私の練習は、小学校のころから続けている早朝ランニングで始まる...。
全日本ジュニアでは、命がけでがんばった
私の練習といえば、まず朝のランニングから始まる。小学校2年生のころから始めたランニング。初めは、3km。だんだん5km、6kmとなり、いまは10kmちかく走る。最初のころは中距離ランナーになるつもりでしたが、どういうわけか卓球にかわり、いまでは、小さいころから走ったことが、とてもプラスになっています。中学生時代の父に課されたトレーニングはとてもきびしく、泣いたこともあります。そのおかげで高校にはいって、末藤先生のきびしい特訓にもたえることができました。
■3球目は、得意と不得意のコースを練習
私の卓球はドライブが主戦なので、相手にツッツキをさせて、3球目攻撃を多くやりました。1年のときは、ほとんどバックハンドはつかわず、回り込んで打つことが多かったが、フォア1本槍だと、どうしてもスタミナで問題が出てくるので、朝10km走り、帰ってからうさぎ飛び30mを5往復とサーキットトレーニングと反復飛びをやりました。いまも続けています。
学校での練習は、基礎練習が多く、そのなかでも、フットワーク、連続スマッシュ、サービスからの3球目強打、レシーブからの4球目強打等です。フットワークは前後左右の場合は、1本1本回してもらうとか、ランダムに回してもらうとかをやっていました。連続スマッシュの場合は、ランダムにボールを上げてもらい、それをオールフォアで打ったり、フォアとバックの切りかえをやりました。サービス+3球目攻撃は、自分の一番得意なコースと不得意なコースとをやりました。得意といえば、やはり、相手のバックへ小さく下切れのサービスを出して、3球目バックへ回り込んでドライブスマッシュすることです。不得意といえば、同じサービスを出して、フォア前にツッツかれた場合です。だからフォア前のボールを一生懸命強化しました。
また、こういう練習もやりました。台から5mほどはなれ、フォア前に小さく下切れ、横切れ、前進回転サービスなどを出してもらい、それを飛びこんで思いきり処理する練習です。はらえるボールならば、思いきってはらい、はらえない場合は、軽く相手の打ちにくいところへ返す。そしてときどきストレートへロングサービス、バッククロスへロングサービスを出してもらい、かならずフォアで回って打つというのもやりました。
レシーブからの4球目も、やはり得意と不得意を練習しました。得意は、バックへ小さくサービスを出された場合に、バックへはらい、それをバックへ返された場合はストレートへ思いきってスマッシュというところまでです。フォアへ返されたボールは、それをストレートにドライブとスマッシュを使いわけて打つという練習もやりました。
以上が私個人の練習です。
■ダブルスの練習はレシーブ、フットワーク...を主体に
ダブルスの練習はおもに、レシーブ、フットワーク、サービスを出して3球目、レシーブから4球目・6球目をやりました。レシーブ練習の場合には、相手にわかられない打ちかたをするにはどうしたらいいかとか、はらうようなかっこうをしてツッツいたり、ナックルで返したり、色々くふうをしました。試合では、なるべくツッツかないようにしました。
やはり一番なやんだのは、サービスの回転を見わけることでした。最初はあまりわからなく、レシーブミスばかりして桑野先輩にめいわくをかけました。それで、自分なりに研究しました。相手の手首とラケットの振りの早さを見ればわかるんじゃないかと思い、すぐに、サービスを出してもらってレシーブをしてみたら、けっこうわかるようになりました。それからは、けっこうレシーブができるようになり、自分なりに余裕ができ、次のボールをらくに打てるようになりました。前は、レシーブするのがやっとで、相手に強打されることが多かったが、いまは、レシーブで相手の意表をつくことができるようになったので、パートナーが次のボールを強打できるようになりました。
フットワーク練習は、前後のフットワークを多くやりました。なぜかというと、ダブルスの場合、左右の動きはできるんですけど、前後の場合に、どうしてもボールを前で打って打ち上げることが多く、末藤先生からもすごくしかられたからです。サービスを出す場合に相手がどの位置にいるか、台についているか、離れているかを考えてサービスを出すと、けっこう有効でした。
一番得意なのは、センターライン寄りに小さく横切れのサービスをだして、ストレートへ返されたボールをパートナーの桑野さん(サウスポー)が飛びついてクロスへスマッシュ、というパターンです。不得意は、小さくだすつもりのサービスが大きくなってしまいそれをクロスへドライブをかけられた場合です。やはり先に攻められた場合が一番いやでした。
ダブルスの練習はこれぐらいです。
■これからも張りつめた練習をやりたい
'72年のインターハイ後、末藤先生がおられなくなりました。先生のおられたころは、卓球部全員が寮生活をやっていて、練習時間も豊富でしたが、おられなくなってから、練習時間も短くなり、ただ自分の力を調整するだけで、伸ばすところまでいきませんでした。毎日毎日、それのくりかえしがつづきました。そして、'73年のインターハイでダブルスもシングルスも早く負けてしまいました。これではいけないと思い、自分なりに努力してみました。私は、今度のジュニアに命をかけてがんばりました。東京の末藤先生に電話をして、色々アドバイスを受け、また、いろいろな人からも指導を受けて、ジュニアで優勝することができました。まだやりたいことがたくさんある。でも時間がないのが残念です。先生のおられたときは、長い練習時間ができたのにと思うと先生のことが、ありがたく思います。これから先も、先生のいたころのような張りつめた練習をやっていきたいと思います。
あまのさとる 福岡県博多高校2年
'73年全日本ジュニアNo.1
