卓球レポートは国内外のさまざまな大会へ足を運び、およそ半世紀にわたり、あまたの熱戦を映像に収め続けてきた。その膨大な映像ストックの中から、語り継がれるべき名勝負を厳選して紹介する「卓レポ名勝負セレクション」。
今回から、全日本卓球選手権大会で繰り広げられた記憶に残る名勝負を取り上げていく。
初回は、平成23年度(2012年1月)の全日本卓球選手権大会(以下、全日本)男子シングルス決勝、吉村真晴(愛知ダイハツ/当時 野田学園高)対水谷隼(木下グループ/当時 明治大)の名勝負をお届けしよう。
■ 観戦ガイド
天衣無縫の吉村真晴が、6連覇の偉業を目指す水谷隼に挑む!
卓球日本一を決める年に一度の祭典、全日本。そこで名を馳せようと、多くの選手が心血を注ぎ、人生を懸ける。だからこそ、毎年さまざまなドラマが紡がれる。
これまで繰り広げられてきた全日本のドラマの中でも、とりわけ記憶に残る試合の一つが、平成23年度全日本における吉村真晴対水谷隼の男子シングルス決勝だ。
当時、明治大の大学生で全日本男子シングルス5連覇中だった水谷は、6連覇を成し遂げるべく、平成23年度の全日本に臨んでいた。「今までの中で1番自信がある」と大会前に手応えをつかんでいた通り、水谷は強敵たちを相手にわずか1ゲームしか失わない充実のプレーで決勝まで勝ち上がる。
その水谷の対抗馬としては、岸川聖也(ファースト/当時 スヴェンソン)、松平健太(ファースト/当時 早稲田大)、丹羽孝希(スヴェンソン/当時 青森山田高)らの名が挙がっていたが、決勝に勝ち上がってきたのは意外にも吉村だった。
当時、野田学園高校の3年生だった吉村は、前年(2011年)のアジアジュニア卓球選手権大会で中国選手を倒して優勝し、その後にバーレーンで行われた2011年世界ジュニア卓球選手権マナーマ大会男子シングルスで3位に入るなど急速に力をつけてはいた。とはいえ、彼の決勝進出を予想できた人は少なかっただろう。
若手の有望株とはいえ、優勝争いではノーマークに近かった吉村だったが、トーナメントが始まると持ち前の切れ味鋭い超攻撃卓球がさえ渡り、張一博(琉球アスティーダ監督/当時 東京アート)や松平健太ら強豪をなぎ倒し、あれよあれよという間に決勝へと勝ち上がった。
絶対王者対若手の対戦になった決勝を前に、場内には「水谷の6連覇堅し」という空気が色濃く漂う。「全日本決勝を知り尽くした水谷を勢いだけで倒すのは無理」「せめて吉村にはいい試合をしてほしい」。そんな声があちらこちらからささやかれる中で始まった決勝だったが、大方の予想に反し、吉村が2ゲームを連取して主導権を握る。
「決勝のコートに立ったときに会場を見渡すと、たくさんの観客がいて、『こんな中で試合ができるのか』とうれしく思いました(卓球レポート2012年3月号)」と試合後に強心臓ぶりを明かした吉村は、変化の激しいサービスから場内がどよめくようなアグレッシブな両ハンド攻撃を幾度も決めて水谷を後手に回す。一方、なんとしても大記録を成し遂げたい水谷も、吉村の猛攻に懸命に耐えながら食い下がる。
のびのびとリラックスし、全日本決勝という舞台を謳歌している感さえする天衣無縫な吉村に対し、大記録に手足を縛り付けられ、時折苦しそうなしぐさを隠せない水谷。追う立場と追われる立場のコントラストを鮮明にしながらゲームオールまでもつれ込んだ試合は、水谷が終盤に力を振り絞り、10対7とマッチポイントを握るが......。
「(決勝最終ゲーム7対10のときは)やっぱ強いなあって思ったし、やっぱ勝てないのかなあと思っていました。でも、相手も緊張していますし、自分が弱気になっちゃいけないと思いました(卓球レポート2012年3月号)」と、窮地に立って腹をくくった吉村が、想定外のプレーで成し遂げる逆転劇は必見だ。
一方、敗れた水谷にも触れないわけにはいかない。
「全日本を連覇するためにやってきた僕の悔しさをわかっているのは僕だけです」と敗戦後、胸の内を絞り出したように、全日本6連覇という記録が水谷にどれほどのプレッシャーをかけていたのかは、我々の測り知るところではない。
しかし、吉村の奔放なプレーと鮮やかな逆転劇を堪能した次は、どうか水谷に注目して試合を見返してみてほしい。まるで酸素の薄い山頂であえぐかのように、終盤になるにつれて苦しそうにプレーする水谷の姿からは、王者が抱える重圧や孤独の一端を感じ取れるのではないだろうか。
(文中敬称略)
(文/動画=卓球レポート)