~小2で始めた卓球~
僕が卓球を始めたのは、小学校2年生の時でした。両親が卓球を愛好していたため、家に卓球場があり、そこでラケットにボールをあてて、遊んでいました。
小学校の4年生になった時、父がクラブを作りました。そのクラブに友だちと一緒に入り、本格的に卓球に取り組むようになりました。しかし、遊び盛りの頃であり、厳しいクラブの練習が時にはいやにもなりました。そんな態度を父にしかられ、たたかれもしましたので、「卓球をやめよう」とさえ感じたこともありました。
そんな僕が真剣に卓球に取り組むようになったのは、その年の全日本ホープスで、運よくベスト8に入ってからです。
ベスト8入りは嬉しく、刺激になりました。「なんとか全日本ホープスで優勝したい」という目標ができ、自分から進んで練習するようになりました。この頃はロボットマシン相手の打球練習とサービス練習が主でしたが、その練習が実り、小学校5年生の全日本ホープスで優勝。6年でも優勝して、2連勝を達成できました。
~中3のスウェーデン遠征~
中学校に入ってからも、クラブの練習は続きました。
中学2年になり、全国中学校大会で個人3位に入賞。その年の全日本カデットで優勝しました。調子が徐々に上向きになり、初の国際大会であるアジアジュニア選手権(カデットの部)の国内予選を1位通過、晴れて日の丸をつけて本大会に参加、アジアジュニア(カデットの部)3位入賞という成績を収めることができました。
中学3年になり日本卓球協会から「7月下旬から8月下旬までスウェーデンで卓球を修行してきたらどうか」という話がきました。
初優勝のチャンスがある全国中学校大会と日程が重なったため悩みましたが、父、小学校時代から指導していただいていた丸田先生(宮崎工業高校)と相談の結果、将来のことを考え、スウェーデンに留学しました。
1ヵ月余りのスウェーデン留学でしたが、その間、指導は特にしてもらえませんでした。しかし、本場の一流選手のプレーを目で学び、自分で練習することができました。
~丸田先生の宮崎工高へ~
高校は、丸田先生が監督をしておられる宮崎工業高校に入学しました。
家から学校まで、車で1時間以上かかるので、丸田先生の家に、他の卓球部員5名と一緒にお世話になり、高校入学以来、毎日、朝6時半の起床から夜10時のミーティングまで、卓球部としての合宿生活を送っています。
合宿生活が実ってか、昨年の札幌インターハイでは、1年生でシングルスに優勝することができました。また沖縄国体では、宮崎県少年男子チームが初の3位入賞を果たすことができ、喜んでいます。2年生になった今年も良い結果を残したいと思っています。
~現在の練習内容~
現在、平日の練習は、授業が終わった後の午後4時から夜7時30分までの3時間半程度です。
<平日の日程>
~4時 各人集合しだい4時までサービス練習
~4時20分 全員集合し、3.5kmのランニング(火・木・土はウエートトレーニング)
~4時30分 休憩
~5時 基本練習。練習内容は各人先生と相談して計画をたて、それに沿って行う
~5時10分 休憩
~6時 フットワーク練習
~6時10分 休憩
~6時50分 課題練習
~7時 休憩
~7時30分 多球練習
7時35分から定時制の授業が始まります。体育館が使えませんが、外でランニングなどをしたりもします。
日曜日や祝日、祭日の練習は、午前中が平日の夜の練習と同じで、午後はゲーム練習を中心にやります。
現在、僕が重点的にやっている練習は、両ハンドのスマッシュとブロックです。
①バック前にショートサービスを出してもらい、回り込んでフォアで払ったのをショートでオールに返してもらい、両ハンド強打
②カットサービスをバック前に出してもらい、オールに切れたツッツキで返し、それをオールに攻撃してもらいブロック(甘いボールは両ハンド強打またはカウンタードライブ)
③アップサービスをバック前に出しオールに払ってもらったのを両ハンド強打で相手のフォアへ打ち、つないできたボールをフォアハンドスマッシュ
...この3つのシステム練習を中心にやっています。
~世界での活躍を目指し~
今まで僕は、ナショナルチームの合宿、ヨーロッパ遠征、アジア選手権...など、各種の大会、合宿に参加するチャンスを与えてもらっています。しかし、それにもかかわらず、各種の大会で、日本代表としてはずかしくない成績を収めることができず、非常に残念です。
日本の代表として活躍するためには、もっと体力をつけ、技術の幅を高め、精神的にも向上しなくてはなりません。そういった、心、技、体すべての面での向上があって、初めて国際大会で自分の実力を発揮できるのだと思います。
そのためには、現在続けている、ランニング、ウエートトレーニングを中心にしたトレーニングによる体力向上、フォアハンドとバックハンドの技術の向上と両ハンドのバランスを考えた独自の卓球スタイルの研究、課題であるフリーハンドの使い方の改善、「ここ」という時に1本とる精神力を身につけるための日常生活の充実...等に努力していかなければならないと思います。
僕の名前「智彦」は、卓球を愛する両親が、元世界チャンピオンの荻村伊智朗さんの「智」と、同じく元世界チャンピオンの長谷川信彦さんの「彦」をとって命名してくれたと聞いています。名前に負けないように努力して、早く全日本選手権の上位ランクに入り、世界で活躍する選手になりたいと思います。
とくむらともひこ
宮崎工業高校2年
'87年インターハイ単優勝
(1988年9月号掲載)
