~小・中学時代~
私が初めてラケットを握ったのは、小学校5年生の時でした。たまたまクラスの担任の先生が卓球部の顧問をしておられたことがキッカケでした。
初めは、遊びのつもりで野球をやったり卓球したりしていました。ところが、6年生になった時、野球部と卓球部のどちらかを選択することになったのです。その頃は、どちらかといえば卓球より野球が好きだった私は、野球部に入ろうと思って野球部の入部テストを受けました。しかし、そのテストの結果、野球部に入部することができず、卓球部に入りました。そのことが、その後の私の人生を大きく変えることになったのです。が、今では卓球部に入ってよかったな、と感じています。
中学校は、佃中学校(青森市)に進みました。
顧問は石谷先生でした。先生には放課後、3時30分~6時までの練習をみていただきました。
中学になってからは、卓球に対する興味も増し、学校での練習が終わった後、家の近くの卓球道場で夜おそくまで練習に励むようになりました。その道場では、青森商高OBの川村さんの指導を受けました。
川村さんは、ふだんはやさしい方ですが、練習の時はとても厳しく、特にあいさつ(マナー)についてはよく注意されたものです。
道場での練習は、ロボットマシンを使ってのフットワーク練習が主でした。
私は、中学2年までは裏ソフトラバーを使っていましたが、他人と変わった卓球はないかと考えたすえ、反転のイボ高一枚ラバーに替えました。その結果、3年生の時、全国中学校大会でシングルスベスト8、団体で3位に入賞することができました。
~河野満先生との出会い~
高校は、河野満先生('77年世界チャンピオン)のおられる青森商業高校に進みました。
入部した当社は、イボ高ラバーということもあってか、なかなか練習相手として選んでもらえず、そんなにボールを打つこともありませんでした。それに、1日10kmのランニングで故障し、練習を休む日も少なくありませんでした。
それでも、運よくインターハイは、1年生の時からダブルスとシングルスの代表になることができました。
その頃の練習は、規定練習の半分以上は三上先輩(専大→日本楽器)とのダブルス練習でした。
シングルスの練習としては、
1.スマッシュ対スマッシュ
2.ドライブ処理+ツッツキ打ち
フォアサイド、バックサイドからオールにドライブをかけてもらい、バック側の時はショートで返す。それをバック側にツッツいてもらって、相手のフォア(クロス)へ流し気味に強打。フォア側にドライブをかけられた時は、速いタイミングで押し出すようにスマッシュ(カウンター気味に)...といった練習に時間をかけました。
イボ高ラバーの特徴を生かすため、フォアハンドは常に頂点前で打球するように心がけ、ショートは台上で必ずツーバウンドで止めることを目標に取り組みました。
~イボ高から表ソフトラバーに~
大学は、恩師・河野先生の母校である専修大学へ進みました。
大学に入って、それまでのイボ高一枚ラバーによる反転プレーでは、男子選手の守りを抜けないと考え、表ソフトラバーに替えました。
しかし、1年生の時は、まったく成長がなく、もうダメかと思ったこともあります。
そんな時、河野先生に練習内容についてアドバイスを受けました。しかも2年計画で消化するようにというものでした。
2年計画で消化する課題練習は、
1.フォアハンドのショート打ち(各コース・クロス・ストレート)
初めは、打球点を確かめるため、ショート打ちだけに1年間の練習時間の8~9割をあてるということでした。本当にこれでいいのか、と自分でも不安な日もあったほどです。
2.バックハンド(バックハンドによるレシーブ、ツッツキ打ち、3球目スマッシュ)
1年間やってフォアハンドの打球点がつかめた時点でバックハンドの練習に取り組みました。
3.フットワーク(前後、左右、ランダム、回り込み、飛びつき)
中国式(1歩動)、および日本式(3歩動)のフットワーク練習。ショートでオールに回してもらってのフットワーク。コートの2/3面を使ってのフットワークなど。
4.守備(しのぎ)
コートから1~1.5m以内に構え、多球練習(1分間に70~75球)で強めのボール(または強ドライブ)を送ってもらい、プッシュ、ストップ性ショートで守る。
5.サービス
フォアハンドサービス+3球目攻撃
6.ストップ
サービスとツッツキに対して、ツーバウンドで止まるストップ、もしくはストップ性ツッツキ
7.レシーブ
