―日本代表の女子カットマンとして、出発前どんなことを考えていましたか。
'64年全日本選手権の女子シングルス決勝で磯村さん(専大出)を見たことがあるんです。強いと思いましたが、その人が'65年リュブリアナ世界大会へ出て負けましたね。私の場合、磯村さんより国内の成績が悪いので、責任を果たせるかどうか心配でした。半面、なんとかしてやってみようという気持ちでした。向こうの選手を知らないし、自分がどれだけやれるのか見当がつきませんでした。
◇特にレシーブとツッツキをやった
―世界選手権では、日本代表のシェークのカットマンとして初めての3位入賞ですが、代表が決まってから(2月17日)大会までに、それまでとちがって特別な練習をされましたか?
去年の日ソ対抗でソ連選手のサービスがうまかったので、ヨーロッパのトップクラスの選手もサービスがうまいだろうと思い、レシーブの練習を多くしました。それと、ヨーロッパにはシェークハンドグリップの選手が多いと聞いていたので「攻撃をするにしてもそれほど攻めてはこないどう。すると、自然ツッツキが多くなるだろう」と考え、ツッツキの練習を多くやりました。
―その練習方法を、具体的に説明してください。
代表合宿では1時間おきに練習相手が変わりました。トレーナーを含めて、各選手にいろいろなサービスを出してもらって、レシーブからのオールラウンドの練習です。ツッツキは、特にフォア側のストレートを多くしました。フォア側が苦手なので、クロスにもっていくとクロスに返ってくることが多い、どうしても得意でないフォアカットをやらされるからです。ソ連選手は、ストレートへもってゆくとバックハンド・ドライブでバッククロスへ返してきました。得意のバックカットができてうまく戦えました。合宿の自由練習のときなど、常に頭においてやっていました。
―実際、大会を見ていかがでしたか? 全選手の8~9割がシェークの攻撃のなかで、印象に残ったカットマンをあげて、浜田さんがどう感じたか。また、日本のカットマンとして学んだことを教えてください。
カットしたボールを向こうの選手は、回転はかかっているが伸びてこない山なりのボールでねばってきます。伸びてくるボールはとりやすいのですが、伸びてこないボールはいやなんです。そのかわり、ヨーロッパの選手はスマッシュ力が弱い。あのドライブでねばってスマッシュが加わったら、非常にいやな存在になるだろうと思います。男子シングルス決勝で伊藤さんがシェラー(西独)に0-2とリードされて3セット目、伸びない山なりのボールをまぜて戦ったんです。伊藤さんには、それにスマッシュ力があったので勝てたのではないかと思います。いまの欧州選手なら、どうにか返しておけばスマッシュがないしミスしてくれる感じです。印象に残ったカットマンはシェラーとアレキサンドル(ルーマニア)です。
シェラーは私の見たかぎり、現在世界でただひとりの拾いまくれるカットマン。どんなときも態勢がくずれないことがすばらしいと思いました。また、それに関連しますが、フットワークが良いです。特に前後動は抜群だと思います。次にアレキサンドル。一枚ラバーのカットマンで、常に前傾姿勢がくずれないことがすばらしいと思いました。フットワークもよく、ふつうカットマンはフォアのほうが弱いものなのですが、彼女はバックよりフォアのほうが強いんです。そこは見習わなければいけないと思いました。全般に欧州のカットマンはもどりが早いと思いました。だから次の動作がすばやくできるのですね。
◇もどりを早く
―世界選手権から帰ってのインタビューで「大型のカットマンめざしてやりたい。もう一度、世界選手権に挑戦したい」と言っておられましたね。その後の練習方法、心がまえなどに変化はありましたか。
