昨年6月、野田学園高校卓球部の橋津文彦監督は「2020年の生徒たちへ(前編・中編・後編)」というタイトルで、コロナ禍における苦悩や向き合い方について卓球レポートに寄せてくれた。
あれから1年がたち、高校卓球界のトップランナーはどんな思いで日々を過ごし、これからどう進もうとしているのか。
橋津監督が今の心境をつづった特別寄稿を3回に分けて掲載する。
気づきが多かったメモリアルチャレンジマッチ
今年の夏に富山県で行われるインターハイ(全国高等学校卓球選手権大会)の山口県予選が無事に行われ、野田学園は出場権を獲得することができました。昨年はコロナ禍で失われてしまった高校生の夢舞台に向けて、私は生徒たちに何をしてあげられるのか。そんなことを考えながら、この文章を書いています。
他県では、チーム内に新型コロナウイルスの感染者が発生してインターハイ予選の出場を断念せざるを得ない学校が複数校あり、緊急事態宣言中だったためにブロック大会を中止しなければならない地域もあったと聞きます。こうした情報を聞くと、まだまだ気の抜けない状況は続いているのだと強く感じます。
指導だけでなく、卓球部の生徒たちの寮生活を管理している私の立場としては、何よりも感染予防の徹底と健康管理を第一に考え、毎日の生活を送っているところです。
2020年を振り返ると、10月に開催したメモリアルチャレンジマッチがとても印象深いものになりました。メモリアルチャレンジマッチは、生徒たちとOB(卒業生)ドリームチームとの対抗戦です。OBたちがコロナ禍で全国大会が中止になってしまった後輩たちのために企画したイベントで、多くの方々のご協力をいただきながら実現することができました。
何かを決断する時、私は、まず自分自身を疑うことから始め、信頼する方々の意見を聞きながら、最終的には自分の考えを貫くタイプです。加えて、常に卓球を通じて新しいことに挑戦したいと思っているのですが、当時はコロナ禍の中でメモリアルチャレンジマッチを本当に開催してよいものかどうか、気持ちの針が常に揺れ動いていました。同時に、「開催するからには絶対に感染者を出してはいけない」というプレッシャーも強く感じていました。
そのような中で開催に踏み切ったメモリアルチャレンジマッチの結果は生徒たちの完敗でしたが、振り返ると、さまざまな気苦労が足かせになり、目の前の大切な試合に本気で勝ちにいくことができていなかったと反省しています。
試合の結果はともかくとして、イベントが終わって涙を流している生徒たちを見て、開催して本当に良かったと強く思いましたし、OBたちとの絆の強さをあらためて感じることができ、この絆こそが私の財産であると誇らしく思いました。
また、メモリアルチャレンジマッチでは、本当に多くの方々が賛同し、協力してくださいました。高校生のために無償でこのイベントを手伝ってくださる方々の姿を見て、「人のために動くことの大切さ」にあらためて気づかされたと同時に、私自身も「卓球のために自分ができること」を模索し、積極的に行動していきたいと強く思いました。
昨年12月にHNT合宿を山口で開催。そこで感じたもどかしさ
メモリアルチャレンジマッチを終えた頃から、感染予防を徹底しながら県内でも少しずつ各カテゴリーの大会が再開されはじめました。ナショナルチームでもジュニアの合宿などを行うようになり、私も久しぶりに山口から東京へ移動して味の素ナショナルトレーニングセンターを訪問しました。いつもは苦痛にも感じる山口と東京の移動ですが、自粛期間が長かったせいか、長距離移動が新鮮に感じたのですから不思議なものです。
そうした中、日本卓球協会の関係者から「ホープスナショナルチーム(HNT)の合宿を山口で行うことは可能だろうか」と相談を受けました。メモリアルチャレンジマッチ同様、子供たちのためになるならと協力することになりました。HNTの合宿では、野田学園の生徒たちがトレーナーを務めるほか、会場の準備や移動、宿泊の手配、それらにまつわる感染予防の確認など、考えうる全てのサポートを行いました。
合宿は12月に開催しましたが、気温が下がって感染者が多くなりそうなタイミングだったので、開催を中止するべきかどうかの議論もあり、合宿を辞退する選手も出ました。私の心の中も開催がよいのかどうか揺れましたが、今振り返れば、子供たちのために合宿を実施できて良かったと思っています。
とはいえ、「感染者が発生しなければ成功」「感染者やクラスター(集団感染)が発生すれば失敗」という、ある意味で結果論のようなコロナ禍の現状に大きなもどかしさも感じました。
惨敗に終わった2021年全日本卓球
年が明け、1月に全日本(全日本卓球選手権大会)が開催されることになりました。全日本は生徒たちにとって、卒業後の進路に大きく影響する重要な大会の1つです。そのため、細心の注意を払って出場し、結果を残そうと準備をしました。
全日本に出場する選手には、会場入りの14日前からの体温報告が義務づけられ、37.5度以上の発熱があった選手は出場できません。このようなルールがあるため、全日本前はマスク着用やこまめな手洗いなどの感染対策をいつも以上に徹底しましたが、乾燥して気温が下がる冬場なので、どうしても体調を崩す生徒が出てしまいます。誰か1人が発熱するとすぐに病院へ連れて行き、寮で部屋を隔離しなければなりません。誰かが体調を崩すたびに、寮生活を共にしている私と生徒たちに緊張が走る日々が続きました。そうして、何よりも健康管理を優先して日々の練習を行っていましたが、残念ながら大会4日前に風邪で発熱した選手が1名出たため、その選手は出場を辞退せざるを得ませんでした。
そうこうしているうちに、全日本を迎えました。2度目の緊急事態宣言が発出された大阪での開催ということで、本人と保護者に同意書を書いていただき、試合に臨みました。今年の全日本は、複数のチームや選手の棄権が出た上、会場が換気のためにかなり冷えるなど、例年と違う雰囲気で始まりました。
結果はというと、久しぶりの全国大会で生徒たちが緊張していたということもあり、十分に力を発揮することができませんでした。私は、これまで20年以上指導者を続けていますが、過去に記憶がないほどの惨敗に終わってしまい、深く反省しています。
次回は、全日本惨敗の敗因や、私が刺激を受けた新鋭の生徒について記したいと思います。(中編へ続く)
(まとめ=卓球レポート)