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「世界一への道」小野誠治 ―世界を制した『カミソリスマッシュ』―4

 シングルス
 第35回世界選手権ピョンヤン大会、個人戦が始まった。
「ベスト16に入れるかもしれない」
 組み合わせを見た誠治は思った。ベスト16決定戦の相手は、西ドイツ(当時)のステルバグ。以前、近畿大学がUSオープンに行ったときに対戦し、勝ったことがある選手だった。
 団体戦で16勝を挙げて波に乗っていた誠治は、以前にも勝ったことがあるということで、「苦しい内容にはなるだろうが、ベストを尽くせば勝つことができる」と信じ、コートに立った。
 試合は5ゲーム目までもつれ込んだが、勝負どころでネット、エッジのボールが続けて入った。運も味方し、誠治は3-2の接戦でベスト16入りを決めた。
 4回戦
 4回戦の相手は黄亮という中国選手で、戦型はカット主戦型。前回の世界選手権バーミンガム大会でシングルス3位の選手だった。誠治は高島のカットを打っていたので、カット打ちには少し自信があった。そこで、「相手を台から下げてカットをさせるような攻め方をしよう」と考えた。
 この作戦で誠治は第1ゲーム、第2ゲームを連取。しかし、第3ゲームは相手に打たれ、木っ端みじんに負けてしまった。
「第4ゲームが勝負だ」
 誠治はそう感じて台についた。第4ゲーム、黄亮は攻撃した方が得点につながると考え、サービスからの3球目攻撃で攻めてきた。カットの展開にはならない。3球目攻撃をさせてはいけないと思った誠治は、レシーブでストップすることや強く払うことに集中した。
 ジュースになったとき、誠治はサービスからの3球目攻撃に必殺の『カミソリスマッシュ』を放ち、ノータッチで抜いて得点した。こうして、終盤までもつれ込んだ試合は25対23で誠治に軍配が上がった。
 準々決勝
 準々決勝の相手は魯堯華(中国)。魯堯華のサービスからゲームが始まった。競り合いが続き、最後に自分にサービスが回ってきた。誠治はサービスからの得点力が高かったので、そのゲームを取ることができた。第1ゲーム、第3ゲームはそのような展開になるので良かった。しかし、第2ゲーム、第4ゲームは逆で、最後になって相手にサービスが回る。この展開は誠治にとって非常に厳しかった。相手のサービスは回転が非常にかかっていて、リードしていても5本のうち4本は必ずサービスと3球目で取られてしまう(当時、サービスは5本交替)。こうして第2ゲーム、第4ゲームを取られ、最終ゲームを迎えた。
「5ゲーム目は出足をうまく乗り切ろう」
 しかし、相手のサービスからの展開だったので、気がつけば0対4とリードされていた。
「0対5はやばい」
 そう思った次の1本、何と相手のサービスミスで1対4。この1本で誠治は我に返った。
「やれそうだ!」
 誠治は失いかけていた自信を取り戻し、ただひたすら無心で戦った。来た球を打つ、そんな感じで自然に体が動いていた。
 そこからは互いのサービスで4本ずつ取り合う形で試合が進み、最後は誠治にサービスが回ってきて逆転。誠治は準決勝進出を決めた。
 すでに時間は深夜になっていた。誠治が眠りについたのは、夜中の1時半を過ぎていた。日付は運命の日、1979年5月6日に変わっていた。
 あめ玉
 海外での試合は、水や食べ物が日本とは違うため、おなかの調子を壊しやすかった。そのため、日本選手の多くは、海外遠征にはいつも薬を持参していた。
 この世界選手権ピョンヤン大会も決して例外ではなく、誠治は大会の期間中ずっと体調管理のために薬を飲んでいた。しかし、大会の途中で持ってきた常備薬が底を尽いてしまった。
「高島さんに少し分けてもらおう」
 誠治は、同室だった高島の持ってきていた薬を、高島に無断でこっそり飲んでいた。
 だが、それは最終日前夜になって高島の知るところとなった。おなかの調子が悪くなった高島は自分の薬を飲もうとして、容器が空になっているのを発見した。
「これは小野の仕業だな」
 高島はすぐにピンと来た。
「代わりにあめ玉をいただくか」
 高島は軽い仕返しのつもりで、誠治が大事にしていて、決して人に分けようとしないあめ玉を食べてやろうと考えた。
