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わたしの練習㊸境田美智子 カット打ちと台上ボールの処理

 中学のときは、庭球部に籍をおいていたのですが、中3の終わりになって、ただなんとなく卓球をやってみようと思い、卓球部に入りました。
 私が高校に入学した年に、恩師である石塚先生が私たちの学校(立正学園)に赴任してこられ、卓球部を教えてくださることになりました。まだ何もできなかったし、卓球に対する知識もなかったので、まず初めにショート、次にロング、ツッツキという順序に教えていただきました。このような卓球用語もこのころ初めて覚えました。だんだんできるようになってくるとおもしろくなり、いつの間にか卓球のとりこになってしまいました。

 ◇基本練習を中心に

 1、2年のころは、毎日4時間ぐらい、日曜祭日は朝9時から夕方の6時まで休みなく練習し、本当に休めるのは大晦日と元旦だけのきびしい毎日でしたが、きびしければきびしいほど卓球に対する熱意は高まるばかりでした。練習はショート、ショート打ち、ロングなどの基本練習を中心として、オールサイズ練習、フットワークなども行い、トレーニングとして発進停止〔合図で急に走ったり止まったりする〕、うさぎとび、なわ飛びなどを行いました。実戦練習は毎日1時間ぐらいやりました。
 このころの私は、試合に出れば必ず負け。こんどこそは、こんどこそはと思って試合にのぞむのですが、やはり勝てませんでした。2年の夏ごろまでツッツキも満足にできなかったくらいなので、試合に勝つことなど到底及ばないはずなのに、きっと欲張りだったのでしょう。どんなに下手でも、勝ちたいという気持ちは人一倍でした。ですから2年の終わりに全日本硬式ジュニアの都代表になれたときのうれしさといったら、それはたいへんなものでした。このとき、努力すればできないことはないのだなぁ、とつくづく感じました。高3になり、私の技術も少し上達し、都の試合ではたいてい勝てるようになったのですが、全国大会では全然だめでした。バック側はほとんどショートを使いあまり回り込まず、かといってフォア側が強いわけでなし、力強さに欠けており、これが強い人に勝てなかった理由の一つのように思います。
 そのころの私の夢は、全日本で上位に入賞することでした。その夢を実現させるためには、もっと確実な攻撃力を身につけなければいけないし、相手に早く攻撃されたときのことも考えなければなりませんでした。もう一度最初からやり直すつもりで進学を決意しました。
 高校時代の思い出といえば、苦しいことばかり。試合に負けたときや、時間におくれたりしたときなど、コンクリートの上で2時間も3時間も正座させられたり、3本続けてミスしたときには、うさぎとびを卓球室往復10数回、足の感覚がなくなるほどやりました。また、受験勉強の苦しい思い出もあります。

 ◇他人よりも努力すること

 幸いにも昭和女子大学に入学できましたが、初めは勉強やしつけにおけるきびしさについていけるのだろうか、という不安でいっぱいでした。昭和女子大は運動をしているからといって決して甘くみてはくれず、練習は朝8時半から4時までのぎっしりつまった授業が終わってから行います。こんなところで果たして強くなれるのだろうかという不安はありましたが、環境よりも努力であると常に思っていましたので、他人よりも努力することをモットーとして毎日練習をしていました。学校の練習が終わったのち、いろいろなタイプの人と試合をするために練習場に行きましたが、これがたいへんよい練習になったと思っています。
 1年の終わりごろから日卓の強化合宿に参加させていただけるようになりました。それまでは遠くの方から、すばらしいなぁ、と感嘆していた方々といっしょに練習できるようになり、とても良い勉強や刺激になりました。2年になって、数回の合宿や選抜試合に出していただいたにもかかわらず、個人戦では良い成績を残すことができず、自分の力のなさをつくづく感じました。
 3年になり、日中対抗に出場できることになり、はりきって試合をしたものの、結果は惨敗。このときは、ほとんどレシーブミスばかりで試合になりませんでした。レシーブ練習は割合に怠ってしまいがちですが、ふだんの練習のなかにレシーブ練習をもっと取り入れていかなければと、レシーブの重要性をさらに深く感じました。相変わらず良い成績を出せないまま、秋季リーグ戦を迎えました。私たちは最終戦にやっと1勝をあげ、1勝4敗で3者同率となり、4位決定をしたものの最下位となり、2部との入替戦にも敗れて2部に落ちてしまいました。そのときのくやしさ、つらさ、悲しさはとても言いあらわすことができないほどで、しばらくの間は空虚状態でした。このことは私にとってたいへんよい薬となりました。

 ◇実戦練習を主体に

 それまでは試合に負けるたびに、勉強がたいへんなのだから、練習量が少ないのだから、などと変なふうに自分を納得させていたように思います。これを機に新たな気持ちで練習に励みました。実戦練習を主体に、フットワーク、カット打ち、レシーブなどを行いました。実戦練習の場合はほとんど勝ち抜きで、どんなに疲れても負けるまでやります。そのかわり一度負けると順番がくるまで見ていなくてはなりません。でもこの場合、ただ見るというのではなく、研究しながら見ることにしています。一時スマッシュが全然できなくなったときがありました。そのとき私は、卓球部で一番スピードのあるスマッシュをする後輩のやり方をみて研究をし、その長所を取り入れたところ、ある程度入るようになりました。見ることが実技に劣らずいかに大切な練習であるかを、あらためて知らされました。
 また、16-19から試合を始めてできるだけ挽回(ばんかい)するという練習。フットワークはただフォアとバック1本ずつ動かしてもらうだけでなく、オールサイズで動く練習とか、バック側にはロングで、フォア側にはショートで浅く返球してもらうフットワーク。これは飛び出しの練習にもなり、とてもよいフットワークの方法だと思います。カット打ちはドライブで何本もねばる練習、カット打ちからスマッシュなどを行いました。それと私の主戦武器の一つであるショートも必ず練習をしました。プッシュ性のショートをすると、どうしても次の体勢がおそくなるので、ショートをした後できるだけ早く回り込んで打つ練習をしました。
 3年の全日本学生で単複とも3位になることができ、好調のまま全日本硬式にのぞんだのですが、団体戦の疲れが出たのか、準々決勝で肉ばなれをおこしてしまいました。このとき痛感したことは、トレーニングの必要性ということでした。やはり、ランニングなどのトレーニングは怠ってはならないとつくづく感じました。
 卓球を6年間やって一番勉強になったことは、努力をすればできないことはないということ、自分に勝つということ、また、試合においては全力を出しきるということです。練習中の自分の力を出し切るということは、簡単なようでとても難しいことだと思いました。
 今後の私の課題としては、カット打ちを確実にすることと、台上のボールの処理、前陣でのバックハンドをマスターすることなど、あげればまだいろいろありますが、あまり欲張らず、これらのことを一つずつマスターしてゆきたいと思います。そして体力面、精神面の強化にもつとめていくつもりです。また、ことしはリーグ戦1部復帰という重要な課題が残されています。まず初めにこれを成しとげることが、今の私のつとめでありますし、きびしくそしてあたたかくご指導してくださる監督、先輩への恩返しでもありますので、ぜひとも1部復帰を実現したいと思います。個人の試合においては、悔いを残さないような納得のできる試合をしたい。また、世界の強豪と戦ってみたいというのが現在の私の抱負です。

さかいだ みちこ 昭和女子大学3年
裏ソフト、ペンの攻撃選手。
昭和41年度全日本硬式ランキング6位


(1967年3月号掲載)

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