払う(ロングで払う、相手の回転を利用しナックル性ボールにして払う)
...以上が2年間で消化する練習内容でした。が、2年以上経った現在も、まだ目標の2割ぐらいしか身についていないと感じています。
イボ高の時は、カットマンには負けたことがありませんでした。が、表ソフトに替えてからは、カットマンによく負けるようになりました。それでカットマンに勝てなければ上位進出はできないと考え、ドライブを覚えました。そして、2年生の時まで監督であった阿部勝幸さんにフォアハンドのスマッシュを教わりました。
まだまだどの技術も未完成ですが、フォアハンド、バックハンドに集中して練習した成果が、幸いにも今春の関東学生選手権の優勝につながったものと感じています。
~現在の重点課題練習~
現在特に重点をおいている課題練習は、
1.ショートに対する攻め
2.バックハンド強打
3.フォアハンド強打
...です。
①ドライブロングサービスをバックに出し、ショート(プッシュ、ストップ性、ナックル性)でオールに回してもらう。自分は常にバックに返す。フォア側はフォアハンドロング、バック側はショートで返す
②①と同様にして、バック側はバックハンド
③①と同様にして、バック側もフォアで回り込む
④バック側に下回転サービスを出し、ツッツキでバック側に返してもらう。それをバックハンドで右利きのバックに打つ。以後①~③と同じ
私はどの技術も、肘を中心にして行うということを頭において練習しています。肘が崩れては強いボールは打てないからです。また、調子が悪い時は、バックスイングが大きくなり過ぎていないか、ミートが悪く(弱く)なっていないか、振りが大きくなり過ぎていないか...といったことに気をつけています。
私が目指している卓球は、前陣(表ソフト)での両ハンド攻撃です。最近、バックハンドもいくらか振れるようになってきたので意を強くしています。
ともかく、自分の卓球を完成させれば好成績に結びつくものと確信しています。
きむらまさゆき
青森商高→専修大学3年。
左、ペン、表ソフト前陣攻守型。名門・専修大学のエース。'85年関東学生No.1.両ハンド攻撃による速攻で'85年インカレ、関東学生秋季リーグ戦優勝の原動力となった。今後の活躍が楽しみ
(1985年11月号掲載)
私が初めてラケットを握ったのは、小学校5年生の時でした。たまたまクラスの担任の先生が卓球部の顧問をしておられたことがキッカケでした。
初めは、遊びのつもりで野球をやったり卓球したりしていました。ところが、6年生になった時、野球部と卓球部のどちらかを選択することになったのです。その頃は、どちらかといえば卓球より野球が好きだった私は、野球部に入ろうと思って野球部の入部テストを受けました。しかし、そのテストの結果、野球部に入部することができず、卓球部に入りました。そのことが、その後の私の人生を大きく変えることになったのです。が、今では卓球部に入ってよかったな、と感じています。
中学校は、佃中学校(青森市)に進みました。
顧問は石谷先生でした。先生には放課後、3時30分~6時までの練習をみていただきました。
中学になってからは、卓球に対する興味も増し、学校での練習が終わった後、家の近くの卓球道場で夜おそくまで練習に励むようになりました。その道場では、青森商高OBの川村さんの指導を受けました。
川村さんは、ふだんはやさしい方ですが、練習の時はとても厳しく、特にあいさつ(マナー)についてはよく注意されたものです。
道場での練習は、ロボットマシンを使ってのフットワーク練習が主でした。
私は、中学2年までは裏ソフトラバーを使っていましたが、他人と変わった卓球はないかと考えたすえ、反転のイボ高一枚ラバーに替えました。その結果、3年生の時、全国中学校大会でシングルスベスト8、団体で3位に入賞することができました。
~河野満先生との出会い~
高校は、河野満先生('77年世界チャンピオン)のおられる青森商業高校に進みました。
入部した当社は、イボ高ラバーということもあってか、なかなか練習相手として選んでもらえず、そんなにボールを打つこともありませんでした。それに、1日10kmのランニングで故障し、練習を休む日も少なくありませんでした。
それでも、運よくインターハイは、1年生の時からダブルスとシングルスの代表になることができました。
その頃の練習は、規定練習の半分以上は三上先輩(専大→日本楽器)とのダブルス練習でした。
シングルスの練習としては、
1.スマッシュ対スマッシュ
