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わたしの練習119萩原卓己 足を生かし、ピッチの速い卓球を

 ~親、兄姉の影響を受けて~

 私が卓球を始めるようになったのは、父がかつて卓球のアジア選手権日本代表選手であり、姉や兄も私がものごころついたころにはすでに卓球をやっていた、という環境で育ったことがいちばん大きいと思います。
 ところが小学校の頃の私は、父が現在も指導している山陽女子高校に連れていってくれても、ほとんど卓球はせず、すぐに体育館の外にとび出しては、セミをとったり、体操器具で遊んだり、ソフトボールに興じたりで、もっぱら違うスポーツや遊びばかりしていました。
 そんなわけで、たまに姉たちに試合をやってもらうと、やはり負けるわけです。それが悔しくて、勝つまで何度でも試合をさせたことを今でもはっきり覚えています。小さい頃から負けん気が強く、気性の激しい性格でした。そんな私でしたが、不思議に父から「卓球をやれ」と強制されたことは記憶のどこを探しても思いあたりません。
 けれでも、私の心のどこかに、その頃から「中学校に入学したら卓球部に入るんだ」という気持ちができあがっていました。それで中学校に入学すると、さっそく卓球部に入りました。そして入学直後に行われた岡山市大会でいきなり優勝したものですから、1年生でレギュラー入りすることができ、3年生に混じって十分に練習することができました。
 また、この年転任してこられた河本先生が、新しく卓球部の面倒を見てくださることになりました。先生の学年に関係なくレギュラーに優先的にコートを割り当てるという指導方針も、私にはラッキーでした。先生には、私が大きな大会にのぞむようになり、勝ちたいと思う気持ちが強すぎて自分を見失った時など、精神面でもいろいろ指導していただきました。
 今での私の試合の時に、観覧席の最前列で誰よりも大きな声で応援してくださる河本先生は、私の良き理解者であり相談者でもあります。
 その頃よくやった練習は、ボールをたくさん使っての連続スマッシュと、ラリーを続けること、そして、フォア1本、バック2本の切りかえフットワーク、前後、左右などの素振りによるフットワーク...などでした。いま考えれば、甘いものであったと思いますが、この中学時代は私にとって非常に充実した日々でした。共に汗を流した仲間たちとは、現在でもつき合いがあり、これから先も一生つき合っていきたいと願っています。

 ~今井、田阪先生との出会い~

 高校は、名門・東山高校(京都)に進みました。が、入学にいたるまでにいろいろありました。はじめ私が東山に入学したい、と両親に頼んだ時は、まったく受け入れられず、私も一時は諦(あきら)めざるを得ない感じでした。
 そんなある日。母が入浴して、父と二人きりになった時のことです。それまで一人で飲んでいた父が私の方を見て、ポツリとつぶやきました。「試してこい、挑戦してきなさい...」と。その時は嬉しさよりも驚きの方が大きく、胸の中にカッと燃え上がるような何かがこみあげてきたことを今でも忘れることはできません。
 というのは父も置かれている立場上、私を他県に進学させることは、かなりの批判を受けるわけです。それをおしてのことだけに私には喜びよりも驚きの方が大きかったのです。
 そうした事情があって、いよいよ高校生活がスタートしたわけです。これだけ苦労してやっと許してもらった進学でしたので、決して弱音を吐くまい、強くなるまでは帰るまい、と心に誓って家をあとにしました。
 この高校時代に、今井、田阪両先生にめぐり会えたことが、私にとっての"卓球"というものを決定づけたと言ってもよいでしょう。両先生に教えていただいた生活面をはじめとする数多くのことが、私の物の考え方、思想にまで大きく影響し、現在の私をかたちづくっているともいえます。

