卓球を始めたキッカケは、小学6年のころ近所の高校生に教えてもらったことでした。中学での練習は型にはまった練習で、素振りやフォアのクロス打ちなどでした。練習時間は2時間くらいでしたが、家に帰ってから、ゲームをするために近くの卓球会館へ行って練習する日が多いくらいでした。中学2年のときにドライブを覚え、ドライブをかける練習ばかりしていました。3年になって県の中学校のタイトルを取りました。それで、高校でも卓球をやろうと思い、卓球の強い仙台工業に入学しました。
◇バックハンドとゲーム練習
高校の卓球部員は全部で20人ぐらいいました。でも古いながら決まった練習場もあり、毎日3~4時間ぐらい練習しました。そのころはドライブ主戦で、ツッツキからドライブをかける練習、フットワーク、ダブルス、シングルスのゲーム練習を主に行いました。トレーニングは2~3㌔のランニング、階段のダッシュ、うさぎとび、腹筋、腕立てふせなどを全員でしました。
2年の初めに、それまでの練習場はとりこわされ、新校舎の建築工場で練習することになり、練習時間も平均1時間半ぐらいに短くなりました。それでも長崎のインターハイで団体3位、ダブルス3位になり、また東北大会で完勝することができ、なにか自信のようなものを持つことができたと思います。しかし、技術面ではドライブにたよるようになりましたが、全日本のジュニアの2回戦で負けてしまい、それからは、フォアのドライブだけではだめだと思い、それまでのグリップをかえてバックハンドの練習を8割以上行いました。
12月の末に、強対の高校生の強化合宿に選ばれました。この合宿で高橋さん(シチズン時計)に教えられ、また身近にバックハンドを見ることができ、コーチのいない私は大変うれしく、絶対にバックハンドをフォアハンドと同じように振れるという気持ちを持つことができました。バックハンドを自然に振れるようにするためには練習もそれだけやらなければならないと考え、バックハンドから練習を始め、それだけで練習を終えたこともありました。最初は相手にショートをしてもらい“今度は何本続けよう”と目標を定めて、それができるまで何日も続けました。こうしてある程度つなげるようになるには1ヵ月以上もかかりました。
次はフォアハンドとバックハンドの切り換え練習を行いました。最初フォア、バックと定期的に回してもらい、それがスムーズにできるようになってから不規則に回してもらい練習しました。それでも、やはりバックを振ってからフォアに切り換えるときに遅れぎみになるので、バックをふってからフォアでスマッシュする練習を多く行いました。
強化合宿から帰ってからのトレーニングは、主にダッシュとウエイトトレーニングを行いました。また、バックハンドと並行して行っていたショートも自由に使えるようになり、ドライブはあまり使わなくなりました。毎日のゲームもセットごとにショートを主に使おうとか、バックハンドを主に使おうとか考えて、これらの技術を実戦で使えるように工夫しました。
◇合宿、試合から多くを学ぶ
3月に入って高校新人強化合宿に選ばれ、練習試合でいままで練習してきた技術もある程度使うことができ、これまで行ってきた練習がムダでないことがわかり、それとともに、スピードがない、ストレートコースが打てない、スマッシュができない、ツッツキをスマッシュできない、などの欠点をも見つけることができ、その後の練習の目標をつかむことができました。トレーニングもそのために前にも増してウエイトトレーニングに重点をおいてやりました。5㌔の鉄アレイを使用し、そのあとは何も持たずにできるだけ速く振り、力をつけてもスピードがなくならないようにこの二つを組み合わせて行いました。
3年になり、5月の日中対抗代表に選ばれてから、さらにバックハンドとフォアハンドの切り換え、レシーブの練習に力を入れました。それは合宿で世界選手権や北京国際招待大会の対中国の試合のフィルムを見て、バックハンドが振れなければ勝てないと思ったからです。勝負よりも、今まで練習してきたバックハンドを思い切って振ろうと考えて試合にのぞみました。その結果3勝1敗という成績を残すことができ、バックハンドにも自信を持つことができました。特に許紹発戦では、レシーブが弱い、フォアの回り込みがない、バックハンドのスマッシュがないなど、多くを学びました。
日中対抗が終わってインターハイが近づき、練習も前のような一つの技術だけでなく、連けいプレーを主に行いました。サービス、3球目、5球目や、ツッツキをバックハンドで打ち、つぎをフォアで回り込んでスマッシュする練習や、レシーブ、4球目、ドライブをどの位置に置いても確実にかえす練習、たとえば前陣ではショート、中陣ではフォアハンドとバックハンドを使い、後陣ではドライブをかけて返す、などでした。レシーブの練習は、特にロングサービスとフォアに小さく出されたサービスをはらう練習、それにぶっつけサービスのレシーブ練習をしました。なんでもそうだと思いますが、レシーブの練習も同じサービスのレシーブを何日も続けてしたら、苦手だったサービスも楽々ととれるようになりました。これらの練習はロングマンに対しての練習で、カットマンに対しては近くに強いカットマンがいないのであまり練習することもありませんでした。練習時間の多い日は、ひとりを相手に10セットくらい続けてゲームをしました。これは技術的なこともそうですが、長い時間気をぬかずに試合をすることによって、主に精神力の面でのプラスを考えてしたものです。また、何回かの合宿で体力的にも前に比べると強くなっていたと思います。
インターハイでは、決勝で名電工の浅田君に負けましたけれども、自分で満足のゆく試合ができ、中国遠征に選ばれていただけに良かったと思っています。しかしながら、精神的にはなにか足りなかったように思われます。インターハイが終わって感じたことは、練習時間は短かったけれど集中して練習したのがよかったということでした。インターハイの後はすぐに中国遠征の合宿でした。やはり、肉体的にも精神的にもへばっていて、練習も思うようにいきませんでした。その合宿もバックハンドに重点をおいたのですが、あまり自分の練習をすることなく終わり、中国へ出発しました。中国では比較的に自分の自由練習の時間も多く、最初ボールになれるためにフォア打ちなどを多くし、それからバックハンド、レシーブの練習に移っていきました。文化大革命中の試合で、やはり途中で精神的にまいってしまいました。精神力の強化の方法を考えることも、今後の課題だと思います。
現在の練習量は平均1時間くらい、学校に練習場もないし、勉強のおくれもあり練習も長時間していません。基本練習をしていたのでは1時間くらいすぐにたってしまうので、必然的にゲーム中心の練習となっています。それに1時間くらいしかできないと思うと、自然に気持ちもひきしまり、時間をうまく使うようになり、緊張して練習することができます。トレーニングは時間がないので、ウエイトトレーニングだけ昼休みに行うようにしています。昼休みの20分間でも、毎日続けてしていると力がついてくるような感じがします。
しかし練習相手が固定し卓球の型も同じような人が多く、また強いカットマンがいないのが悩みといえば悩みのようです。技術面では、バックハンド、レシーブ、ショート等の強化につとめ、中陣でのオールラウンドプレーを目標とし、精神面では試合で自分の力がどういう場面でも発揮できるような精神力を持つように努力していきたいと思います。やはり、自信をもつためには、練習をし実力をつけることがさきだと思います。さらに、人間的にも向上するように努力していきたいと思います。
しばた ゆきお
宮城・仙台工業高校3年。裏ソフト、ペンの攻撃選手。春と夏の日中対抗日本代表。昭和41年度全国高校No.2
(1967年1月号掲載)
[卓球レポートアーカイブ]
わたしの練習㊷柴田幸男 オールラウンドプレーを目標に
2016.01.15
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