僕が卓球を始めたのは、小学校2年生の時でした。両親が卓球を愛好していたため、家に卓球場があり、そこでラケットにボールをあてて、遊んでいました。
小学校の4年生になった時、父がクラブを作りました。そのクラブに友だちと一緒に入り、本格的に卓球に取り組むようになりました。しかし、遊び盛りの頃であり、厳しいクラブの練習が時にはいやにもなりました。そんな態度を父にしかられ、たたかれもしましたので、「卓球をやめよう」とさえ感じたこともありました。
そんな僕が真剣に卓球に取り組むようになったのは、その年の全日本ホープスで、運よくベスト8に入ってからです。
ベスト8入りは嬉しく、刺激になりました。「なんとか全日本ホープスで優勝したい」という目標ができ、自分から進んで練習するようになりました。この頃はロボットマシン相手の打球練習とサービス練習が主でしたが、その練習が実り、小学校5年生の全日本ホープスで優勝。6年でも優勝して、2連勝を達成できました。
~中3のスウェーデン遠征~
中学校に入ってからも、クラブの練習は続きました。
中学2年になり、全国中学校大会で個人3位に入賞。その年の全日本カデットで優勝しました。調子が徐々に上向きになり、初の国際大会であるアジアジュニア選手権(カデットの部)の国内予選を1位通過、晴れて日の丸をつけて本大会に参加、アジアジュニア(カデットの部)3位入賞という成績を収めることができました。
中学3年になり日本卓球協会から「7月下旬から8月下旬までスウェーデンで卓球を修行してきたらどうか」という話がきました。
初優勝のチャンスがある全国中学校大会と日程が重なったため悩みましたが、父、小学校時代から指導していただいていた丸田先生(宮崎工業高校)と相談の結果、将来のことを考え、スウェーデンに留学しました。
1ヵ月余りのスウェーデン留学でしたが、その間、指導は特にしてもらえませんでした。しかし、本場の一流選手のプレーを目で学び、自分で練習することができました。
~丸田先生の宮崎工高へ~
高校は、丸田先生が監督をしておられる宮崎工業高校に入学しました。
家から学校まで、車で1時間以上かかるので、丸田先生の家に、他の卓球部員5名と一緒にお世話になり、高校入学以来、毎日、朝6時半の起床から夜10時のミーティングまで、卓球部としての合宿生活を送っています。
合宿生活が実ってか、昨年の札幌インターハイでは、1年生でシングルスに優勝することができました。また沖縄国体では、宮崎県少年男子チームが初の3位入賞を果たすことができ、喜んでいます。2年生になった今年も良い結果を残したいと思っています。
~現在の練習内容~
現在、平日の練習は、授業が終わった後の午後4時から夜7時30分までの3時間半程度です。
<平日の日程>
~4時 各人集合しだい4時までサービス練習
~4時20分 全員集合し、3.5kmのランニング(火・木・土はウエートトレーニング)
~4時30分 休憩
~5時 基本練習。練習内容は各人先生と相談して計画をたて、それに沿って行う
~5時10分 休憩
~6時 フットワーク練習
~6時10分 休憩
~6時50分 課題練習
~7時 休憩
~7時30分 多球練習
7時35分から定時制の授業が始まります。体育館が使えませんが、外でランニングなどをしたりもします。
日曜日や祝日、祭日の練習は、午前中が平日の夜の練習と同じで、午後はゲーム練習を中心にやります。
現在、僕が重点的にやっている練習は、両ハンドのスマッシュとブロックです。
①バック前にショートサービスを出してもらい、回り込んでフォアで払ったのをショートでオールに返してもらい、両ハンド強打
②カットサービスをバック前に出してもらい、オールに切れたツッツキで返し、それをオールに攻撃してもらいブロック(甘いボールは両ハンド強打またはカウンタードライブ)
③アップサービスをバック前に出しオールに払ってもらったのを両ハンド強打で相手のフォアへ打ち、つないできたボールをフォアハンドスマッシュ
...この3つのシステム練習を中心にやっています。
~世界での活躍を目指し~
今まで僕は、ナショナルチームの合宿、ヨーロッパ遠征、アジア選手権...など、各種の大会、合宿に参加するチャンスを与えてもらっています。しかし、それにもかかわらず、各種の大会で、日本代表としてはずかしくない成績を収めることができず、非常に残念です。
日本の代表として活躍するためには、もっと体力をつけ、技術の幅を高め、精神的にも向上しなくてはなりません。そういった、心、技、体すべての面での向上があって、初めて国際大会で自分の実力を発揮できるのだと思います。
そのためには、現在続けている、ランニング、ウエートトレーニングを中心にしたトレーニングによる体力向上、フォアハンドとバックハンドの技術の向上と両ハンドのバランスを考えた独自の卓球スタイルの研究、課題であるフリーハンドの使い方の改善、「ここ」という時に1本とる精神力を身につけるための日常生活の充実...等に努力していかなければならないと思います。
僕の名前「智彦」は、卓球を愛する両親が、元世界チャンピオンの荻村伊智朗さんの「智」と、同じく元世界チャンピオンの長谷川信彦さんの「彦」をとって命名してくれたと聞いています。名前に負けないように努力して、早く全日本選手権の上位ランクに入り、世界で活躍する選手になりたいと思います。
とくむらともひこ
宮崎工業高校2年
'87年インターハイ単優勝
(1988年9月号掲載)