 ~東山高で"心"の重要さを学ぶ~

 当時の練習時間は、午後3時30分~7時までですので、あまり長い時間ではありませんでした。そこで、より高い集中力で練習に取り組むために、授業終了後、部員は走って体育館までいき、学年に関係なく早くついた者から掃除をし、台出しにとりかかることが決まっていました。そして、台上をよくふき、ネットの高さを正確に計り、しっかり準備体操をして打球練習に入ります。その間、およそ15分です。また、体操などを少しでもいい加減にしていると、何度でも繰り返してやらされました。このような経験から、心が乱れていては決して良い練習はできないんだ、ということを知らず知らずに教えられました。
 練習内容は、初めはフットワーク中心の練習で、
㋑ワンクロスで前後(大小のスイングを区別して)
㋺フォア、バック2本ずつ回してもらい、両サイドで前後のフットワーク(左右も含む)
㋩全面に動かしてもらう(ショートも混ぜて実戦的に)
 以上を約1時間やりました。もちろん、このほかにもいろんな違うフットワーク(続ける。とにかく速く動く...等)を入れたり、コースを変えたり、ピッチを速くしたりして変化をもたらすように工夫していました。
 後半は、各自の課題練習でした。私の場合は、
①ドライブ対ドライブ
②ショート対ショートから回り込んでドライブ。ショートでフォアに回してもらい、とびついてスマッシュ
③カット打ち(一球目からスマッシュ)
 このほか、自主的にやった早朝練習では、サービスらボールをたくさん使って、フォア前サービスに対する払うレシーブ練習を多くやりました。それに、両先生からよく戦術についての話も聞かせていたでき、2年生の終わり頃から少しずつ卓球がかわりかけてきました。

 ~現在の主な練習内容~

 大学は中央大学に進学しました。高校時代とは違い自主練習が主なので、今はいろいろ創意工夫して自分独自の練習方法をあみだすように努めています。練習時間は、授業の関係もありますが、最低でも1日4時間は消化するように心がけています。
 幸い、昨年の12月上旬にスウェーデンオープン大会に出場する絶好のチャンスに恵まれ、そこで世界の卓球を目(ま)の当たりに見ることができました。ピッチの速さとパワーの卓球こそが世界の主流になりつつあることを肌で感じました。このことに大きな刺激を受けて現在の練習に取り組んでいます。

重点をおいている内容
①ショート打ち(一球一球こきざみに動いて、必ずふみこんで打つ。全面に回してもらい、同じ要領で打つ)
②ドライブ対ドライブ(スキがあればいつでもスマッシュしていく)
③ショートサービスを出し、ストップレシーブをしてもらい、それを打っていく(基本的にはすべて打つようにするが、無理なボールはもう一本小さくとめる)
④ショートサービスを出してもらい、それを払ってからオールサイド(ラリーになったら絶対に負けないと思っているので、台上処理で先手がとれるように、特に③、④に重点をおいて練習している)
⑤カッと打ち(ドライブの安定性とスマッシュの練習を兼ねる。一球目から、低いカットをスマッシュしていくこともやる―試合で自信をもって打てるようにするためと、腰のキレが良くなるので―)
⑥バックハンドでのツッツキ打ち(シェークの利点を生かして先手をとる。両サイドに打ち分けられるように)
⑦しのぎ(㋑全力で打ってもらい、前陣でとめる ㋺ロビングでしのぐ ㋩バックカットでしのぐ)
 以上が現在私がやっている主な練習ですが、マンネリにならないように少しずつ変化をつけるように心がけています。そしてこれらの課題がマスターできるようになった時に、自分の目指している―速いピッチで足を生かして連続攻撃し、逆をつかれてもハーフボレーやバックハンドで打ち返せる前・中陣でプレーする―理想の卓球が可能になるのではないかと信じています。
 私はまだまだこれからですが、もっともっと経験を積んで、お世話になった先生方や中島マネージャーをはじめとする多くの友人たちのためにも、一日も早く一流選手の仲間入りをしたいと思います。そして、最後に、私をここまで育ててくれ、誰よりも応援してくれる両親のために、幼い頃からの夢であった日の丸を胸につけ、思いきりプレーしている自分の姿をぜひ実現させたい、と強く感じています。

はぎわらたくみ
東山高→中央大学2年
右、シェーク、フォア高摩擦裏ソフト、バック表ソフトのフォアハンド主戦攻撃型。将来を期待されていた一人だが、'83年全日本学生準優勝で学生界のトップ入り。
'83年スウェーデンオープン日本代表。


(1984年2月号掲載)
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