~私の中、高校時代~
わたしは小学校の時、通っていた珠算塾に卓球台があったので、時間の合間に遊んでいるうちに好きになり、三瓶東中学校(愛媛県西宇和郡)入学と同時に卓球部に入部しました。練習内容といえば、フォームを固めることとボールをしっかり見るという意味で、素振りを多くやりました。台についた時は、フォアハンドを100本以上ノーミスで続ける練習を多く取り入れ、トレーニングも3km~4kmの山道を走り、足腰の強化と腕立て、腹筋、サーキットトレーニングも毎日していたように思います。
中学2年の時、南予地区大会に優勝し、徐々に力がついてきて、中学3年の時には、全国中学の愛媛県予選で優勝し、全国中学大会の出場権を得ました。当時は、二人組の団体戦だけで、パートナーは松岡君で、現在、愛媛県の松山空港に勤務しています。初めての全国大会出場ということで、胸をわくわくさせて試合に臨みました。が、結果は、2回戦で岡山県の金光中学に3-0のストレートで負けてしまい、さすが、全国ともなると強い選手が多いということを痛感しました。
中学校を終え、地元の三瓶高校に進み卓球部に入部してからは、中学時代と違って、卓球に対する取り組み方が、自分自身で強くなろうと自主的に努力するようになりました。練習は、基本練習に重点をおき、ドライブ、左右のフットワーク、スマッシュ等を多く取り入れ、応用練習では、サービスからの3球目、ドライブ処理、切り替えをやり、時間的余裕のある土曜、日曜日は、ゲーム練習等を多く取り入れました。トレーニングも、練習が終わってから5km~6km走ったり、ジュースの空びんに砂を入れて鉄アレイの代わりにして、手首の強化をはかりました。
高校2年の時でした。全日本ジュニア愛媛県予選と学校の体育祭の日が重なったのです。学校側では、学校の行事であるから、試合よりも学校の行事を優先するようにとのことだったのですが、私としては、是非とも試合に出場したくて学校側にお願いしたのですが、許されませんでした。しかし、顧問の山本先生、松山先生をはじめ、回りの方々が努力してくださったおかげで、学校側にも理解していただきました。その時、両親も学校の方にお願いしてくれていたようです。出場できることが決まってからは、それまで以上に練習に励んだ結果、愛媛県予選で優勝することができ、全日本出場の権利を得たわけです。
本大会では、全国中学とインターハイでの経験をいかしながら、一戦一戦だいじに試合をし、気がついた時は、ベスト8に入っていました。その時のランキングは6位で、ほんとうに、愛媛県予選から本大会まで、学校側のご理解と回りの方々のご協力に深く感謝しております。あの時、愛媛県予選に出場できなかったとしたら、ランキングに入ることができなかったわけですから...。
~指導者に恵まれて~
その後、3年のインターハイでは、ベスト16でランキング12位でした。自分自身、もっと強くなろうという一心で、大学進学を決意し、大学でも1、2を争う関西の近畿大学に進学を決めました。
近畿大学では、入学当初から恵まれた環境の中で、十分な練習をすることができ、また、大内監督は毎日練習に顔を出され、熱心な指導をしてくださいました。高島コーチには、卓球に対する考え、練習、私生活においても厳しく、私にとってほんとうに身近なお手本でした。また、高島コーチは、熱海の樋口先生の所で強化練習をされる際に、私もトレーナーとして同行する機会をあたえていただき、それ以来、私も先生から技術面、精神面、その他あらゆる面でご指導していただくようになりました。先生から、「目標は世界制覇ということで、最高の目標に向かって努力すべきである」ということを教わり、それまで世界制覇というような野心は持っていなかったのですが、それ以来、わたし自身もその目標に向かって努力するようになりました。
~大学時代の練習内容~
大学時代の練習内容は、午前9時~午後5時までが規定練習で、午前中は柔軟体操をして8km~10kmのランニング、ダッシュ30m×10本、腕立て、腹筋、サーキットなど1時間ほどのトレーニングをし、その後打球練習にはいります。部員の多い割には、台が少ないので、1人当たり30分~40分くらいしか打球できないので、一球一球無駄なボールを打たないように、集中して基本練習、または課題練習に取り組みました。午後からは、勝ち抜きのゲーム練習で、一度負けると自分の番がまわってこないので、全員が本番の試合の時のような緊張した状態の中で、ゲーム練習ができました。私はゲーム練習の中で、今一番取り組んでいる課題をミスをおそれずに、ゲームの中で積極的に使っていきました。例えば、サービスからの3球目の練習をしたあとのゲームでは、そのサービスから3球目を主体に使っていき、それを参考にプラスα(アルファ)として徐々に自分のものにするように心がけました。
