~卓球が面白くてたまらなかった中学時代~
私がラケットを初めて握ったのは、洲本市立青雲中学校に入学してからです。兄が中学時代に卓球をやっていて熱心に勧めてくれました。ラケットは兄のものを譲り受けましたが、木ベラで裏面に裏ソフトラバーが貼ってありました。その頃から裏面でサービスすることを覚えました。初めのうちは、両手で持ち替えていましたが、中学3年の頃には、気がついたら片手で回していました。
中学時代、指導していただいたのは、顧問の植野先生です。たいへん熱心な先生で、毎日練習場に来てくださいました。主な練習内容として、フットワークしながらフォアハンドの素振りやフォア打ち、ショート対ショート、ツッツキを続けるなどの基本的な練習と、勝ち抜き戦、リーグ戦などのゲーム練習が多かったように思います。しかし、この頃は、本当に自己流ピンポンで、フォア打ちもまともにできませんでした。打ったあとラケットの面が頭の後ろを向き、フリーハンドと交差して打つので、みんなから「X(エックス)打ち」などと言われるほどひどいフォームでした。それでも、人が驚くような新しいことを考えてやるのが好きで、サービスなど、今思うとおかしくなるようなものをやっていました。とにかく卓球がおもしろくてたまらないといった時代でした。
中学時代の最高成績は、県大会でシングルス3位になり、大阪で開かれた全国中学生大会に出場することができました。全中に出場できるとは、夢にも思わなかったので本当に嬉しかったのを覚えています。全国レベルは、自分などとは比べものにならないほど高く、「自分もあんなに強くなりたいなあ」などと感じたものです。この全中出場から、高校に入っても卓球を続けようと心に決めました。高校に入って、おもいっきり好きな卓球をしている自分を夢見ながら受験勉強に励んだものです。
■「他と同じ方法では勝てない」
洲本高校に入学してから、熱心に指導してくださったのは、顧問の山田先生です。技術的なことだけでなく、考え方の上においてもいろいろ指導していただきました。特に印象に残っているのは、「高校のスタート地点ですでに他校と相当な差があるので、他校と同じ方法でやったのでは、とても勝てない。全く違った考え方、角度から練習するしかない」と言われたのを覚えています。
入学式前の3月の終わりに松崎杯に出場しましたが、そこで幸運にも、その頃強かった東奥女子高校の神田さんや伊藤さんたちと団体戦をやることができました。結果は無惨でしたが、あこがれの人たちと試合ができたことで、私も全国レベル目指してがんばろうと強く意識しました。松崎杯のあとすぐに、木ベラからイボ高の一枚ラバーに貼り替えました。チームに木ベラが二人いましたので、ラバーでも貼ってみるかということになりました。これが、私の今日の戦型を形作る第一の転機だったと思います。数少ない戦型でしたので、これから自分が開発していくんだという気持ちでした。何もかもが新しい技術で、本当に手さぐりといった感じでした。
■李基元選手のプレーをビデオで見て
高校時代の練習時間は、朝7:30~8:15頃までサービス練習、午後3:50~4:20頃まで体操や、タイムを測ってのランニング(約2km)、4:30~8:00か8:30頃まで打球練習でした。私の練習内容は、時期的に大きく二つに分けられると思います。二年の前半頃までは、守備型を目指し、ツッツキ、ショート(ブロック)が主な練習で、ペンカットの練習もやりました。ショート練習では、フォアとバックの切り替え、ショートのフットワーク、片面対オールのショート練習などです。
その頃はまだ、イボ高ラバーでは、攻撃ができないものと思っていました。ところが山田先生に連れられてバタフライ・ラブへ行った時、韓国の李基元選手のビデオを見て「イボ高で、あんなに攻撃できるんだなあ」と初めて知らされました。それから、ツッツキ打ちなどの攻撃練習や、フォアハンドのフットワークなども随分取り入れていきました。これが、私が攻撃型を目指していく第二の転機だったと思います。ショートと違って、フォアハンドは、安定性がなく、たいへん悩み、試行錯誤の繰り返しでした。
