卓球レポートは国内外のさまざまな大会へ足を運び、およそ半世紀にわたり、あまたの熱戦を映像に収め続けてきた。その膨大な映像ストックの中から、語り継がれるべき名勝負を厳選して紹介する「卓レポ名勝負セレクション」。
今回から、独自性の高いテクニックと大胆な戦術で世界の頂点をつかんだシュラガー(オーストリア)の名勝負を紹介する。
初めに、松下浩二(当時 ミキハウス)との2003年世界卓球選手権(以下、世界卓球)パリ大会男子シングルス2回戦をお届けしよう。
■ 観戦ガイド
卓球小国オーストリアから突如現れたシュラガー
松下浩二のカット攻略から、奇跡の幕が開く
突然変異。弱小国といっては失礼だが、卓球が盛んとはいえないオーストリアから突如として現れたシュラガーを言い当てるとしたら、この言葉が妥当ではないだろうか。
当時、ヨーロッパ選手が強くなるためには、強豪国であるドイツやスウェーデンのプロリーグに所属し、腕を磨くという過程をたどるのが通例だったが、シュラガーは母国オーストリアから出ることなく、国内で強くなった稀有な選手だ。
「国の強化システムが確立されていない、練習環境が十分ではない、優れたコーチがいない......それでも強くなれるという『例外』としか説明できない。オーストリアは基本的にプロ選手としての生活が成り立たない国だし、コーチ業で稼げる環境もない。だから、いい選手がいないし、いいコーチもいない。正直なところ、その中でどうやって今のレベルになったのか、自分でもわからない(卓球レポート2003年11月号)」と本人も自身のキャリアの不思議さを認めているが、優れた指導者や切磋琢磨するライバルがいない中、世界チャンピオンにまで上り詰めてしまったシュラガーは、やはり卓球の神が使わした突然変異というほかないだろう。
とはいえ、もちろん才能だけでひとりでに強くなったわけではない。
シュラガーは、当時のヨーロッパ選手にしては珍しく、台から下がらず前陣でのカウンターをプレーの柱にしたほか、まだ取り入れる選手が少なかったYGサービス(逆横回転系サービス)を積極的に使うなど先見性が高く、それによるプレースタイルの新しさが彼の強さの根底にある。
また、「卓球は単純な技術力の勝負ではない。無数にあるピース(要素)を使って、相手とどっちが上手にパズルを組み立てることができるかを競うスポーツだ(卓球レポート2003年11月号)」と、独特な視点で卓球を捉えていたシュラガーは、相手の想定を超える大胆な戦術も大きな武器にしていた。
加えて、モーツァルトやシューベルトら作曲家を輩出した芸術大国オーストリア出身だからか、気高さを感じるアーティストのようなたたずまいも印象深い選手だ。
前置きが長くなったが、シュラガーの名勝負として、「パリの奇跡」と卓球ファンの間で語り継がれている2003年世界卓球パリ大会男子シングルス優勝までの道のりをたどりたい。
1999年世界卓球アイントホーフェン大会男子シングルスで3位に入り、世界のトップ選手の仲間入りを果たしていたシュラガーは、世界ランキング6位(2003年5月1日発表)でパリ大会の男子シングルスに臨んだ。
2回戦でシュラガーが対戦したのは、日本の松下浩二だ。
あらためて説明するまでもないが、松下はカット主戦型で、技術力の高さもさることながら、プロ転向やドイツ・ブンデスリーガへの参戦など、パイオニアとして日本を引っ張ってきたレジェンドだ。
パリ大会当時は35歳とすでにベテランの域に達していたが、2002年の年末に行われた平成14年度全日本選手権大会では男子シングルスで4度目の優勝を果たしており、堂々の全日本チャンピオンとしてパリ大会に挑んでいた。
前陣カウンタープレーを得意とするシュラガーは、攻撃型の選手には持ち味を存分に発揮できる半面、カット主戦型の選手を苦手とする傾向があったため、試合前は接戦が予想された。
しかし、いざ試合が始まると、多彩なサービスから左右に曲げるドライブと機を見たストップで、シュラガーが松下の堅守をこじ開けていく。
(文中敬称略)
(文/動画=卓球レポート)