時計を見ると5時15分。周りの人達に「お先に失礼します」を言い、玄関へ。そこからバスの停留所まで、かけ足である。一台乗りおくれたら、10分損をしてしまう。時間が時間だけに、バスのおそいことといったら、全くじれったい。早稲田(早大)に着くのは6時半頃。それから9時までがふたんの日の練習時間である。
社会人一年生になってから数カ月。予期していたことだったが、思うように卓球ができないということは本当につらいことだった。でも、人それぞれが与えられた環境の中で精一杯の努力をすればそれでいいのだというアマチュア・スポーツの鉄則を考えてみるならば、それは当然のことだと思う。世界選手権から帰った次の日から私の環境はガラリと変わった。(編集部注:ことしの世界選手権から帰った翌日の5月4日からゼネラル物産へ入社)変わらないのは卓球に対する愛着だけ。かえって今まで以上に好きになった気もする。卓球を始めたばかりの毎日、授業の終わるのが待ち遠しくて、終わるやいなや、大急ぎで体育館へ走って行き、一本でも多くボールを打とうとした中学時代がなつかしく思い出される。
◇“フォアハンドだけでも勝てるのだ”という自信
中高校時代の私は、一枚ラバーでフォアハンド・オンリーの卓球だった。そして、現在の裏ソフトに変えたのは、大学2年の時である。
私が早稲田大学に入学したのは、昭和34年4月。それまで4カ月ほど受験勉強のためほとんど練習をしていなかったから、入学が決定してからは、それまでのおくれを取りもどそうとして夢中になって練習した。思いきり卓球をやりたいという欲望も満たされ、どうせやるなら世界選手権の代表になるくらいまでやってみようという気持ちがおこっていた。
大学の練習は、やはり高校時代のものとはちがっていた。緊張した中で、みんな、積極的にやっている。「自分のための練習」というのが、新入生の私にはハッキリと感じとることができた。中高校時代は、ともすれば、監督やコーチの言いなりになりがちだったし、計画性がなかったように思う。なんでもそうだが、人がやれというからやるのではだめだ。自分から求めてやってこそ、進歩があるのだと思う。卓球のもつ特殊性からしても、時には他人のやらないことを自分一人でやらなければいけない。なぜかって、練習や試合で最も頼りになるのは自分一人だけだから…。
私が強くなり出したのは、大学2年の都市対抗東京予選で荻村選手に勝ってからである。その試合はその試合は裏ソフトに変えてから、1週間後にあった。ラバーは変えたものの、フォームやラケットの角度、グリップは一枚ラバーの頃と全く同じであった。ラケットの角度は床(ゆか)面に対して60度くらい。だから、ふつうに打ったらボールが下へ落ちてしまう。ボールが落ちないようにするため、腕の力と腰の回転を利用し、ボールをコスリ上げなければならなかった。ただコスリあげるだけではオーバーミスしてしまうので、ラケットを早く回転させることにより、ボールにカーブを与え、オーバーミスを防いだ。細かい技術は何もできなかったが、ドライブボールのノビはすごかった。本大会でも星野選手に勝った。フォアハンド一本だけで勝ったように記憶している。この二つの試合が、私に“打ち合ったら負けないのだ、フォアハンドだけでも勝てるのだ”という自信を与えてくれ、さらにフォアハンドの練習を徹底して行うようになった。
フットワークの練習は、相手に好きな所へボールを送ってもらい私はワンサイドに返球する練習やフォアハンドだけのオールサイドの練習などをやった。また、1年上にはショートマンの新庄さん(現積水化学)がおり、新庄さんのショートを打ち破ることが学校での目標でもあったし、新庄さんも私のドライブを受けとめることに練習の効果を感じてくれるようになっていたから、「やろう」「お願いします」ということで、練習やゲームをよくやった。
◇毎日一人で走って体力、気力を養成
それから、かけ足である。朝6時起床、すぐ裏のグラウンドへ行き1周150メートルのコースを15周くらい。そのほか、体操、うさぎとび、幅とびなどをやった。1、2年の間はこれが毎日のように続いた。また練習が終わってから、目白コース(2500メートル)や池袋コース(5000メートル)を走った。走ることの好きな私には、走っている時の疲れや苦しさはなんでもなかった。一人で走ることによって、その間だけでもいい、人よりも多く練習しているのだというつまらない優越感?を味わうことができたためかも知れない。このかけ足から得たものは限りないものがある。足腰を強くしてくれ、フォアハンドで動けるのだという自信、体力に対する自信…を与えてくれた。更には気力とか根性というような精神的な面の充実にも役立ったのではないかと思っている。
