、どの技術も基礎をしっかり守ることだ。ミスが怖いからといって、ボールに当てるだけの小さいフォームで打つ選手がいるが、それでは手先だけで打つ将来性のないフォームになって成長しなくなってしまう。
右利きの選手がフォアハンドで粘るときは―正しい基本姿勢で構えて、腰をひねりながら右足に重心を移動する→ボールをからだにしっかり引きつける→打球するときは膝のバネと腰を使う。ボールをしっかり見る→ラケットを額のところまでしっかり振り切る―といった基礎をしっかり守って打つことが大切だ。
こうした基本に忠実なフォームを修得すると非常にラクに打てるのでミスが少なくなる。それとからだ全体で打つのでスピードが出る。一石二鳥だ。小さなフォームにならないように基礎をしっかり守って打つことを絶対に忘れてはいけない。
打球音、ラバーの光沢、インパクト、ボールの回転を見わけて打て!
アンチカットマンとやるとき、もう一つ気をつける大事なことがある。それは、どちらの面で打球したか見わけることだ。アンチ面と裏ソフト面を間違えた場合、変化の差が大きくすぐミスにつながる。手首、膝の使い方、振りの速さからの判断だけではアンチのカットを打つことはできない。どちらのラバーでカットしたかを見分けることが絶対に必要である。
最近のアンチは裏ソフトと見分けづらい。しかし、よく聞き、よくラバーの光沢を見ると、ラバーの質の違いから両方の違いが分かる。そのほかにもインパクト時のラケット角度、ラバーに当たってから飛び出すまでのボールの動き、カットのスピードなどからも判断できる。一日も早くアンチと裏ソフトの打球音とラバーの光沢などから両面を判断するコツを完全に覚えてしまうことが、アンチのカットを倒す大きな秘けつだ。その上で手首や膝の使い方による変化、などもよく見ながら打とう。
ボールのマークを見る
変化を正確に見分ける方法はまだある。対アンチ攻撃型のところでも述べたが、それはボールのマークを利用することだ。
よく切れたカットは、ボールの回転が鋭くマークがほとんど見えない。少ししか切れていないカットは、回転がゆっくりなのでよく見るとマークの回転がうっすらと分かる。ナックルボールは回転がほとんどないので、手元にきたときは青いマークがはっきり見える。
そのため、試合のとき攻撃選手はできるだけマークの色が濃い新しいボールを選ぶとよい。逆にアンチのカットマンは、マークがはっきりと見えない古いボールを選ぶと有利だ。勝つためには、試合前のボール権を決めるジャンケンから真剣にやる必要がある。
変化は絶対に分かる
今まで述べてきたことに気をつけて練習を続ければ、必ずアンチのカットに勝てるようになると思う。
4年前、私は初めて同音同色のアンチカットマンと試合をした。出足は打球面の判断がつかず、予想以上の変化差にひっかかった。しかし「必ず変化が分かるはずだ」と集中してやっているうち、わずかな音と色の違いが徐々に分かってきた。乾いた打球音、白っぽい光沢がアンチ。粘っこい音、沈んだ光沢が裏ソフト、と判断できた。ときどきは間違えたものの得意のドライブでカットに追い込み、後半になるに従ってミスが減る形で勝った。
初めての対戦でアンチを見わけられたのは、裏ソフトの打球音やラバーの光沢、インパクトのボールの弾み方を完全に把握していたため、それ以外はアンチと判断できたこと。それと普段から音に気をつけているため、打球音の違いに気づいたせいだ。
私は子供の頃何度もひどい中耳炎にかかり、左耳の鼓膜に穴が2つあいている。そのため正常な人の1/3しか聞こえない難聴で、今でも人と会話するときは相手の方に右耳を向けて話をする。その必要性から、普段の生活で「音」に注意をしている。これが試合中に音を聞き分けるトレーニングになっていたようだ。
方耳難聴のわたしでさえアンチの音の区別ができたのだから、目、耳の正常な選手が普段の生活から「音」に注意し、「物、色」をよく見るトレーニングをすればアンチの変化は必ずわかるようになると思う。
インターハイの男子シングルスのベスト4に3人、全国中学大会の女子シングルスのベスト4はなんと全員がアンチのカットマン。中学の女子シングルスは2年連続アンチのカットマンが優勝した。インターハイの学校対抗で見事2連勝を飾った柳川高校も、愛甲、田中、安永と3人のアンチカットマンが優勝の原動力となった。中学、高校では昨年以上にアンチカットマン旋風が巻き起こっている。
来年もアンチ旋風の可能性が高い
この調子でいくと来年のインターハイ、全国中学大会もアンチ旋風の可能性が高いと私は見る。その理由は主に3つある。
1つは、アンチのカットマンが年々増加の傾向にあること。2つ目は、アンチの選手の用具の研究が進んでいること。もう1つは、中、高校生の時点では、アンチでカットしたのか裏ソフトでカットしたのか見分けづらいこと、である。
インターハイの戦評の中でも少し述べたが、アンチのカットマンは、サービスやツッツキのときだけラケットを反転させるのではなく、レシーブはもちろんのことドライブに対してもラケットを反転させて鋭く変化をつける高等技術を使っている。また、攻撃がうまくなって、攻守の切りかえがスムーズになってきている。そのため、攻撃選手や同タイプのカットマンが、アンチのカットマンに甘いボールを返し一発で抜かれる場面を何度もみた。
このようなプレーを見て私は「変化にモロい選手、パワーのない選手、ドライブで粘れない選手、勇気のない選手は勝てない時代に突入した」と思った。と同時に「ますます基礎技術が大切」と痛切に感じた。
