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わたしの練習106根本しのぶ 松崎選手を目標

 ~小・中学時代~

■大好きなショート打ち

 私が初めてラケットを握ったのは小学6年生の春のことでした。鹿部村にはスポーツ少年団がありその一員として卓球団に入部しました。練習は中学校でやっていましたのでこわごわ練習場へ行くと、すでに先輩たちはボールを打っていて、その音の中、戸を開けた瞬間急に心臓がドキドキしてきたのを今でもはっきり覚えています。その一瞬で自分自身が別人になったような気がして不思議に感じられました。ここで恩師中野寛先生に指導して頂きました。小学6年生の頃、よくやった練習のなかにショート打ちがあります。中野先生にショートをしてもらって私がそれを打つのですが、いいボールが入るとほめてくれて、ミスしたりすると私の闘争心を引き出すかのように注意してくださり、この時が一番楽しかったし、逆にきつかったようにも思われます。でもこのショート打ちによってフォームが固まり、打球点の感覚を把握することができたのだと思います。現在でも自分の打球点を確認するために、ショート打ちは私にとってかかせない練習の一つです。

■大会地までのランニング
 中学校の卓球部に入部し、中野先生に引き続き教えていただくことになり、特に精神的なことについて多くのことを学びました。たとえば、全道制覇するためには体力もさることながら、精神力を鍛えることが大事であると言うことから「函館から稚内までの684kmの距離を、全道大会が行われる日までに走ろう」と言う中野先生の提案で走ることになりました。それも各個人のペースでいうことで、強制的ではなかったのですが「全道大会の主催地である稚内に行きたい者は必ず684kmを走り終わること。到着しない者は連れて行かない」ということを言われました。毎日走った距離をグラフにつけ、あと何kmと毎日にらめっこしたものです。各個人のペースで走るのですから、1週間もしないうちに10km~20kmと、それぞれ差ができ、負けていられないと言ういい意味での部内での競争心が生まれてきたように思います。従って練習後のランニングだけでは足りなく、自然と早朝ランニングも始まり、1日合計すると10kmぐらいは走ったと思います。
 練習はたとえば、クロス打ちもしないですぐ蝶々式(一人はクロスだけ、一人はストレートだけのコース)のツッツキを300本以上とか、それをこなせなければ次への練習に進めないので、集中力を高めるには良い練習だと思います。あとは、マシンを使ってのフットワーク練習もやりました。特に私はマシン練習が多かったようです。なぜかと言うと中学1年の夏までは、ループ主体のドライブマンだった私を、木ベラにするということで1枚ラバーを1週間ぐらい使い、そして木ベラになりフォームを作るためにマシン練習が多かったと思うのです。―8月に入った頃にとうとう走り終わり、次々と他の部員も終わり、その努力が実を結び団体全道制覇、個人戦もベスト4独占の目標を成し遂げることができました。遂にやったという感激はいまだに忘れられません。
 そして、その年の12月5日に青森の南中学校に転校しました。理由は、中野先生が赴任されるということと、また、東奥女子高校の大森国雄校長、吉田先生のお誘いもあり、どうせ卓球をやるのならと思い、両親の反対を押して、雪降る津軽海峡を渡り青森へきました。
 その頃の練習は、中学校で1時間半ぐらいやり、その足で東奥女子高校で一緒に練習をやらせていただいたのです。その頃、東奥女子高校には現在活躍中である神田恵美子、伊藤文子、浦喜久選手ら強い先輩達がおられ、吉田先生、鳥居先生に木ベラとしての技術を徹底して教えていただきました。特に"フットワークは卓球の生命"ということで、フットワーク練習が主だったと思います。木ベラといってもショート練習より、攻撃練習を多くしました。しかし、フォアハンドとバックショートの流れが止まることは、バランスを崩す第1の原因だと思うので、切りかえしの練習もかなりやりました。中学3年生の全国大会で3位になってから、すぐ吉田先生に表ソフトにむりやりかえさせられ今に至っています。でも現在は、表ソフトが私に一番あっていると思っています。トレーニングの方は、鹿部中学校の頃と変わりなく、真冬の雪深く寒い朝でも、5時半に起きて毎朝5kmくらい今でもずっと続けて走っています。