私の常に悩みの種であったカット打ちには、本当に苦しみました。最初のうちは、促進に持ち込んで打たせてとる方法でしたが、そのうちに、ツッツキからツッツキ打ちの方法をとり、カットマンと当たれば、裏面にその頃表ソフトを貼っていましたので、オール表ソフトで試合をしたりしました。けれども、結局、高三の選抜、インターハイ、国体と、負けたのは、ほとんどカットマンという情けない状態でした。ツッツキ打ちだけでは、どうしても打ち抜けなかったし、アンチが出てきて、ツッツキで粘っていると浮いて楽に打ち抜かれてしまうという始末でした。私にとって最大の課題は、まずこのカット打ちができるようになることでした。そうすれば、自然とフォアハンドが安定し、対攻撃にも、もっと強くなれると信じてがんばりました。ちょうどその頃、ピョンヤンの世界選手権で、中国の葛新愛選手がカットマンに勝って優勝しましたので、たいへん励みになりました。
また、高校時代には、イボ高だけでなく、裏面の裏ソフト、または表ソフトをラリー中に持ち替えて使うことを覚えました。イボ高ばかり使っている時は、どうしても、攻撃のリズムがつかみにくく、動きが鈍かったように思います。しかし裏ソフトや表ソフトの使用によって少しずつではありますが、動きが速くなり、攻撃のリズムがつかめていったように思います。
■恵まれた環境で課題を克服
中央大学に入学して、四年生には、全日本チャンピオンの和田さんや萩原さん、三年生には藤塚さん、そして同期の上岡さんといったカットマンに恵まれ、私にとって、本当に恵まれた環境だったと思います。
カット打ちの練習として、
①フォアクロス、バッククロス、ストレート、それぞれワンコースで粘る練習およびスマッシュ練習
②片面(相手)対オールでカット打ちで粘る練習およびスマッシュを混じえての練習
③カット打ちからストップして、ツッツキ打ちの練習
④両ハンド振ってもらってブロック練習
カット打ちで、特に気をつけている点は、
①打点を下げないこと
②右腰と肘で押し込むように持っていくこと
③ミートを強くすること
④フリーハンドを使うこと
⑤ナックル性で、深く持っていくこと...などです。
一年の全日本学生では、幸運にも、カットマンに勝って優勝できましたが、イボ高でも、やればできるんだという自信がつきました。
■現在の主な練習内容
現在の主な練習内容は、
Ⓐイボ高での
①フットワーク(フォアハンドとショートのフットワーク)
②ショート(ドライブ処理、スマッシュ処理)
③フォアハンドとショートの切り替え
④ツッツキ打ち、
⑤飛びつき、回り込み
Ⓑ裏ソフトでの
①フットワーク(フォアハンドのフットワーク)
②オールで、フォアハンドとショートの切り替え
③ツッツキ打ち
Ⓒイボ高と裏ソフトをサービスとラリー中に持ち替えてのサービス3球目、レシーブ+4球目攻撃
これらの練習で、特に気をつけていることは、①打球点 ②台との距離 ③前後、左右へのゆさぶり ④イボ高と裏ソフトのコンビネーションです。
いろいろと述べてきましたが、私がいつも頭に置いていることは、いかにして、イボ高ラバーとしての特徴を生かすかということです。そのために、まず、イボ高ラバー自体を自在に使いこなすことであり、イボ高とはまったく球質の異なる裏ソフトを使いこなすことによって、ますます、イボ高ラバーを生かしていけると思います。イボ高ラバーと裏ソフトラバーとでは、まったく打球感が違いますから、頭で理解していても、なかなかうまくいきません。また、いつ、どういう場面で裏ソフトを使えばいいのか、難しいと思います。しかし、とにかく、手の感覚、体で覚えることが最も大切であり、やっているうちに、だんだんとわかってくると思います。
最後に、これまでお世話になった方々に感謝すると共に、これからも、一層の努力をしていきたいと思います。
おばらるみ
洲本高→中央大4年
右、ペン、異質攻撃型。