アンチのカットを数多く打つこと
アンチのカットマンに強くなるには、何といってもアンチのカットマンとたくさん練習をすることだ。
そして、まず粘る練習をすること。ドライブマンであればゆっくりドライブで粘る。表ソフトやイボ高の攻撃選手であればドライブをかけないで軽くはじいて粘る。カットマンであればツッツキで粘る。このとき50本ノーミスで粘るとか、100本ノーミスで粘る練習をする。レベルの高い選手なら1000本ノーミスで粘る、というように精神的な負荷を与えてやると効果が高い。目標本数が続いたときは自信がつく。平気で500本ノーミスで続けてられるようになったら、アンチのカットマンと対戦しても怖くなくなるだろう。
その他、ツッツキで粘る、ドライブマンであれば強いドライブ、イボ高の選手はプッシュで粘る、強打が何本も続けて入るか挑戦する。あるいは、裏ソフトとアンチ面のカットを交互に打って続ける練習やサービスから3球目攻撃、レシーブ練習などをやるとよい。
基礎をしっかり守って打ち返す
これらの練習をやるときに気をつけることは、どの技術も基礎をしっかり守ることだ。ミスが怖いからといって、ボールに当てるだけの小さいフォームで打つ選手がいるが、それでは手先だけで打つ将来性のないフォームになって成長しなくなってしまう。
右利きの選手がフォアハンドで粘るときは―正しい基本姿勢で構えて、腰をひねりながら右足に重心を移動する→ボールをからだにしっかり引きつける→打球するときは膝のバネと腰を使う。ボールをしっかり見る→ラケットを額のところまでしっかり振り切る―といった基礎をしっかり守って打つことが大切だ。
こうした基本に忠実なフォームを修得すると非常にラクに打てるのでミスが少なくなる。それとからだ全体で打つのでスピードが出る。一石二鳥だ。小さなフォームにならないように基礎をしっかり守って打つことを絶対に忘れてはいけない。
打球音、ラバーの光沢、インパクト、ボールの回転を見わけて打て!
アンチカットマンとやるとき、もう一つ気をつける大事なことがある。それは、どちらの面で打球したか見わけることだ。アンチ面と裏ソフト面を間違えた場合、変化の差が大きくすぐミスにつながる。手首、膝の使い方、振りの速さからの判断だけではアンチのカットを打つことはできない。どちらのラバーでカットしたかを見分けることが絶対に必要である。
最近のアンチは裏ソフトと見分けづらい。しかし、よく聞き、よくラバーの光沢を見ると、ラバーの質の違いから両方の違いが分かる。そのほかにもインパクト時のラケット角度、ラバーに当たってから飛び出すまでのボールの動き、カットのスピードなどからも判断できる。一日も早くアンチと裏ソフトの打球音とラバーの光沢などから両面を判断するコツを完全に覚えてしまうことが、アンチのカットを倒す大きな秘けつだ。その上で手首や膝の使い方による変化、などもよく見ながら打とう。
ボールのマークを見る
変化を正確に見分ける方法はまだある。対アンチ攻撃型のところでも述べたが、それはボールのマークを利用することだ。
よく切れたカットは、ボールの回転が鋭くマークがほとんど見えない。少ししか切れていないカットは、回転がゆっくりなのでよく見るとマークの回転がうっすらと分かる。ナックルボールは回転がほとんどないので、手元にきたときは青いマークがはっきり見える。
そのため、試合のとき攻撃選手はできるだけマークの色が濃い新しいボールを選ぶとよい。逆にアンチのカットマンは、マークがはっきりと見えない古いボールを選ぶと有利だ。勝つためには、試合前のボール権を決めるジャンケンから真剣にやる必要がある。
変化は絶対に分かる
今まで述べてきたことに気をつけて練習を続ければ、必ずアンチのカットに勝てるようになると思う。
4年前、私は初めて同音同色のアンチカットマンと試合をした。出足は打球面の判断がつかず、予想以上の変化差にひっかかった。しかし「必ず変化が分かるはずだ」と集中してやっているうち、わずかな音と色の違いが徐々に分かってきた。乾いた打球音、白っぽい光沢がアンチ。粘っこい音、沈んだ光沢が裏ソフト、と判断できた。ときどきは間違えたものの得意のドライブでカットに追い込み、後半になるに従ってミスが減る形で勝った。
初めての対戦でアンチを見わけられたのは、裏ソフトの打球音やラバーの光沢、インパクトのボールの弾み方を完全に把握していたため、それ以外はアンチと判断できたこと。それと普段から音に気をつけているため、打球音の違いに気づいたせいだ。
私は子供の頃何度もひどい中耳炎にかかり、左耳の鼓膜に穴が2つあいている。そのため正常な人の1/3しか聞こえない難聴で、今でも人と会話するときは相手の方に右耳を向けて話をする。その必要性から、普段の生活で「音」に注意をしている。これが試合中に音を聞き分けるトレーニングになっていたようだ。
方耳難聴のわたしでさえアンチの音の区別ができたのだから、目、耳の正常な選手が普段の生活から「音」に注意し、「物、色」をよく見るトレーニングをすればアンチの変化は必ずわかるようになると思う。
筆者紹介 長谷川信彦
1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960~70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960~70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1981年10月号に掲載されたものです。