 ~高校時代~

■入院がプラスに

 高校は何も迷うことなく東奥女子高校に入学しましたが、1年生の終わりの3月13日、練習中にアキレス腱を切ってしまいました。選抜大会へ向けての練習中ということもあって、先生を始め、チームのみんなに大変迷惑をかけてしまい、自分自身腹立たしく思いました。入院生活中これから卓球が続けられるのだろうかと悩んだりもしましたし、我慢することも多少学びました。それから、頭を鍛えるためにと、"一流スポーツマンの話""人生に勝つ""オリンピックへ血と汗の道""根性の女湯木博恵"(バドミントンの雑誌)等の本をたくさん読むことができ、自分にとって卓球を真剣に考える時間が持てプラスになりました。
 どうにか退院して初めてやった練習が、足も動かせないのでサービス練習でした。この時、特に投げ上げサービスに力を入れ、そしてマシンを相手に、バック系の向上をはかり、この時バックハンドを教えてもらい覚えました。6カ月後足も動けるようになるとまず最初にやったのがカットを粘るカット打ちです。毎日1時間ぐらいはやりました。このカット打ちの練習が生きたのか、全日本ジュニアで第1シードの福田法子(真岡女)選手に勝つことができました。そしてオールフォアで動く練習を30分くらいやりました。

■インターハイめざして
 足の方もすっかり回復すると同時に3年生になり、インターハイめざして、コーチの佐藤博治さんにいろいろアドバイスしていただきました。その中でも特に、①フォアへ跳びついてのストレートコースへの攻撃を30分 ②カット対策として、5本のサービスのうち必ず1本はフォア寄りのミドルへ打つ。この練習を2ヵ月近く時間をかけてやったのが良かったのか、まぐれにもインターハイで優勝できました。佐藤さんに大変感謝しております。 ③前原選手の練習方法の中から、ショート打ちで21本自分がスマッシュで得点する練習も多くやりました。 ④バックハンドの練習も1日30分くらいやったことが、インターハイ準決勝の前田選手(四天王寺高)との試合で生かされました。

■現在の練習とこれから
 去年の栃の葉国体の決勝で漆尾選手(柳川高)とラストで当たり、フォア側へのロングサービスから攻められ惨散しましたので、①フォア側へロングサービスを出してもらい、相手のフォア、バック側へ打てるように(ハーフボレーで)レシーブの安定性に努めています。それから夏の中国遠征で、対中国となるとどうしてもバックハンドが振れなくては、今後勝てないと深く考えさせられ、②フォアハンド・バックハンドの切りかえしで特にバランスを崩さないように、そして、正確なラケットの角度がすぐ出るように重点を置き練習し、だいぶ試合でも自然に流れにのって振れるようになりました。③サービスについては、投げ上げサービスにしても横へ曲がるサービスが多いので、短く止まるサービスも練習中です。
 私は松崎選手のような選手になりたいと思っておりますが、今の私のボールは軽いので、④松崎選手のように右腰をフォアハンドの時に入れて重いボールを打てるように特訓中です。⑤伊藤繁雄選手のように、微調整を使って打てるように。このトレーニング方法は、台に軽く手をのせスタンスをやや広くし、小刻みにつま先で床を踏むものですが、効果が出てきており、跳び上がってスマッシュを打つ私の悪い癖が徐々に直ってきました。⑥私は団体戦に弱く、私が勝てば勝てるという試合で必ずと言っていい程負けましたので、大学へ行ってからは、団体戦で頼りがいのある選手になりたいと思っています。
 最後に、佐藤さん、山口先生、吉田先生、鳥居先生を始め、多くの方々に感謝し、今年ノビサドの世界選手権代表の新保、神田先輩の後を継いで、私も世界選手権代表になれるようがんばりたいと思っています。

ねもとしのぶ
右、ペン、表ソフトの前陣攻守型。
足の故障でやや速攻のきれがにぶったが、カット攻略には定評がある。日本女子期待の一人。
'80年インターハイNo.1。東奥女子高校


(1981年3月号掲載)
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