■負けてたまるか
ぼくが最初にラケットを握ったのは、小学校5年のころでした。友人の家に卓球台があったので、下校中、寄り道をして、遊びながらやっていました。小学校6年のとき、町内で卓球大会のようなものがあり、年下の者に敗れてしまったので、「負けてたまるか」と思い、それまでより多くやるようになりました。
小学校の担任の先生が中学の卓球部の先生を知っておられ、「中学へ入学したら、一度やってみたら」と勧められたのをきっかけに入部したのです。そのときの卓球部というのは、卓球台は2台。1台のほうの床はガタガタで、いまにもつまずきそうな練習場でした。そのうち、部員の数も50名以上になり、授業が終わると、もうみんなは順番を待っているというような競争の状態でした。それから、少しランニングなどをするようになり、だんだん日がたつにつれて、ひとりふたりと部員の数が少なくなりました。そのうち、1週間に何回かは体育館が使えるようになり、ぼくにはチャンスがまわってくるようになりました。
中学2年のとき、府大会では決勝まで進出し、同士うちとなり、敗れてしまったが、自分の実力を出しきったのだから、悔いは残りませんでした。中学3年のときは、シングルス・団体の地区予選から近畿大会まで、あらゆるタイトルを取ることができました。だんだん、ぼくは高校へ入学してがんばってやろうと考えるようになり、思うぞんぶん卓球のできる、現在の興国高校に入学しました。入学後、田中先生をはじめ、いろいろなかたがたに指導していただいております。
■密度の濃い練習を目ざして
練習時間は、1日4~5時間で、週7日。日曜日はフリーの場合もあります。授業は3時30分に終わり、それから軽い食事などをして、クラブが始まるのは4時です。練習内容は、乱打、課題練習、応用練習、ゲーム、調整練習となっております。規定練習は8時ぐらいまでで、それから9時ごろまでは自由練習になっています。
ぼくたちの練習方針は、短時間で密度の濃い練習をすること。そして、一番重視していることは、試合で多く使う、サービス、レシーブです。練習場は少しせまく、天井も低いが、いつでも卓球ができるという環境にあります。高校生ぐらいなら、技術の差はあまりないのだから、精神面で試合が左右されることが多いため、部員全員のいる前に立って、一人で歌などを歌ったりすることもあります。
■練習の工夫
ぼくの目ざす卓球は、ナックル性ショートを生かし、前~中陣から、攻めの速いドライブで戦うという卓球です。以前、ぼくは攻めることばかり考えていたが、攻めきれないときもあるのだから、やはり守りも必要であると思うようになってきました。長谷川選手が全日本選手権に3連勝できたのも、相手に攻められたときの守備があったからだと思います。
現在の練習内容は、火曜日にジュースのリーグ戦(ジュースから試合を始める)をやり、金曜日にジュースのトーナメントを行っています。なぜこういう試合をやるのかというと、試合と同じような雰囲気にするため。もう一つは、1年生にでも優勝のチャンスがあり、2年生も油断ができないからです。残りの日は、サービスから3球目・5球目、レシーブから4球目、スマッシュ、ショート、システム練習などを中心に練習しています。
サービスから3球目・5球目の練習の場合、自分の得意なものや、だいじな場面で使うサービスを主体としてやります。そして、サービス、サービスから3球目・5球目のリーグ戦を行うときもあります(サービスだけで、10本のうち何本取れるか。サービスから5球目までに、10本のうち何本取れるか)。
レシーブから4球目の練習は、相手にフォア前にサービスをだしてもらい、フォアハンドではらうか、ストップレシーブをするか、たまにはナックル性のボールで返球することもあります。ぼくの場合、バック側に難があると思います。余裕のあるときは、回りこめるが、無理な場合、バックでレシーブしなければなりません。そういうとき、どうしてもツッツキでの返球が多くなってしまいます。だから、ストップレシーブとコースを大切に練習しています。バック側のネットプレーは、長谷川選手のプレーを研究して、これからの自分のプレーに役立てていきたいと思います。練習で一番気をつけているのは高い打球点でのドライブとスマッシュです。学内では、常に相手を自分より強い立場において(相手の半面だけに返すゲーム。サービスのうまい人と、自分がレシーブばかりでゲーム)練習すること。19オールや20オールのときでも使えるように、サービスから3球目を連続10本入れる。それができれば15本、20本とだんだん数を増やしていくようにしている。ラリーが長びくほどよく失点するので、もどりを速くして、連続スマッシュができるように、シャドープレーや腹筋もやっている。
