~「卓球は遊びじゃない。やるなら真剣にやれ」~
私が本格的に卓球にとりくみ出したのは、王子小学校(和歌山県新宮市)5年生のときからです。5年生になったとき、必修クラブがあって、何かのクラブに入らなければいけなかったのです。それで、私は友だちと何度か遊びでやったことのある卓球を、何のためらいもなく選びました。
はじめは、シェークの攻撃型でした。が、6年生になってまもなくの頃、顧問の水口先生に「カットマンになれ」とアドバイスを受けたのです。おそらく先生は、私の身長が高かったから言われたのかもしれません。これが、カットマンに転向したキッカケです。水口先生は、非常に研究熱心な、情熱にあふれた先生でした。
私が入部したての頃です。卓球部に入部する前に友だちと遊びでやっていたときと同じ気持ちで、白い歯を出しながら練習していました。その途端、大きな声で「おまえら、明日からくるな」と、ひどく怒られたことがあります。その頃の私は、遊びの延長として卓球をとらえていましたし、なぜ笑いながらやってはいけないのか、よくわかりませんでした。ですから、大声で怒られても、翌日も何食わぬ顔で体育館に入り、いつものようにボールを打っていました。すると、足早に近づいてきて、「卓球は遊びじゃない。やるなら真剣にやれ」と言われたことを今でもはっきりと覚えています。
それ以来、私の卓球に対するとり組み方が変わったことはいうまでもありません。後年、笑い話になったのですが、もしあの時「明日からくるな」という先生の言葉をまに受けていたら、おそらく私はいま卓球をしていないのではないかと思うと、何かへんな気持ちがします。
~先生方に恵まれ、中学、高校日本一に~
中学は、王子小学校のすぐ近くにある城南中学校です。ここでも私はすばらしい先生に出会うことができました。いまは亡き工藤先生です。
工藤先生は、技術的な指導はあまりしてくださいませんでした。が、精神的な指導や他校の選手の資料を集めたり、練習試合を組むことなど、本当によくやっていただきました。温厚な先生で、たとえ練習をさぼったときでも決して怒らず、「さぼったんか。あかんやないか」という短い言葉だけでした。そんな先生に、私は何もしてやれませんでした。これからを、ぜひ見ていてほしかったと残念に思っています。
中学時代の練習は、他の運動クラブも一緒に体育館を使っていたこともあって、放課後、1時間ぐらいと少なく、十分な練習はできませんでした。それで、土、日、祭日は小学校に行って水口先生のもとで思いきり練習しました。
練習内容は、①40分のフットワーク ②11本3ゲームの勝ち抜き戦 ③4人でのリーグ戦...などが主でした。ライバルのカット主戦・野尻君(現明大)、ドライブ主戦型の井戸辻、中尾君、表ソフトでカット打ちのうまい川野上君らと、みんなで力を合わせて精一杯がんばりました。練習後はみんなくたくたに疲れて、家に帰りつくのがやっとの状態でした。
こうして、水口、工藤両先生、それに新宮出身の辻先生(タマス)のおかげで全国中学生大会では、団体戦に優勝することができました。みんなで大喜びしたのがついこの間のような気がします。
そして、高校卓球界の名門中の名門・東山高校に進学しました。東山高校の練習(平日)は、3:15から体操を行い、60分練習して10分休憩をするしくみで、それを3度くり返す方法でした。主な練習内容は、フットワークと各自の課題練習でした。私は田阪さん(現コーチ)に教えていただき、守備範囲を広める練習に時間をかけました。
例をあげますと、いつもよりフォア前に寄って構えていて、バック側にスマッシュしてもらいます。それを一生懸命追いかけてカットで返球するのをくり返す方法です。
今井先生には、「カットマンは耐えるのが大事なんだ」と、毎日のようにアドバイスしていただきました。そうした成果があらわれ、3年のときのインターハイでは、幸い、団体とシングルスに優勝することができました。特に、シングルスの決勝戦で荒木選手(当時実践商高)と対戦し、3ゲーム目6-10とリードされたときは、「耐えろ、耐えろ」と言い聞かせて戦い、逆転勝ちをおさめることができました。
私は、こうして、水口先生、工藤先生、今井先生をはじめ、たくさんの方々のおかげで中学、高校の日本一になれたことに深く感謝しています。
~現在の主な練習~
大学は、同志社大学に進みました。大学に進学してからは、授業などの都合で東山高校時代にくらべて十分練習できる時間が少なくなりました。時には、練習できない日さえあります。そういう日は、いつもより多めにトレーニングをしてカバーするようにしています。また、日常生活においても常に卓球のことを考え、いくらかでも卓球にプラスになるように心がけて行動しています。
ふだんの規定練習は、2:30~6:00までですが、火、水、木曜日は7:00まで体育館が使用できますので、残って練習します。
現在、特に力を入れてとりくんでいるのは、フットワークとカット打ちの練習です。フットワークは、カットマンの動きだけでなく、攻撃型の動きも同時に行っています。