2.ドライブ処理+ツッツキ打ち
フォアサイド、バックサイドからオールにドライブをかけてもらい、バック側の時はショートで返す。それをバック側にツッツいてもらって、相手のフォア(クロス)へ流し気味に強打。フォア側にドライブをかけられた時は、速いタイミングで押し出すようにスマッシュ(カウンター気味に)...といった練習に時間をかけました。
イボ高ラバーの特徴を生かすため、フォアハンドは常に頂点前で打球するように心がけ、ショートは台上で必ずツーバウンドで止めることを目標に取り組みました。
~イボ高から表ソフトラバーに~
大学は、恩師・河野先生の母校である専修大学へ進みました。
大学に入って、それまでのイボ高一枚ラバーによる反転プレーでは、男子選手の守りを抜けないと考え、表ソフトラバーに替えました。
しかし、1年生の時は、まったく成長がなく、もうダメかと思ったこともあります。
そんな時、河野先生に練習内容についてアドバイスを受けました。しかも2年計画で消化するようにというものでした。
2年計画で消化する課題練習は、
1.フォアハンドのショート打ち(各コース・クロス・ストレート)
初めは、打球点を確かめるため、ショート打ちだけに1年間の練習時間の8~9割をあてるということでした。本当にこれでいいのか、と自分でも不安な日もあったほどです。
2.バックハンド(バックハンドによるレシーブ、ツッツキ打ち、3球目スマッシュ)
1年間やってフォアハンドの打球点がつかめた時点でバックハンドの練習に取り組みました。
3.フットワーク(前後、左右、ランダム、回り込み、飛びつき)
中国式(1歩動)、および日本式(3歩動)のフットワーク練習。ショートでオールに回してもらってのフットワーク。コートの2/3面を使ってのフットワークなど。
4.守備(しのぎ)
コートから1~1.5m以内に構え、多球練習(1分間に70~75球)で強めのボール(または強ドライブ)を送ってもらい、プッシュ、ストップ性ショートで守る。
5.サービス
フォアハンドサービス+3球目攻撃
6.ストップ
サービスとツッツキに対して、ツーバウンドで止まるストップ、もしくはストップ性ツッツキ
7.レシーブ
払う(ロングで払う、相手の回転を利用しナックル性ボールにして払う)
...以上が2年間で消化する練習内容でした。が、2年以上経った現在も、まだ目標の2割ぐらいしか身についていないと感じています。
イボ高の時は、カットマンには負けたことがありませんでした。が、表ソフトに替えてからは、カットマンによく負けるようになりました。それでカットマンに勝てなければ上位進出はできないと考え、ドライブを覚えました。そして、2年生の時まで監督であった阿部勝幸さんにフォアハンドのスマッシュを教わりました。
まだまだどの技術も未完成ですが、フォアハンド、バックハンドに集中して練習した成果が、幸いにも今春の関東学生選手権の優勝につながったものと感じています。
~現在の重点課題練習~
現在特に重点をおいている課題練習は、
1.ショートに対する攻め
2.バックハンド強打
3.フォアハンド強打
...です。
①ドライブロングサービスをバックに出し、ショート(プッシュ、ストップ性、ナックル性)でオールに回してもらう。自分は常にバックに返す。フォア側はフォアハンドロング、バック側はショートで返す
②①と同様にして、バック側はバックハンド
③①と同様にして、バック側もフォアで回り込む
④バック側に下回転サービスを出し、ツッツキでバック側に返してもらう。それをバックハンドで右利きのバックに打つ。以後①~③と同じ
私はどの技術も、肘を中心にして行うということを頭において練習しています。肘が崩れては強いボールは打てないからです。また、調子が悪い時は、バックスイングが大きくなり過ぎていないか、ミートが悪く(弱く)なっていないか、振りが大きくなり過ぎていないか...といったことに気をつけています。
私が目指している卓球は、前陣(表ソフト)での両ハンド攻撃です。最近、バックハンドもいくらか振れるようになってきたので意を強くしています。
ともかく、自分の卓球を完成させれば好成績に結びつくものと確信しています。
きむらまさゆき
青森商高→専修大学3年。
左、ペン、表ソフト前陣攻守型。名門・専修大学のエース。'85年関東学生No.1.両ハンド攻撃による速攻で'85年インカレ、関東学生秋季リーグ戦優勝の原動力となった。今後の活躍が楽しみ
(1985年11月号掲載)