 そのあめ玉は、誠治が世界選手権大会に行く前にヤマハの部員から激励の品としてもらったものだった。この部員というのは、後に誠治の妻となる人である。
 高島は誠治が寝ているすきに、あめ玉を1つ取り出して食べようとした。
「何だ!?」
 あめ玉の包みを開き、高島は驚いた。そこには、小さな文字で「がんばれ!スマッシュが入る!」というような励ましの言葉がびっしりと書かれている。試しにもう1つ包みを開くと、またしても同じように励ましの言葉が書かれていた。すべてのあめ玉の包みに、激励の言葉が書かれていたのである。
「これは特別なものだ。とても食べられない」
 その瞬間、高島に鳥肌が立った。
「ひょっとしたら、小野は世界チャンピオンになるのではないか」
 そんな予感がした。
 見えない力
「選手は自分1人で戦うのではありません。周りの応援、目に見えない力、そういうものに支えられて戦うことができるのです。人間は見えるものしか信じない傾向がありますが、世の中には見えないものがたくさんあります。そして、見えないものが大事なのです。『見えない力』、それは人間に非常に大きな影響を与えてくれます」
 現在の小野はこう語る。
 誠治はあめ玉を食べると、とてもうれしい気持ちになったという。こんなにも応援し、支えてくれる人がいることは本当にありがたいと思った。
 あめ玉をもらえたから勝てたというものではない。しかし、あめ玉に込められた精いっぱいの応援を感じることができたことが、誠治にとって大きな力になった。
 準決勝
 5月6日早朝、愛媛県三瓶町では誠治の母が神社にお参りに行っていた。誠治はどんな試合をしているのか、どこまで勝ち残っているのか...。母は毎日、世界選手権の結果を新聞で確かめることを楽しみにしていた。この日の朝は、誠治が準決勝まで勝ち進んでいることを知って居ても立ってもいられなくなり、誠治の優勝と体の無事を祈願するため神社へ向かったのだった。
 一方、誠治も早くに目が覚めた。6時半には起き、30分ほどランニングをした。
 いよいよ準決勝。相手はまたしても中国選手、梁戈亮だった。梁戈亮は「攻撃して良し、カットして良し」の何でもできる選手だった。中国は団体戦でハンガリーに負けて2位だったこともあり、個人戦は負けられないという気迫で迫ってきていた。
 2-2で迎えたファイナルゲーム。相手は打ったり、止めたり、カットをしたり、コースを変えたりと、いろいろな作戦を使ってきた。こちらに的を絞らせてくれない。誠治は出足から押され、得点は3対7。この状況からの突破口が見いだせずにいた。
「ここまで来たのだから、これが最高のプレーなんだ。これ以上はできない」
 そんな考えが浮かんでいた。
「でも、このどうしようもない状況をどうしたらいいのか?」
 誠治はベンチの高島を振り返った。このタイミングでベンチを振り返ったことが、試合の流れを大きく変えるきっかけとなる。
 カミソリスマッシュさく裂
 高島のサインは「すべて打て」だった。
 このサインには深い意味が込められていた。すべて打てといっても、普通ならばネットより低いボールまでは打てるはずがない。しかし、世界で勝つためには相手がしないことをしなければいけない。この場面ではそういう段階に来ていると高島は判断したのだ。
 誠治は高島のアドバイスを実行した。すべて打てということは、上回転サービスを出し、レシーブで払わせて、3球目をスマッシュしろということだ。誠治はそう解釈し、上回転サービスを出した。レシーブされたボールがどんなに低くても、誠治は素早く動きボールをとらえ、スマッシュを打った。誠治のスマッシュは、その破壊力と切れの良さから『カミソリスマッシュ』と呼ばれるほどの威力だった。
 スマッシュの練習をやり込んでいた誠治にとっては、どんなに低いボールでもスマッシュのチャンスボールだった。誠治の打つボールはコートに吸い込まれるかのようにすべて入った。スマッシュで奇跡の5本連取。梁戈亮はとても動揺した。
 人間、打たれると思って構えたボールには反応できるが、まさか打たれないだろうと思っていたボールを打たれると反応できない。誠治は、相手が「まさか打ってこないだろう」と思ったボールをスマッシュしたのだ。もちろん相手はきちんと返球できない。それどころか、「まさか!?」という驚きで、冷静さを失うこととなった。