カットでのフットワークは、バック側に打って(ドライブ)もらって、バックカットで返したのを、フォア前にストップしてもらい、それをフォアツッツキで返すバックカット+フォア前ツッツキの前後の動きを集中してやっています。
気をつけていることは
①正確に速く動くこと
②最後まで、あきらめずにボールを追いかけること
③しっかり振りきること
...などです。ミスした時は、「なぜミスしたのか」「どこが悪かったか」を常に考えて、同じミスをくり返さないように心がけています。また、相手になるべく打ちやすいボールを送って、自分に余分に負荷がかかる状態にして練習しています。
攻撃型としては、左右交互にショートでなるべく速く回してもらって、動きます。そして、ある程度ラリーが続くようになったら全面にスマッシュする練習です。
カット打ちは、相手にワンコースにカットボールを送ってもらい、それをドライブ、もしくはいきなりスマッシュする練習を多くやっています。初歩的な練習ばかりですが、卓球は基礎練習のくり返しが大切です。ワンコースでは、動きが単調になりがちですが、苦しくても必ず微調整して打つように気をつけています。また、変化をつけてもらい、変化を見分ける練習にも時間をかけています。変化を見分けるときは、打球音などに頼って判断するのではなく、あくまでボールをしっかり目で見て確かめるように心がけています。
~今後の課題~
過日、ピョンヤンで行われた第3回ピョンヤン国際招待大会に参加しましたが、成績はかんばしくありませんでした。反省してみると、まだまだ卓球に対する自分の考えが甘かったと痛感しています。いままでは、身近なことだけに目を奪われた練習をしていましたが、それでは中国の速攻やヨーロッパのパワードライブについていけるはずがありません。体力、精神、技術、すべての面で他国の選手に劣っていることを情けなく思いました。
これからは、
①サービス、レシーブの強化
②スマッシュ力の強化
③体力強化
...に努め、相手によってはオール攻撃でも戦えるカット型をめざしたいと思っています。そして、卓球だけではなく、日常生活の面においても、立派に世界で通用する卓球選手になるべく精一杯努力していくつもりです。
やまもとつねやす
東山高→同志社大2年
右、シェーク異質カット主戦型(裏ソフト+イボ高)
広い守備範囲と攻撃力で'81年インターハイ優勝。
大学進学後も着実に力をつけ、今年の関西学生No.1
第3回ピョンヤン国際招待日本代表
(1983年11月号掲載)
私が本格的に卓球にとりくみ出したのは、王子小学校(和歌山県新宮市)5年生のときからです。5年生になったとき、必修クラブがあって、何かのクラブに入らなければいけなかったのです。それで、私は友だちと何度か遊びでやったことのある卓球を、何のためらいもなく選びました。
はじめは、シェークの攻撃型でした。が、6年生になってまもなくの頃、顧問の水口先生に「カットマンになれ」とアドバイスを受けたのです。おそらく先生は、私の身長が高かったから言われたのかもしれません。これが、カットマンに転向したキッカケです。水口先生は、非常に研究熱心な、情熱にあふれた先生でした。
私が入部したての頃です。卓球部に入部する前に友だちと遊びでやっていたときと同じ気持ちで、白い歯を出しながら練習していました。その途端、大きな声で「おまえら、明日からくるな」と、ひどく怒られたことがあります。その頃の私は、遊びの延長として卓球をとらえていましたし、なぜ笑いながらやってはいけないのか、よくわかりませんでした。ですから、大声で怒られても、翌日も何食わぬ顔で体育館に入り、いつものようにボールを打っていました。すると、足早に近づいてきて、「卓球は遊びじゃない。やるなら真剣にやれ」と言われたことを今でもはっきりと覚えています。
それ以来、私の卓球に対するとり組み方が変わったことはいうまでもありません。後年、笑い話になったのですが、もしあの時「明日からくるな」という先生の言葉をまに受けていたら、おそらく私はいま卓球をしていないのではないかと思うと、何かへんな気持ちがします。
~先生方に恵まれ、中学、高校日本一に~
中学は、王子小学校のすぐ近くにある城南中学校です。ここでも私はすばらしい先生に出会うことができました。いまは亡き工藤先生です。
工藤先生は、技術的な指導はあまりしてくださいませんでした。が、精神的な指導や他校の選手の資料を集めたり、練習試合を組むことなど、本当によくやっていただきました。温厚な先生で、たとえ練習をさぼったときでも決して怒らず、「さぼったんか。あかんやないか」という短い言葉だけでした。そんな先生に、私は何もしてやれませんでした。これからを、ぜひ見ていてほしかったと残念に思っています。
中学時代の練習は、他の運動クラブも一緒に体育館を使っていたこともあって、放課後、1時間ぐらいと少なく、十分な練習はできませんでした。それで、土、日、祭日は小学校に行って水口先生のもとで思いきり練習しました。