私のフットワークは、決して上手なものではない。一本ずつフォア、バックと交代に動かしてもらう練習ではラリー(打ち合い)が続かない。フォームが大きい上に一本一本ドライブをかけ、腰を回転させて打つため、ボールについて行けず、フォアでまわりきれなくなるのである。ボールに合わせてゆっくり打つと、よく動けるのであるが、私が試合で使うフットワークは前者の方である。試合で使えないような練習は意味がないので、苦しくても一本一本ドライブをかけながらフットワーク練習をやった。苦しかったが、でもこうした練習が効果があることはいろんな人達に言いつくされているとうりである。ドライブ選手をめざすなら、一本一本に力を入れてやった方がよい。こんなふうにしてフットワーク練習をすると、10分もすればフーフー言ってしまう。しかしこの疲れも一時的なものである。5分も休んだら、元通りになり、また続けることができる。本当に疲れたと感じるまでやってみることである。
先手攻撃がいかに大切かということは、今まで幾度となく経験してきたし、中国選手との試合をふりかえってみると、特に強く感じられる。早く動くことによって、先手をとることができる。私が常に心がけているのは、チャンスの第1球目に全身の力をこめてドライブをかけ相手を押してしまうということである。
◇レシーブとスマッシュの強化
現在の練習は、試合が中心である。試合をしながら、苦手なショート、バックハンドの練習をまぜるようにしている。やりたいことはたくさんあるが、その中で目標としているのは、レシーブの強化と低いボールもスマッシュできるようになることである。グリップがかたい(ラケットをかたく握る)ため、ネットぎわの小さいボールの処理がどうもうまくいかない。また、ラケットの角度が下を向きすぎているため、スマッシュできるようなボールも、ついドライブをかけてしまう。特に、低いカット性のボールのスマッシュができない。この二つは裏ソフトに転向してからの大きな欠点となっている。前々からの大穴であったバック側のボールの処理は、大学後半からの毎日少しずつの練習がみのり、試合でもバックハンドやショートを使えるようになってきている。かけ足も、現在週に2~3度朝にやっているのだが、眠くてどうしても、自分の決心を実行に移せないときがある。そんなときは、一日中自分自身に対して不愉快さが感じられ、「大したことないヤツだ」「もっと頑張れ」と自分の心に言い聞かせたりしている。大好きな卓球を思いきりやれるのも、若いうちだけだ。あとになって悔いのないようにやりたいと思っている。
◇試合前夜はラケットの素振り
私は試合近くなると、カット打ちとショート打ちを好んでやった。回転やスピードが正反対のカットとショートを打つことによって、調子を整えられるからである。ゆっくりねばる方法と、一本一本にドライブをかけ全身で力を入れて打つ方法の二つをやった。
また、今でもそうだが、試合の前日、寝る前に必ずラケットの素振りをすることにしていた。フォアハンドをゆっくり20回、スピードをつけて20回、バックハンドを20回である。そしてラケットに「明日は頼むぞ」と言って寝る。
全く意味のないことだが、大きな試合になればなるほど、緊張して素振りにも力が入ってくる。プラハでも、団体戦決勝の前夜、同室の荻村さんと一緒に精一杯ラケットを振ったのだが…。
めざす相手に勝とうと思うなら、相手以上に勉強しなければならない。私たち日本チームもプラハ大会まで精一杯練習し、研究もした。そして、男子は中国に敗れた。実力の差があったことは確かだ。けれども、勉強のたりなかった点も上げなければならないと思う。私自身のことでもあり、日本卓球界全体のことでもあったと思う。
◇次の世界大会めざして…
どんな小さな試合でも、前々からの備えが必要だ。試合が近くなって練習に熱が入るのは当然のことだが、1年も2年も前からそのことを考えて練習するのは大変なことだ。でも、やらなければならない。次の世界選手権まで、あと1年あまり。私も頑張ります。また、いままでの経験を生かして役立ちたいと思っている。
7年後には東京で世界選手権がある。
中高校生の皆さんも、夢や目標をもち、それを実現させるべく、精一杯頑張ってください。
木村興治(きむらこうじ)
(早大出・ゼネラル物産勤務、全日本硬式3位)
(1963年11月号掲載)
[卓球レポートアーカイブ]
わたしの練習⑧木村興治 ドライブとフットワーク
2015.10.28
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