また、相手が表ソフトの選手の場合、レシーブを払ってくるから、3球目を常にスマッシュしようと、できるだけ高い位置で待つように心がけている。
カットマンと対戦した場合は、二つの戦法を使えるように努めている。その一つは、相手より根気よくねばる。もう一つは、自分からドライブで変化をつけたり、ストップで相手を前に寄せておいてスマッシュなどができるように心がけている。
■チームの和を保ち、自己に勝つ
卓球から学んだことは「自己に勝つ」ということだと思う。毎日毎日練習で、日曜日ぐらいは遊びたいと思うことがあるが、そこで遊んでしまったのでは、自己に負けていることになる。人なみのことをし、人と同じ練習をしていたのでは強くなれないと思いなおし練習に行く。このようなことから、勉強でも人一倍やらなくては、とがんばりました。
もう一つは、チームの和ということです。試合へ行って、次の試合は勝てると思い、チーム全体で試合をやっていないときなどは、苦戦したりすることがありました。やはり、試合をやる者、応援する者が、一心一体になってやらなければいけないと思いました。社会に出ても、自分一人ではどうしようもありません。同僚や友人がいるから、自分の立場があるから、和を大切にしていきたい、といつも心がけています。
■全日本ジュニアに優勝して
優勝することができたのも、ひとえに、田中先生、中学の先生、卓球部部員、その他の卓球関係者のおかげです。全体的に見て、あまり苦戦はありませんでしたが、カット打ちにあまり自信がなかったため、準々決勝、準決勝での対カットマンのときは、前半に凡ミスが続きました。しかし、後半に立ちなおり、どちらもばん回して勝つことができました。決勝は思ったより楽に勝てました。
優勝した瞬間は、ただうれしくて、なにも考えませんでしたが、表彰台に上がったときは、いままでの苦しかった練習風景が浮かんできました。そしてぼくは考えた。"これからがほんとうの出発だ"このぐらいで満足し、のぼせあがっていたのではこれまでだ。全日本ランクを目標に精進を重ねなければならない、と。
くぜまさゆき 1971年全日本ジュニア1位
(1972年2月号掲載)
ぼくが最初にラケットを握ったのは、小学校5年のころでした。友人の家に卓球台があったので、下校中、寄り道をして、遊びながらやっていました。小学校6年のとき、町内で卓球大会のようなものがあり、年下の者に敗れてしまったので、「負けてたまるか」と思い、それまでより多くやるようになりました。
小学校の担任の先生が中学の卓球部の先生を知っておられ、「中学へ入学したら、一度やってみたら」と勧められたのをきっかけに入部したのです。そのときの卓球部というのは、卓球台は2台。1台のほうの床はガタガタで、いまにもつまずきそうな練習場でした。そのうち、部員の数も50名以上になり、授業が終わると、もうみんなは順番を待っているというような競争の状態でした。それから、少しランニングなどをするようになり、だんだん日がたつにつれて、ひとりふたりと部員の数が少なくなりました。そのうち、1週間に何回かは体育館が使えるようになり、ぼくにはチャンスがまわってくるようになりました。
中学2年のとき、府大会では決勝まで進出し、同士うちとなり、敗れてしまったが、自分の実力を出しきったのだから、悔いは残りませんでした。中学3年のときは、シングルス・団体の地区予選から近畿大会まで、あらゆるタイトルを取ることができました。だんだん、ぼくは高校へ入学してがんばってやろうと考えるようになり、思うぞんぶん卓球のできる、現在の興国高校に入学しました。入学後、田中先生をはじめ、いろいろなかたがたに指導していただいております。
■密度の濃い練習を目ざして
練習時間は、1日4~5時間で、週7日。日曜日はフリーの場合もあります。授業は3時30分に終わり、それから軽い食事などをして、クラブが始まるのは4時です。練習内容は、乱打、課題練習、応用練習、ゲーム、調整練習となっております。規定練習は8時ぐらいまでで、それから9時ごろまでは自由練習になっています。
ぼくたちの練習方針は、短時間で密度の濃い練習をすること。そして、一番重視していることは、試合で多く使う、サービス、レシーブです。練習場は少しせまく、天井も低いが、いつでも卓球ができるという環境にあります。高校生ぐらいなら、技術の差はあまりないのだから、精神面で試合が左右されることが多いため、部員全員のいる前に立って、一人で歌などを歌ったりすることもあります。