午後5時以降は、自由練習です。授業のない時は、夜間練習をやり、規定練習では自分の思うような練習ができないので、夜間練習がほんとうの自分の練習で、夜おそくなるまで十分練習をしました。例えば、ボールの変化とボールを最後まで見て正しく打球することと、ドライブの威力と安定性をはかるために、カット打ちを毎日欠かさずに1時間以上練習し、それ以外でも、サービス、レシーブ、スマッシュの安定性、バックハンドの強化、動きを速くするための前後、左右のフットワーク等、課題がたくさんありますので、毎日練習計画を立てて効率よく消化するようにしました。毎日、最低6時間は練習し、打球練習以外では、高島コーチから、世界選手権の体験談を聞き、10日間フルに動きまわってプレーしていくためには、日ごろのトレーニングがどれほど大切であるか自覚し、時間の合間をみてランニングやウエートトレーニングで足腰の強化をはかりました。
また、特に気をつけたことは、私の場合、ケガや故障をしがちなので健康管理には、日ごろから十分に注意をし、コンディション作りにも心がけました。
~「恩 義 礼 節」~
昨年、日本楽器に入社し、当初は5時までの勤務でしたが、会社側のご理解もあり、9月から3時業務打ち切りということで練習量も多くなり、会社側に対して深く感謝しています。
大学時代と比べて練習量は落ちますが、大屋監督はじめ、良い先輩に恵まれていますので、思い切り練習することができます。しかし、人数が少ないために練習相手が限られてきますので、特に精神面において惰性に流れないように、常に緊張した気持ちで練習するように心がけています。
現在は、午後3時すぎから練習を開始し、柔軟体操をおえて、それから30分程度基本練習をしてから課題練習に入り、まず、ゲーム(試合)を想定して、自分の1番の得点源を分析して、システムを考えた練習を取り入れてやっています。例えば、サービスを3球目からスマッシュに結びつけるシステム、レシーブから先手をとって攻撃するようなシステム等、実戦的にやっています。その他には、スマッシュの強化、ドライブ処理、ショートの強化につとめています。
入社して、はや1年になろうとしていますが、会社、職場の方々のご理解もいただき、ようやく会社にも慣れてきて、私自身、ますます練習に意欲をもって取り組むことができるようになりましたので、今後も世界のトップクラスの選手に遅れをとらないよう、来年のノビサドの世界選手権を目指し、練習にトレーニングに努力を怠らないよう日夜励んでおります。また、樋口先生から教えをいただいた「恩義礼節」「強く正しい人間」ということをモットーとし、社会人としての自覚をもち、より良い人間形成に努めたいと思います。
おのせいじ 静岡・日本楽器
1979年世界単優勝
(1980年4月号掲載)
わたしは小学校の時、通っていた珠算塾に卓球台があったので、時間の合間に遊んでいるうちに好きになり、三瓶東中学校(愛媛県西宇和郡)入学と同時に卓球部に入部しました。練習内容といえば、フォームを固めることとボールをしっかり見るという意味で、素振りを多くやりました。台についた時は、フォアハンドを100本以上ノーミスで続ける練習を多く取り入れ、トレーニングも3km~4kmの山道を走り、足腰の強化と腕立て、腹筋、サーキットトレーニングも毎日していたように思います。
中学2年の時、南予地区大会に優勝し、徐々に力がついてきて、中学3年の時には、全国中学の愛媛県予選で優勝し、全国中学大会の出場権を得ました。当時は、二人組の団体戦だけで、パートナーは松岡君で、現在、愛媛県の松山空港に勤務しています。初めての全国大会出場ということで、胸をわくわくさせて試合に臨みました。が、結果は、2回戦で岡山県の金光中学に3-0のストレートで負けてしまい、さすが、全国ともなると強い選手が多いということを痛感しました。
中学校を終え、地元の三瓶高校に進み卓球部に入部してからは、中学時代と違って、卓球に対する取り組み方が、自分自身で強くなろうと自主的に努力するようになりました。練習は、基本練習に重点をおき、ドライブ、左右のフットワーク、スマッシュ等を多く取り入れ、応用練習では、サービスからの3球目、ドライブ処理、切り替えをやり、時間的余裕のある土曜、日曜日は、ゲーム練習等を多く取り入れました。トレーニングも、練習が終わってから5km~6km走ったり、ジュースの空びんに砂を入れて鉄アレイの代わりにして、手首の強化をはかりました。
高校2年の時でした。全日本ジュニア愛媛県予選と学校の体育祭の日が重なったのです。学校側では、学校の行事であるから、試合よりも学校の行事を優先するようにとのことだったのですが、私としては、是非とも試合に出場したくて学校側にお願いしたのですが、許されませんでした。しかし、顧問の山本先生、松山先生をはじめ、回りの方々が努力してくださったおかげで、学校側にも理解していただきました。その時、両親も学校の方にお願いしてくれていたようです。出場できることが決まってからは、それまで以上に練習に励んだ結果、愛媛県予選で優勝することができ、全日本出場の権利を得たわけです。