 これを機に誠治には梁戈亮のすることがすべて読めるようになった。梁戈亮のサービスからの5本もすべて誠治が取り、10本連続得点。13対7と大逆転した。
 誠治は準々決勝のときと同様に「これでやれる!」という手ごたえを感じ、きっかけをつかんだ。すると、気持ちに余裕が生まれ、攻め方にも幅が出てきた。誠治は勢いに乗ってそのままぐいぐいと試合をおし進めていった。そして、気がついたときには試合は誠治の勝利で終わっていた。
 後に誠治は、この試合が人生の中で1番目か2番目くらいに心に残る良い内容の試合だったと振り返っている。
 無欲の勝利
 決勝戦は午後3時からとなっていた。決勝の相手は前回の世界選手権大会2位で今大会第1シードの中国の郭躍華。右ペンのドライブ型で、豪快なドライブやスマッシュが得意な選手である。
 誠治は今までこの選手と十数回対戦して、1度も勝ったことがなかった。1回でも勝っていたら勝ちを意識してしまっただろうが、1回も勝ったことがないことで、かえってリラックスすることができた。
 誠治は1時間半前から練習場でみっちり練習をやり込んでいた。練習相手をしてくれたのは前原正浩だった。
「僕が練習相手をしたら、今回は小野が優勝できるかもしれないね」
 前原は、前回の世界選手権バーミンガム大会で河野満が優勝したとき練習相手を務めたという、何とも縁起の良い人物だった。
 誠治は前原相手に全身から汗を流し、時間を忘れるくらいに没頭した。郭躍華は試合開始の20分くらい前に練習場に現れると、軽く体をほぐして会場に向かった。しかし、誠治は郭躍華が去った後も練習を続けていた。
 突然、後輩の五藤の声が響いた。
「小野さん、3時を過ぎて審判員がコールしていますよ!早く来てください!」
 誠治は急いで会場に向かった。危うく、練習場で練習をしていて決勝戦が棄権になるという、前代未聞の事態となるところであった。
 誠治は決勝戦の前に、樋口からもらったメモを読み返した。メモには、決勝に臨むときの気持ちの持ち方や、プレーに関しての注意点が書かれていた。
「台から下がったら勝てない。だから、できる限り台の近くでプレーしよう」
 そう頭の中でまとめて、気持ちを落ち着かせてコートに向かった。
 コートに立った2人の選手の体格は、まったく対照的だった。郭躍華は小麦色の肌で、たくましい体格。一方、誠治は色白ですらりとした体格だった。風貌だけを見れば、郭躍華が有利に見えた。
 決勝を目前にして、会場には何ともいえない雰囲気が漂っていた。2万人を収容できる体育館のセンターコート。会場にいる観客全員のまなざしが降り注ぐ。相手は世界ランキング1位の選手で、このような場を何度も経験していたが、誠治には初めての経験である。
 独特の雰囲気の中で、決勝が始まった。第1球は誠治のサービスからで、3球目で落ち着いてコースを突いて得点した。1対0。この1本で、誠治は息の詰まるような雰囲気から一気に解放された。勝ち負けなどに関係なく自然に試合ができるようになった。
 2種類の闘志
 誠治は「勝ちたい」と思うと、どうしても力が入って硬くなってしまうタイプだった。そのため、「勝ちたい」という気持ちよりも「負けたくない」という気持ちで試合に臨んだ方が力を発揮することができた。
 試合の途中ではいつも自分で自分を励ましていた。負けているときこそ自分で自分を励ますことができなければ、形勢を逆転できない。勝つためには「内に秘める闘志」と「外に出す闘志」の2種類の闘志が必要である。
「元気があって、なおかつ心の中では冷静な判断ができなければ、卓球だけでなくどんなときもうまくいかないのではないか」
 誠治は普段からそう考えていた。
 試合中、誠治は自分の中で「大丈夫だ」と繰り返して心を落ち着かせていた。1ゲーム目、バックの変化サービスを出し、3球目攻撃を狙っていった。レシーブでは2本取れればいいと割り切り、強気のレシーブをしていった。相手は誠治の両サイドに豪快なドライブを打ち込んできたが、この日の誠治はブロックがよく止まり、特にバック側は鉄壁であった。
 だんだんと台に近づく誠治、離れる郭躍華という構図になり、日本と中国のプレースタイルが逆になったようであった。誠治はサービスも工夫し、フォア側へのロングサービスを効果的に混ぜて使っていった。