私がラケットを初めて握ったのは、洲本市立青雲中学校に入学してからです。兄が中学時代に卓球をやっていて熱心に勧めてくれました。ラケットは兄のものを譲り受けましたが、木ベラで裏面に裏ソフトラバーが貼ってありました。その頃から裏面でサービスすることを覚えました。初めのうちは、両手で持ち替えていましたが、中学3年の頃には、気がついたら片手で回していました。
中学時代、指導していただいたのは、顧問の植野先生です。たいへん熱心な先生で、毎日練習場に来てくださいました。主な練習内容として、フットワークしながらフォアハンドの素振りやフォア打ち、ショート対ショート、ツッツキを続けるなどの基本的な練習と、勝ち抜き戦、リーグ戦などのゲーム練習が多かったように思います。しかし、この頃は、本当に自己流ピンポンで、フォア打ちもまともにできませんでした。打ったあとラケットの面が頭の後ろを向き、フリーハンドと交差して打つので、みんなから「X(エックス)打ち」などと言われるほどひどいフォームでした。それでも、人が驚くような新しいことを考えてやるのが好きで、サービスなど、今思うとおかしくなるようなものをやっていました。とにかく卓球がおもしろくてたまらないといった時代でした。
中学時代の最高成績は、県大会でシングルス3位になり、大阪で開かれた全国中学生大会に出場することができました。全中に出場できるとは、夢にも思わなかったので本当に嬉しかったのを覚えています。全国レベルは、自分などとは比べものにならないほど高く、「自分もあんなに強くなりたいなあ」などと感じたものです。この全中出場から、高校に入っても卓球を続けようと心に決めました。高校に入って、おもいっきり好きな卓球をしている自分を夢見ながら受験勉強に励んだものです。
■「他と同じ方法では勝てない」
洲本高校に入学してから、熱心に指導してくださったのは、顧問の山田先生です。技術的なことだけでなく、考え方の上においてもいろいろ指導していただきました。特に印象に残っているのは、「高校のスタート地点ですでに他校と相当な差があるので、他校と同じ方法でやったのでは、とても勝てない。全く違った考え方、角度から練習するしかない」と言われたのを覚えています。
入学式前の3月の終わりに松崎杯に出場しましたが、そこで幸運にも、その頃強かった東奥女子高校の神田さんや伊藤さんたちと団体戦をやることができました。結果は無惨でしたが、あこがれの人たちと試合ができたことで、私も全国レベル目指してがんばろうと強く意識しました。松崎杯のあとすぐに、木ベラからイボ高の一枚ラバーに貼り替えました。チームに木ベラが二人いましたので、ラバーでも貼ってみるかということになりました。これが、私の今日の戦型を形作る第一の転機だったと思います。数少ない戦型でしたので、これから自分が開発していくんだという気持ちでした。何もかもが新しい技術で、本当に手さぐりといった感じでした。
■李基元選手のプレーをビデオで見て
高校時代の練習時間は、朝7:30~8:15頃までサービス練習、午後3:50~4:20頃まで体操や、タイムを測ってのランニング(約2km)、4:30~8:00か8:30頃まで打球練習でした。私の練習内容は、時期的に大きく二つに分けられると思います。二年の前半頃までは、守備型を目指し、ツッツキ、ショート(ブロック)が主な練習で、ペンカットの練習もやりました。ショート練習では、フォアとバックの切り替え、ショートのフットワーク、片面対オールのショート練習などです。
その頃はまだ、イボ高ラバーでは、攻撃ができないものと思っていました。ところが山田先生に連れられてバタフライ・ラブへ行った時、韓国の李基元選手のビデオを見て「イボ高で、あんなに攻撃できるんだなあ」と初めて知らされました。それから、ツッツキ打ちなどの攻撃練習や、フォアハンドのフットワークなども随分取り入れていきました。これが、私が攻撃型を目指していく第二の転機だったと思います。ショートと違って、フォアハンドは、安定性がなく、たいへん悩み、試行錯誤の繰り返しでした。