本大会では、全国中学とインターハイでの経験をいかしながら、一戦一戦だいじに試合をし、気がついた時は、ベスト8に入っていました。その時のランキングは6位で、ほんとうに、愛媛県予選から本大会まで、学校側のご理解と回りの方々のご協力に深く感謝しております。あの時、愛媛県予選に出場できなかったとしたら、ランキングに入ることができなかったわけですから...。
~指導者に恵まれて~
その後、3年のインターハイでは、ベスト16でランキング12位でした。自分自身、もっと強くなろうという一心で、大学進学を決意し、大学でも1、2を争う関西の近畿大学に進学を決めました。
近畿大学では、入学当初から恵まれた環境の中で、十分な練習をすることができ、また、大内監督は毎日練習に顔を出され、熱心な指導をしてくださいました。高島コーチには、卓球に対する考え、練習、私生活においても厳しく、私にとってほんとうに身近なお手本でした。また、高島コーチは、熱海の樋口先生の所で強化練習をされる際に、私もトレーナーとして同行する機会をあたえていただき、それ以来、私も先生から技術面、精神面、その他あらゆる面でご指導していただくようになりました。先生から、「目標は世界制覇ということで、最高の目標に向かって努力すべきである」ということを教わり、それまで世界制覇というような野心は持っていなかったのですが、それ以来、わたし自身もその目標に向かって努力するようになりました。
~大学時代の練習内容~
大学時代の練習内容は、午前9時~午後5時までが規定練習で、午前中は柔軟体操をして8km~10kmのランニング、ダッシュ30m×10本、腕立て、腹筋、サーキットなど1時間ほどのトレーニングをし、その後打球練習にはいります。部員の多い割には、台が少ないので、1人当たり30分~40分くらいしか打球できないので、一球一球無駄なボールを打たないように、集中して基本練習、または課題練習に取り組みました。午後からは、勝ち抜きのゲーム練習で、一度負けると自分の番がまわってこないので、全員が本番の試合の時のような緊張した状態の中で、ゲーム練習ができました。私はゲーム練習の中で、今一番取り組んでいる課題をミスをおそれずに、ゲームの中で積極的に使っていきました。例えば、サービスからの3球目の練習をしたあとのゲームでは、そのサービスから3球目を主体に使っていき、それを参考にプラスα(アルファ)として徐々に自分のものにするように心がけました。
午後5時以降は、自由練習です。授業のない時は、夜間練習をやり、規定練習では自分の思うような練習ができないので、夜間練習がほんとうの自分の練習で、夜おそくなるまで十分練習をしました。例えば、ボールの変化とボールを最後まで見て正しく打球することと、ドライブの威力と安定性をはかるために、カット打ちを毎日欠かさずに1時間以上練習し、それ以外でも、サービス、レシーブ、スマッシュの安定性、バックハンドの強化、動きを速くするための前後、左右のフットワーク等、課題がたくさんありますので、毎日練習計画を立てて効率よく消化するようにしました。毎日、最低6時間は練習し、打球練習以外では、高島コーチから、世界選手権の体験談を聞き、10日間フルに動きまわってプレーしていくためには、日ごろのトレーニングがどれほど大切であるか自覚し、時間の合間をみてランニングやウエートトレーニングで足腰の強化をはかりました。
また、特に気をつけたことは、私の場合、ケガや故障をしがちなので健康管理には、日ごろから十分に注意をし、コンディション作りにも心がけました。
~「恩 義 礼 節」~
昨年、日本楽器に入社し、当初は5時までの勤務でしたが、会社側のご理解もあり、9月から3時業務打ち切りということで練習量も多くなり、会社側に対して深く感謝しています。
大学時代と比べて練習量は落ちますが、大屋監督はじめ、良い先輩に恵まれていますので、思い切り練習することができます。しかし、人数が少ないために練習相手が限られてきますので、特に精神面において惰性に流れないように、常に緊張した気持ちで練習するように心がけています。
現在は、午後3時すぎから練習を開始し、柔軟体操をおえて、それから30分程度基本練習をしてから課題練習に入り、まず、ゲーム(試合)を想定して、自分の1番の得点源を分析して、システムを考えた練習を取り入れてやっています。例えば、サービスを3球目からスマッシュに結びつけるシステム、レシーブから先手をとって攻撃するようなシステム等、実戦的にやっています。その他には、スマッシュの強化、ドライブ処理、ショートの強化につとめています。
入社して、はや1年になろうとしていますが、会社、職場の方々のご理解もいただき、ようやく会社にも慣れてきて、私自身、ますます練習に意欲をもって取り組むことができるようになりましたので、今後も世界のトップクラスの選手に遅れをとらないよう、来年のノビサドの世界選手権を目指し、練習にトレーニングに努力を怠らないよう日夜励んでおります。また、樋口先生から教えをいただいた「恩義礼節」「強く正しい人間」ということをモットーとし、社会人としての自覚をもち、より良い人間形成に努めたいと思います。
おのせいじ 静岡・日本楽器
1979年世界単優勝
(1980年4月号掲載)