(1974年2月号掲載)
全日本ジュニアでは、命がけでがんばった
私の練習といえば、まず朝のランニングから始まる。小学校2年生のころから始めたランニング。初めは、3km。だんだん5km、6kmとなり、いまは10kmちかく走る。最初のころは中距離ランナーになるつもりでしたが、どういうわけか卓球にかわり、いまでは、小さいころから走ったことが、とてもプラスになっています。中学生時代の父に課されたトレーニングはとてもきびしく、泣いたこともあります。そのおかげで高校にはいって、末藤先生のきびしい特訓にもたえることができました。
■3球目は、得意と不得意のコースを練習
私の卓球はドライブが主戦なので、相手にツッツキをさせて、3球目攻撃を多くやりました。1年のときは、ほとんどバックハンドはつかわず、回り込んで打つことが多かったが、フォア1本槍だと、どうしてもスタミナで問題が出てくるので、朝10km走り、帰ってからうさぎ飛び30mを5往復とサーキットトレーニングと反復飛びをやりました。いまも続けています。
学校での練習は、基礎練習が多く、そのなかでも、フットワーク、連続スマッシュ、サービスからの3球目強打、レシーブからの4球目強打等です。フットワークは前後左右の場合は、1本1本回してもらうとか、ランダムに回してもらうとかをやっていました。連続スマッシュの場合は、ランダムにボールを上げてもらい、それをオールフォアで打ったり、フォアとバックの切りかえをやりました。サービス+3球目攻撃は、自分の一番得意なコースと不得意なコースとをやりました。得意といえば、やはり、相手のバックへ小さく下切れのサービスを出して、3球目バックへ回り込んでドライブスマッシュすることです。不得意といえば、同じサービスを出して、フォア前にツッツかれた場合です。だからフォア前のボールを一生懸命強化しました。
また、こういう練習もやりました。台から5mほどはなれ、フォア前に小さく下切れ、横切れ、前進回転サービスなどを出してもらい、それを飛びこんで思いきり処理する練習です。はらえるボールならば、思いきってはらい、はらえない場合は、軽く相手の打ちにくいところへ返す。そしてときどきストレートへロングサービス、バッククロスへロングサービスを出してもらい、かならずフォアで回って打つというのもやりました。
レシーブからの4球目も、やはり得意と不得意を練習しました。得意は、バックへ小さくサービスを出された場合に、バックへはらい、それをバックへ返された場合はストレートへ思いきってスマッシュというところまでです。フォアへ返されたボールは、それをストレートにドライブとスマッシュを使いわけて打つという練習もやりました。
以上が私個人の練習です。
■ダブルスの練習はレシーブ、フットワーク...を主体に
ダブルスの練習はおもに、レシーブ、フットワーク、サービスを出して3球目、レシーブから4球目・6球目をやりました。レシーブ練習の場合には、相手にわかられない打ちかたをするにはどうしたらいいかとか、はらうようなかっこうをしてツッツいたり、ナックルで返したり、色々くふうをしました。試合では、なるべくツッツかないようにしました。
やはり一番なやんだのは、サービスの回転を見わけることでした。最初はあまりわからなく、レシーブミスばかりして桑野先輩にめいわくをかけました。それで、自分なりに研究しました。相手の手首とラケットの振りの早さを見ればわかるんじゃないかと思い、すぐに、サービスを出してもらってレシーブをしてみたら、けっこうわかるようになりました。それからは、けっこうレシーブができるようになり、自分なりに余裕ができ、次のボールをらくに打てるようになりました。前は、レシーブするのがやっとで、相手に強打されることが多かったが、いまは、レシーブで相手の意表をつくことができるようになったので、パートナーが次のボールを強打できるようになりました。
フットワーク練習は、前後のフットワークを多くやりました。なぜかというと、ダブルスの場合、左右の動きはできるんですけど、前後の場合に、どうしてもボールを前で打って打ち上げることが多く、末藤先生からもすごくしかられたからです。サービスを出す場合に相手がどの位置にいるか、台についているか、離れているかを考えてサービスを出すと、けっこう有効でした。
一番得意なのは、センターライン寄りに小さく横切れのサービスをだして、ストレートへ返されたボールをパートナーの桑野さん(サウスポー)が飛びついてクロスへスマッシュ、というパターンです。不得意は、小さくだすつもりのサービスが大きくなってしまいそれをクロスへドライブをかけられた場合です。やはり先に攻められた場合が一番いやでした。
ダブルスの練習はこれぐらいです。
■これからも張りつめた練習をやりたい
'72年のインターハイ後、末藤先生がおられなくなりました。先生のおられたころは、卓球部全員が寮生活をやっていて、練習時間も豊富でしたが、おられなくなってから、練習時間も短くなり、ただ自分の力を調整するだけで、伸ばすところまでいきませんでした。毎日毎日、それのくりかえしがつづきました。そして、'73年のインターハイでダブルスもシングルスも早く負けてしまいました。これではいけないと思い、自分なりに努力してみました。私は、今度のジュニアに命をかけてがんばりました。東京の末藤先生に電話をして、色々アドバイスを受け、また、いろいろな人からも指導を受けて、ジュニアで優勝することができました。まだやりたいことがたくさんある。でも時間がないのが残念です。先生のおられたときは、長い練習時間ができたのにと思うと先生のことが、ありがたく思います。これから先も、先生のいたころのような張りつめた練習をやっていきたいと思います。
あまのさとる 福岡県博多高校2年
'73年全日本ジュニアNo.1
(1974年2月号掲載)