私の常に悩みの種であったカット打ちには、本当に苦しみました。最初のうちは、促進に持ち込んで打たせてとる方法でしたが、そのうちに、ツッツキからツッツキ打ちの方法をとり、カットマンと当たれば、裏面にその頃表ソフトを貼っていましたので、オール表ソフトで試合をしたりしました。けれども、結局、高三の選抜、インターハイ、国体と、負けたのは、ほとんどカットマンという情けない状態でした。ツッツキ打ちだけでは、どうしても打ち抜けなかったし、アンチが出てきて、ツッツキで粘っていると浮いて楽に打ち抜かれてしまうという始末でした。私にとって最大の課題は、まずこのカット打ちができるようになることでした。そうすれば、自然とフォアハンドが安定し、対攻撃にも、もっと強くなれると信じてがんばりました。ちょうどその頃、ピョンヤンの世界選手権で、中国の葛新愛選手がカットマンに勝って優勝しましたので、たいへん励みになりました。
また、高校時代には、イボ高だけでなく、裏面の裏ソフト、または表ソフトをラリー中に持ち替えて使うことを覚えました。イボ高ばかり使っている時は、どうしても、攻撃のリズムがつかみにくく、動きが鈍かったように思います。しかし裏ソフトや表ソフトの使用によって少しずつではありますが、動きが速くなり、攻撃のリズムがつかめていったように思います。
■恵まれた環境で課題を克服
中央大学に入学して、四年生には、全日本チャンピオンの和田さんや萩原さん、三年生には藤塚さん、そして同期の上岡さんといったカットマンに恵まれ、私にとって、本当に恵まれた環境だったと思います。
カット打ちの練習として、
①フォアクロス、バッククロス、ストレート、それぞれワンコースで粘る練習およびスマッシュ練習
②片面(相手)対オールでカット打ちで粘る練習およびスマッシュを混じえての練習
③カット打ちからストップして、ツッツキ打ちの練習
④両ハンド振ってもらってブロック練習
カット打ちで、特に気をつけている点は、
①打点を下げないこと
②右腰と肘で押し込むように持っていくこと
③ミートを強くすること
④フリーハンドを使うこと
⑤ナックル性で、深く持っていくこと...などです。
一年の全日本学生では、幸運にも、カットマンに勝って優勝できましたが、イボ高でも、やればできるんだという自信がつきました。
■現在の主な練習内容
現在の主な練習内容は、
Ⓐイボ高での
①フットワーク(フォアハンドとショートのフットワーク)
②ショート(ドライブ処理、スマッシュ処理)
③フォアハンドとショートの切り替え
④ツッツキ打ち、
⑤飛びつき、回り込み
Ⓑ裏ソフトでの
①フットワーク(フォアハンドのフットワーク)
②オールで、フォアハンドとショートの切り替え
③ツッツキ打ち
Ⓒイボ高と裏ソフトをサービスとラリー中に持ち替えてのサービス3球目、レシーブ+4球目攻撃
これらの練習で、特に気をつけていることは、①打球点 ②台との距離 ③前後、左右へのゆさぶり ④イボ高と裏ソフトのコンビネーションです。
いろいろと述べてきましたが、私がいつも頭に置いていることは、いかにして、イボ高ラバーとしての特徴を生かすかということです。そのために、まず、イボ高ラバー自体を自在に使いこなすことであり、イボ高とはまったく球質の異なる裏ソフトを使いこなすことによって、ますます、イボ高ラバーを生かしていけると思います。イボ高ラバーと裏ソフトラバーとでは、まったく打球感が違いますから、頭で理解していても、なかなかうまくいきません。また、いつ、どういう場面で裏ソフトを使えばいいのか、難しいと思います。しかし、とにかく、手の感覚、体で覚えることが最も大切であり、やっているうちに、だんだんとわかってくると思います。
最後に、これまでお世話になった方々に感謝すると共に、これからも、一層の努力をしていきたいと思います。
おばらるみ
洲本高→中央大4年
右、ペン、異質攻撃型。
異質ラバー(イボ高と裏ソフト)を生かした特異な攻撃を生かし、1年で全日本学生優勝。
年々、反転技術が上達し、今年のインカレ優勝の原動力となった。'83年世界日本代表
(1983年10月号掲載)
(1983年10月号掲載)