いまの自分のカットだったらダメだと思います。カットしたあとのもどりがおそいです。だから私の試合はいつも余裕がないんです。もどりを早くすると同時に、いままでプレー中いつも右足に重心が多くかかっていました。これからは、基本姿勢のときは両足に平均して力が入るようにしていきたいと思います。そうしないと上半身がゆれて安定性がなくなってきますから。そのためにはよほどの決心がいると思いますが、どれくらいかかるかわからないけれどもやってみるつもりです。まずトレーニングで足を鍛えなければならないです。練習内容は全体をとおして実戦的にやっていきたいと思います。そのなかでも特に、①サービスからのオールサイズ、レシーブからのオールサイズを多くする ②ワンクロスの練習でもバックカットだけをやるのではなく、フォア・バックの切りかえをしていく ③もどりを早くする(早く基本姿勢に) ④スマッシュの返球に変化をつける、などをとり入れていきたいと思います。
―世界選手権から帰国してすぐの試合、関東学生リーグ戦でのプレーを見て“自信がついたのだな。一回り大きくなった”という印象を受けました。
スマッシュを、以前より拾えるようになったと思います。コースもついて返せるようになり、いくらか余裕がでてきました。
―去年9月のアジア選手権の代表にもれて(7月26日)からというものは、どうなることかと思うくらい不調でしたが…。
あのときは、ほんとうに卓球をやめたいと思いました。精神的にいままでで一番苦しかったです。約4カ月間のスランプでした。試合で勝っていても負けそうな気がしたし、なにしろ試合が多い時期だったので、人からいろんなことを言われて気になったし、よけいに苦しかったです。気持ちのもっていき方ですが、「長い選手生活中には谷がなかったら進歩しない。いまが自分の最低のときだ。これをきりぬけたら絶対一段前進できる」と思いました。11月末の全日本選手権のころやっと立ち直れて、スランプのときは精神的なものが大きいということがわかりました。
―中・高校時代の練習と成績を教えてください。
中学1年から卓球を始め、1年間ペンをやりました。2年のはじめ先生から「シェークのカットマンになれ」と言われてなりました。練習時間は2時間30分くらい、ゲーム中心の練習でした。2、3年の県大会で2連勝し、そのころから“世界選手権へ出てやろう”と思っていました。高校時代は練習量が1時間増え、成績は1年のときインターハイでシングルス13位、2年がシングルス10位・ダブルス1位、3年がシングルス4回戦・ダブルス2位でした。県大会は3年間で33連勝しました。
◇練習はだれよりもやっている
―練習量ではだれにも負けない浜田さんですが、ふだんの練習はどのくらい、どういうプログラムでやっていますか?
授業のないときは、いつも練習場にいます。朝9時ころから夜10時までいつでも練習できますから。休みの日は、8時間から10時間、台についています。午前中はだいたいフットワーク、フォアカット、バックカット、ツッツキなどの基本練習、午後はその応用練習とゲームをやっています。応用練習は、たとえば3球目を攻撃してもらって、カットで返す…などです。ゲームは男子の中にまじってやります。カットマンは結局、拾いまくれること、ストップを打てること、コースをついて返球できること、この三つが特に大切だと思います。毎日だいたいこのような練習をしていますが、試合の2週間前からはゲーム練習を多くします。
―トレーニングはやっていますか?
はい。ランニングを30分くらい、皇居の内堀を走っています。そして腹筋を100回。サーキット・トレーニングもやります。
―練習日誌はつけていますか?
毎日つけています。日曜には、対戦相手の特徴、毎日の練習内容やゲーム記録、気がついたこと、人からのアドバイス、反省などを中心に書いています。そして常に明日からの練習のために生かしています。練習のときはいつも持って歩きます。
―浜田さんの卓球を常に支えているものはなんですか?