 一方、郭躍華もオールフォアで激しい攻撃を仕掛けてきた。試合は競り合って進んでいった。ジュースになり、最後は誠治の見事なブロックが決まって25対23で1ゲーム目を取ることができた。しかし、郭躍華に焦った様子はまったく見えなかった。
 2ゲーム目、郭躍華は誠治のショートを嫌がっている様子だった。バックハンドを振ると不利になると考えた郭躍華は、このゲームもバック側に来たボールを回り込んでフォアハンドで打っていた。ブロックがよく止まっていた誠治が相手を振りまわすという展開が前半に多く見られた。しかし、相手も巧みなサービス、レシーブで誠治を波に乗せてくれない。19対17になったとき、誠治はフォア側にロングサービスを2回連続で出した。回り込もうとして逆を突かれた郭躍華は体勢を崩し、万全のレシーブができなかった。誠治はそれを狙っていた。『カミソリスマッシュ』が見事に決まった。
 郭躍華の顔から余裕が消えた。
 3ゲーム目も競り合いは続き、16対18、郭躍華リードで迎えた次のラリー、誠治が相手をフォア側からバック側へと大きく揺さぶった。郭躍華は瞬間的に足を開いて踏ん張って打ったが、ボールはコートに入らず、17対18となった。
 そのとき、郭躍華が左足を押さえ、悲痛な表情を見せた。無理な動きで左足の付け根を痛めてしまったようだった。次のラリーで郭躍華が強打したときに再び左足を押さえてしゃがみ込んだ。ボールはオーバーして、18対18.郭躍華がタイムを取り、試合は一時中断された。郭躍華はテーピングなどの応急手当を受け、何とかコートに戻ってきた。
 そして、試合は再開された。このとき、誠治は突然のハプニングに動揺していた。精神面がプレーに影響し、3本連続得点され誠治はこのゲームを落とした。
 心を引き締めて迎えた4ゲーム目、2本目で相手がフォアで強打した後、倒れ込んだ。ここでまたタイムとなった。相手は筋肉に注射をし、包帯を巻いて再びコートに戻ってきた。
「ここで動揺してはいけない、気を引き締めていくぞ」
 誠治は向かっていく気持ちを忘れないようにした。次のラリーの途中で信じられないことが起こった。相手がボールを見逃し、足を引きずって握手を求めてきたのだ。
 誠治には何が起きたのかがわからなかった。ぼう然としながら握手を交わした...。
 郭躍華は試合を続行できず、棄権という道を選んだのだった。こうして試合は意外な形で幕を閉じ、この瞬間、誠治の優勝が決まった。ベンチに戻った誠治からようやく笑みがこぼれ、涙を隠すかのように何度も何度もタオルで顔をぬぐった。
 優勝できるなどと夢にも思っておらず、ただ無心で戦ってきた。
「自分は本当に優勝してしまったのだろうか」
 誠治は信じられない気持ちでいっぱいだった。優勝しようと意気込んでいたわけではなく、「決勝に出ることができてうれしい」「相手の胸を借りて精いっぱいがんばろう」という気持ちで試合に臨んでいた。
 表彰式では、足を痛めた郭躍華が2位の表彰台に上るときに手を貸す誠治の姿があった。その姿には真のスポーツマンシップが表れていた。表彰台に上った誠治は、自分を支えてくれた人たちへの感謝の気持ちを込め、優勝カップを高く高く掲げた。
 スタートライン
 まったく名前が知られていない誠治が優勝したことで、本人はもちろん周りの驚きも大きかった。
 このニュースは日本にも伝わり、ちょうど大相撲夏場所をテレビで見ていた誠治の父は、画面上のニュース速報のテロップで息子の快挙を知ることとなった。三瓶町内には誠治の優勝を告げる町内放送が流され、その後、自宅の電話は数日間鳴りっぱなしであった。親戚や友人からのお祝いの言葉や、新聞、雑誌などのインタビューの依頼が殺到したからである。
 あっという間に終わった世界選手権大会。誠治にとってすべての試合が充実していて、これ以上自分の力が出せないくらいのプレーをしていた。自分自身が驚くほど動き回って打つことができた。そして、何といっても、世界一になることができた夢のような世界選手権大会であった。
 世界チャンピオン・小野誠治。
 だが、誠治の卓球は、ここで完成したわけではなかった。むしろ、世界タイトルを取ったことは、新たな重圧へのスタートラインとなったのである。
(2004年11月号掲載)
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