練習内容は、①40分のフットワーク ②11本3ゲームの勝ち抜き戦 ③4人でのリーグ戦...などが主でした。ライバルのカット主戦・野尻君(現明大)、ドライブ主戦型の井戸辻、中尾君、表ソフトでカット打ちのうまい川野上君らと、みんなで力を合わせて精一杯がんばりました。練習後はみんなくたくたに疲れて、家に帰りつくのがやっとの状態でした。
こうして、水口、工藤両先生、それに新宮出身の辻先生(タマス)のおかげで全国中学生大会では、団体戦に優勝することができました。みんなで大喜びしたのがついこの間のような気がします。
そして、高校卓球界の名門中の名門・東山高校に進学しました。東山高校の練習(平日)は、3:15から体操を行い、60分練習して10分休憩をするしくみで、それを3度くり返す方法でした。主な練習内容は、フットワークと各自の課題練習でした。私は田阪さん(現コーチ)に教えていただき、守備範囲を広める練習に時間をかけました。
例をあげますと、いつもよりフォア前に寄って構えていて、バック側にスマッシュしてもらいます。それを一生懸命追いかけてカットで返球するのをくり返す方法です。
今井先生には、「カットマンは耐えるのが大事なんだ」と、毎日のようにアドバイスしていただきました。そうした成果があらわれ、3年のときのインターハイでは、幸い、団体とシングルスに優勝することができました。特に、シングルスの決勝戦で荒木選手(当時実践商高)と対戦し、3ゲーム目6-10とリードされたときは、「耐えろ、耐えろ」と言い聞かせて戦い、逆転勝ちをおさめることができました。
私は、こうして、水口先生、工藤先生、今井先生をはじめ、たくさんの方々のおかげで中学、高校の日本一になれたことに深く感謝しています。
~現在の主な練習~
大学は、同志社大学に進みました。大学に進学してからは、授業などの都合で東山高校時代にくらべて十分練習できる時間が少なくなりました。時には、練習できない日さえあります。そういう日は、いつもより多めにトレーニングをしてカバーするようにしています。また、日常生活においても常に卓球のことを考え、いくらかでも卓球にプラスになるように心がけて行動しています。
ふだんの規定練習は、2:30~6:00までですが、火、水、木曜日は7:00まで体育館が使用できますので、残って練習します。
現在、特に力を入れてとりくんでいるのは、フットワークとカット打ちの練習です。フットワークは、カットマンの動きだけでなく、攻撃型の動きも同時に行っています。
カットでのフットワークは、バック側に打って(ドライブ)もらって、バックカットで返したのを、フォア前にストップしてもらい、それをフォアツッツキで返すバックカット+フォア前ツッツキの前後の動きを集中してやっています。
気をつけていることは
①正確に速く動くこと
②最後まで、あきらめずにボールを追いかけること
③しっかり振りきること
...などです。ミスした時は、「なぜミスしたのか」「どこが悪かったか」を常に考えて、同じミスをくり返さないように心がけています。また、相手になるべく打ちやすいボールを送って、自分に余分に負荷がかかる状態にして練習しています。
攻撃型としては、左右交互にショートでなるべく速く回してもらって、動きます。そして、ある程度ラリーが続くようになったら全面にスマッシュする練習です。
カット打ちは、相手にワンコースにカットボールを送ってもらい、それをドライブ、もしくはいきなりスマッシュする練習を多くやっています。初歩的な練習ばかりですが、卓球は基礎練習のくり返しが大切です。ワンコースでは、動きが単調になりがちですが、苦しくても必ず微調整して打つように気をつけています。また、変化をつけてもらい、変化を見分ける練習にも時間をかけています。変化を見分けるときは、打球音などに頼って判断するのではなく、あくまでボールをしっかり目で見て確かめるように心がけています。
~今後の課題~
過日、ピョンヤンで行われた第3回ピョンヤン国際招待大会に参加しましたが、成績はかんばしくありませんでした。反省してみると、まだまだ卓球に対する自分の考えが甘かったと痛感しています。いままでは、身近なことだけに目を奪われた練習をしていましたが、それでは中国の速攻やヨーロッパのパワードライブについていけるはずがありません。体力、精神、技術、すべての面で他国の選手に劣っていることを情けなく思いました。
これからは、
①サービス、レシーブの強化
②スマッシュ力の強化
③体力強化
...に努め、相手によってはオール攻撃でも戦えるカット型をめざしたいと思っています。そして、卓球だけではなく、日常生活の面においても、立派に世界で通用する卓球選手になるべく精一杯努力していくつもりです。
やまもとつねやす
東山高→同志社大2年
右、シェーク異質カット主戦型(裏ソフト+イボ高)
広い守備範囲と攻撃力で'81年インターハイ優勝。
大学進学後も着実に力をつけ、今年の関西学生No.1
第3回ピョンヤン国際招待日本代表
(1983年11月号掲載)