卓球がなによりも好きだということ。練習はだれよりも多くやっている、だから負けたくないということ。強くなりたいという意欲が強いこと。卓球に二度とない青春をかける意義が大いにあると思ってやっていること、などです。
はまだ みほ 中央大学4年。高知・土佐女高出。
21歳。右きき、シェーク、裏ソフトのカットマン。
身長159㎝、体重49kg。世界選手権3位、全日本9位
(1969年8月号掲載)
'64年全日本選手権の女子シングルス決勝で磯村さん(専大出)を見たことがあるんです。強いと思いましたが、その人が'65年リュブリアナ世界大会へ出て負けましたね。私の場合、磯村さんより国内の成績が悪いので、責任を果たせるかどうか心配でした。半面、なんとかしてやってみようという気持ちでした。向こうの選手を知らないし、自分がどれだけやれるのか見当がつきませんでした。
◇特にレシーブとツッツキをやった
―世界選手権では、日本代表のシェークのカットマンとして初めての3位入賞ですが、代表が決まってから(2月17日)大会までに、それまでとちがって特別な練習をされましたか?
去年の日ソ対抗でソ連選手のサービスがうまかったので、ヨーロッパのトップクラスの選手もサービスがうまいだろうと思い、レシーブの練習を多くしました。それと、ヨーロッパにはシェークハンドグリップの選手が多いと聞いていたので「攻撃をするにしてもそれほど攻めてはこないどう。すると、自然ツッツキが多くなるだろう」と考え、ツッツキの練習を多くやりました。
―その練習方法を、具体的に説明してください。
代表合宿では1時間おきに練習相手が変わりました。トレーナーを含めて、各選手にいろいろなサービスを出してもらって、レシーブからのオールラウンドの練習です。ツッツキは、特にフォア側のストレートを多くしました。フォア側が苦手なので、クロスにもっていくとクロスに返ってくることが多い、どうしても得意でないフォアカットをやらされるからです。ソ連選手は、ストレートへもってゆくとバックハンド・ドライブでバッククロスへ返してきました。得意のバックカットができてうまく戦えました。合宿の自由練習のときなど、常に頭においてやっていました。
―実際、大会を見ていかがでしたか? 全選手の8~9割がシェークの攻撃のなかで、印象に残ったカットマンをあげて、浜田さんがどう感じたか。また、日本のカットマンとして学んだことを教えてください。
カットしたボールを向こうの選手は、回転はかかっているが伸びてこない山なりのボールでねばってきます。伸びてくるボールはとりやすいのですが、伸びてこないボールはいやなんです。そのかわり、ヨーロッパの選手はスマッシュ力が弱い。あのドライブでねばってスマッシュが加わったら、非常にいやな存在になるだろうと思います。男子シングルス決勝で伊藤さんがシェラー(西独)に0-2とリードされて3セット目、伸びない山なりのボールをまぜて戦ったんです。伊藤さんには、それにスマッシュ力があったので勝てたのではないかと思います。いまの欧州選手なら、どうにか返しておけばスマッシュがないしミスしてくれる感じです。印象に残ったカットマンはシェラーとアレキサンドル(ルーマニア)です。
シェラーは私の見たかぎり、現在世界でただひとりの拾いまくれるカットマン。どんなときも態勢がくずれないことがすばらしいと思いました。また、それに関連しますが、フットワークが良いです。特に前後動は抜群だと思います。次にアレキサンドル。一枚ラバーのカットマンで、常に前傾姿勢がくずれないことがすばらしいと思いました。フットワークもよく、ふつうカットマンはフォアのほうが弱いものなのですが、彼女はバックよりフォアのほうが強いんです。そこは見習わなければいけないと思いました。全般に欧州のカットマンはもどりが早いと思いました。だから次の動作がすばやくできるのですね。
◇もどりを早く
―世界選手権から帰ってのインタビューで「大型のカットマンめざしてやりたい。もう一度、世界選手権に挑戦したい」と言っておられましたね。その後の練習方法、心がまえなどに変化はありましたか。