■練習の工夫
ぼくの目ざす卓球は、ナックル性ショートを生かし、前~中陣から、攻めの速いドライブで戦うという卓球です。以前、ぼくは攻めることばかり考えていたが、攻めきれないときもあるのだから、やはり守りも必要であると思うようになってきました。長谷川選手が全日本選手権に3連勝できたのも、相手に攻められたときの守備があったからだと思います。
現在の練習内容は、火曜日にジュースのリーグ戦(ジュースから試合を始める)をやり、金曜日にジュースのトーナメントを行っています。なぜこういう試合をやるのかというと、試合と同じような雰囲気にするため。もう一つは、1年生にでも優勝のチャンスがあり、2年生も油断ができないからです。残りの日は、サービスから3球目・5球目、レシーブから4球目、スマッシュ、ショート、システム練習などを中心に練習しています。
サービスから3球目・5球目の練習の場合、自分の得意なものや、だいじな場面で使うサービスを主体としてやります。そして、サービス、サービスから3球目・5球目のリーグ戦を行うときもあります(サービスだけで、10本のうち何本取れるか。サービスから5球目までに、10本のうち何本取れるか)。
レシーブから4球目の練習は、相手にフォア前にサービスをだしてもらい、フォアハンドではらうか、ストップレシーブをするか、たまにはナックル性のボールで返球することもあります。ぼくの場合、バック側に難があると思います。余裕のあるときは、回りこめるが、無理な場合、バックでレシーブしなければなりません。そういうとき、どうしてもツッツキでの返球が多くなってしまいます。だから、ストップレシーブとコースを大切に練習しています。バック側のネットプレーは、長谷川選手のプレーを研究して、これからの自分のプレーに役立てていきたいと思います。練習で一番気をつけているのは高い打球点でのドライブとスマッシュです。学内では、常に相手を自分より強い立場において(相手の半面だけに返すゲーム。サービスのうまい人と、自分がレシーブばかりでゲーム)練習すること。19オールや20オールのときでも使えるように、サービスから3球目を連続10本入れる。それができれば15本、20本とだんだん数を増やしていくようにしている。ラリーが長びくほどよく失点するので、もどりを速くして、連続スマッシュができるように、シャドープレーや腹筋もやっている。
また、相手が表ソフトの選手の場合、レシーブを払ってくるから、3球目を常にスマッシュしようと、できるだけ高い位置で待つように心がけている。
カットマンと対戦した場合は、二つの戦法を使えるように努めている。その一つは、相手より根気よくねばる。もう一つは、自分からドライブで変化をつけたり、ストップで相手を前に寄せておいてスマッシュなどができるように心がけている。
■チームの和を保ち、自己に勝つ
卓球から学んだことは「自己に勝つ」ということだと思う。毎日毎日練習で、日曜日ぐらいは遊びたいと思うことがあるが、そこで遊んでしまったのでは、自己に負けていることになる。人なみのことをし、人と同じ練習をしていたのでは強くなれないと思いなおし練習に行く。このようなことから、勉強でも人一倍やらなくては、とがんばりました。
もう一つは、チームの和ということです。試合へ行って、次の試合は勝てると思い、チーム全体で試合をやっていないときなどは、苦戦したりすることがありました。やはり、試合をやる者、応援する者が、一心一体になってやらなければいけないと思いました。社会に出ても、自分一人ではどうしようもありません。同僚や友人がいるから、自分の立場があるから、和を大切にしていきたい、といつも心がけています。
■全日本ジュニアに優勝して
優勝することができたのも、ひとえに、田中先生、中学の先生、卓球部部員、その他の卓球関係者のおかげです。全体的に見て、あまり苦戦はありませんでしたが、カット打ちにあまり自信がなかったため、準々決勝、準決勝での対カットマンのときは、前半に凡ミスが続きました。しかし、後半に立ちなおり、どちらもばん回して勝つことができました。決勝は思ったより楽に勝てました。
優勝した瞬間は、ただうれしくて、なにも考えませんでしたが、表彰台に上がったときは、いままでの苦しかった練習風景が浮かんできました。そしてぼくは考えた。"これからがほんとうの出発だ"このぐらいで満足し、のぼせあがっていたのではこれまでだ。全日本ランクを目標に精進を重ねなければならない、と。
くぜまさゆき 1971年全日本ジュニア1位
(1972年2月号掲載)