マイケル・メイスはデンマークの卓球選手。繊細なボールタッチ、ファンタスティックなプレーで、2004年アテネオリンピック男子ダブルス銅メダル、2005年世界卓球選手権上海大会男子シングルス銅メダルを獲得している。
メイスは1997年マンチェスター大会で世界卓球選手権大会に初出場した。15歳だった。その後、16歳で故郷を離れてドイツ・ブンデスリーガに参戦することになった。数年前からメイスの才能に目をつけていたマリオ・アミズィッチに勧誘されたのだった。アミズィッチは世界的な名コーチであり、この時はドイツ・ブンデスリーガの名門チームであるボルシア・デュッセルドルフの監督だった。
メイスはボルシア・デュッセルドルフの1部チームでプレー。チームのメンバーはサムソノフ(ベラルーシ)、ロスコフ(ドイツ)、松下浩二(日本)、モンラッド(デンマーク)で、メイスは5番手だった。
それから時を経ること数年、2002年に日本から坂本竜介と岸川聖也がドイツに渡り、2003年には村守実と水谷隼もドイツに渡った。水谷は14歳だった。ドイツに渡った少年たちは、それぞれ異なるチームに登録して試合に参戦したが、普段の練習はボルシア・デュッセルドルフを拠点として、ともに汗を流していた。練習場にはもちろんメイスもいた。この時メイスはチームの1番手となっていた。
ドイツに渡った当初、日本の少年たちは主に2部チームや3部チームの選手と練習していた。だが、時にはマリオ・アミズィッチの計らいにより、メイスら1部チームの選手と練習することもあった。
若い頃のメイスは気性が激しく、試合中に感情的な行動に出て、イエローカードを出されることもあった。練習場でも感情的な行動はあったことだろう。
メイス本人も自分の気性を承知しており、かつて卓球レポートのインタビューでこのように話している。
「自分はかなり感情的だと思う。それを自分でコントロールできれば、卓球でも大きな長所にできると思うし、コントロールできなければ、ただの欠点。とにかく負けることが大嫌い。最後までエキサイティングな試合は、僕にとっては苦しいことではなくて、とても楽しいことなんだ」
2005年に上海で行われた世界卓球で男子シングルス銅メダルを取った頃からだろうか、メイスは以前と比べて感情を爆発させなくなっていった。
「以前の僕は、試合中に相手にリードされたり、試合で負けたりした時は、信じられないくらいイライラしていた。それで、ラケットを投げたり、物に八つ当たりしたりしていた。
しかし、トップ選手になりたいなら、このような行為を慎まなければならない。世界のトップ選手の中にラケットを投げたりする選手はいないし、多くの選手は落ち着いて集中している。
とても長い道のりだったけれど、最近では少しずつ、自分の敗戦を受け止められるようになってきた。(感情のコントロール方法は)人それぞれだけど、共通して必要なのは、自分が向上するために必要なものは何かを考え、それを素直に受け止めること。そして、それを実践すること。以前の僕は、人の忠告に耳を傾けなかった。でも、自分の非を認め、他人の意見も聞くことにした。自分を変えなければいけないと感じたから」
感情のコントロールとは別に、メイスは若い頃から、たび重なる体の故障に悩まされていた。故障とリハビリを繰り返しながら選手生活を送ったが、2012年のロンドン五輪以降は大きな大会に出ることができず、2016年3月に引退。2017年はT2APAC(アジア太平洋リーグ)で「チーム・メイス」の監督に就いたが、T2APAC終了後、ヨーロッパ・チャンピオンズリーグ2017-18シーズンに選手として出場。試合でボル(ドイツ)と互角に渡り合うなど手応えを感じると、2018年2月、再びデンマーク代表としてプレーすると宣言した。2018年、2019年の世界卓球にはデンマーク代表選手として出場している。
2019年9月1日で38歳になったメイス。かつては「朝起きると『ああ、今日も練習か......』と憂鬱だった」という時期もあったそうだが、24歳の頃には「毎朝起きた時に『今日も卓球ができるなんて幸せだ』と思う」と心境を話し、現役復帰に際しては「卓球をすることがとても楽しく、充実している」と話している。これからもメイスの卓球ライフが幸せでありますように。
取材=猪瀬健治 文=川合綾子 文中敬称略
上の写真は2004年9月のジャパンオープン、男子シングルス決勝トーナメント2回戦におけるメイス。この試合でメイスは水谷と対戦し、メイスが4対1で勝利した。この試合では特段、感情的な行動があったわけではない。下の写真は同じ試合における水谷