いまの自分のカットだったらダメだと思います。カットしたあとのもどりがおそいです。だから私の試合はいつも余裕がないんです。もどりを早くすると同時に、いままでプレー中いつも右足に重心が多くかかっていました。これからは、基本姿勢のときは両足に平均して力が入るようにしていきたいと思います。そうしないと上半身がゆれて安定性がなくなってきますから。そのためにはよほどの決心がいると思いますが、どれくらいかかるかわからないけれどもやってみるつもりです。まずトレーニングで足を鍛えなければならないです。練習内容は全体をとおして実戦的にやっていきたいと思います。そのなかでも特に、①サービスからのオールサイズ、レシーブからのオールサイズを多くする ②ワンクロスの練習でもバックカットだけをやるのではなく、フォア・バックの切りかえをしていく ③もどりを早くする(早く基本姿勢に) ④スマッシュの返球に変化をつける、などをとり入れていきたいと思います。
―世界選手権から帰国してすぐの試合、関東学生リーグ戦でのプレーを見て“自信がついたのだな。一回り大きくなった”という印象を受けました。
スマッシュを、以前より拾えるようになったと思います。コースもついて返せるようになり、いくらか余裕がでてきました。
―去年9月のアジア選手権の代表にもれて(7月26日)からというものは、どうなることかと思うくらい不調でしたが…。
あのときは、ほんとうに卓球をやめたいと思いました。精神的にいままでで一番苦しかったです。約4カ月間のスランプでした。試合で勝っていても負けそうな気がしたし、なにしろ試合が多い時期だったので、人からいろんなことを言われて気になったし、よけいに苦しかったです。気持ちのもっていき方ですが、「長い選手生活中には谷がなかったら進歩しない。いまが自分の最低のときだ。これをきりぬけたら絶対一段前進できる」と思いました。11月末の全日本選手権のころやっと立ち直れて、スランプのときは精神的なものが大きいということがわかりました。
―中・高校時代の練習と成績を教えてください。
中学1年から卓球を始め、1年間ペンをやりました。2年のはじめ先生から「シェークのカットマンになれ」と言われてなりました。練習時間は2時間30分くらい、ゲーム中心の練習でした。2、3年の県大会で2連勝し、そのころから“世界選手権へ出てやろう”と思っていました。高校時代は練習量が1時間増え、成績は1年のときインターハイでシングルス13位、2年がシングルス10位・ダブルス1位、3年がシングルス4回戦・ダブルス2位でした。県大会は3年間で33連勝しました。
◇練習はだれよりもやっている
―練習量ではだれにも負けない浜田さんですが、ふだんの練習はどのくらい、どういうプログラムでやっていますか?
授業のないときは、いつも練習場にいます。朝9時ころから夜10時までいつでも練習できますから。休みの日は、8時間から10時間、台についています。午前中はだいたいフットワーク、フォアカット、バックカット、ツッツキなどの基本練習、午後はその応用練習とゲームをやっています。応用練習は、たとえば3球目を攻撃してもらって、カットで返す…などです。ゲームは男子の中にまじってやります。カットマンは結局、拾いまくれること、ストップを打てること、コースをついて返球できること、この三つが特に大切だと思います。毎日だいたいこのような練習をしていますが、試合の2週間前からはゲーム練習を多くします。
―トレーニングはやっていますか?
はい。ランニングを30分くらい、皇居の内堀を走っています。そして腹筋を100回。サーキット・トレーニングもやります。
―練習日誌はつけていますか?
毎日つけています。日曜には、対戦相手の特徴、毎日の練習内容やゲーム記録、気がついたこと、人からのアドバイス、反省などを中心に書いています。そして常に明日からの練習のために生かしています。練習のときはいつも持って歩きます。
―浜田さんの卓球を常に支えているものはなんですか?
卓球がなによりも好きだということ。練習はだれよりも多くやっている、だから負けたくないということ。強くなりたいという意欲が強いこと。卓球に二度とない青春をかける意義が大いにあると思ってやっていること、などです。
はまだ みほ 中央大学4年。高知・土佐女高出。
21歳。右きき、シェーク、裏ソフトのカットマン。
身長159㎝、体重49kg。世界選手権3位、全日本9位
(1969年8月号掲載)