「僕、Tリーグをやめてドイツへ行くんですよ。都内の家も引き払って家族そろって」。上田仁からそう聞かされたのは、確か昨年の秋も深まった頃だったか。唐突な告白に驚いて質問を浴びせたが、その時は「詳しいことは妻に聞くのが1番ですよ」と上田に言われて話を切り上げた経緯がある。
以来、ドイツに新天地を求めた理由を、上田だけでなく、ぜひ妻の充恵(みさと)さんを交えて聞いてみたいと思っていたが、その願いがかない、ドイツ行きを目前に控えた7月のある暑い日、上田夫妻に話を聞くことができた。二人が胸中を語ったインタビューを前中後編の3回に分けて紹介しよう。
今回は中編を掲載する。(前編はこちら)
環境を変えたのに、また迷いが生まれてしまった/上田
--今回、ドイツ行きを決断された具体的なきっかけは何ですか?
上田仁(以下、上田):妻には「引退したら?」とずっと言われていました。昨シーズンに限っては、妻は最終戦以外は僕の試合を見に来ませんでした。それはなぜかと想像すると、シーズンを通して僕がすごく苦しんでいたからだと思います。
思うように勝てなくなり、選手としてやりたいのか、それとも指導者の道に進むのか方向性に迷っていました。せっかく環境を変えた(岡山リベッツからT.T彩たまに移籍した)のに、このままだとまた同じことを繰り返す。それが自分も家族も1番望まないことだと思い至った時、ドイツへ行く選択はありだと思いました。
--充恵さんはいかがですか?
上田充恵(以下、充恵):結婚したばかりの頃は、上田が全日本やトップ12などで良い成績を出すとうれしいし誇らしかったし、Tリーグも2年目の途中くらいまでは充実した様子で試合にも勝っていたので応援にもよく行きました。
けれど、休養を挟んだ後くらいからでしょうか。上田が勝っても、うれしいとか誇らしいという気持ちは、正直ほとんどなくなりました。うれしい誇らしいより、「勝って安心」ですよね。負けが続くと心をどんどんすり減らしている様子だったので、「そろそろ勝たないとこの人の気持ちはどうなってしまうんだろう」と思っていましたから、「勝ってよかった。これでなんとか耐えられそうだ」という日々でした。
家族で応援に行って変にプレッシャーをかけるくらいだったら、行かない方がいい。それが、昨シーズンは最終戦にしか応援に行かなかった理由です。最近は試合に勝つよりも、「今日は充実した練習ができた」と言って帰ってきたときの方が私はうれしいんですよね。ドイツへ行った方が卓球を楽しめるのではないかと思いました。
--応援をためらうほど、当時の上田選手は苦しそうだったんですね。
充恵:日々を見ていく中で、本当に卓球好き?好きならもうちょっと練習楽しくない?そんな感じだったら卓球やめたら?やめる勇気がないんだったら大学院でも何でも行って知識つけて逃げ道つくってきて!とめちゃくちゃ厳しく言っていましたね。卓球するのがつらそうで、でも、やめる自信もないのに卓球のプロにしがみついているなんて周りからしたら本当に迷惑だーっ!って(笑)
--充恵さんの言葉は刺さりましたか?
上田:刺さりましたよ、もちろん。だから本当に引退かなって考えることもありました。だけど、それで出した答えが、「やっぱり卓球を続けたい。だからドイツへ行きたい」でした。
妻は僕を試して厳しく言ってきたと思うんですよ。それはもちろん分かっていました。分かっていましたけど、すごく言われましたね(苦笑)
充恵:一応立てておきますが(笑)、上田は優しくていい人なんですよ。私は結婚してからも仕事をずっと続けていて、仕事が好きなタイプ。家庭にこもると自分らしさを失ってしまうと思っていて、会社員だけれども母親であり妻でもあり、いろいろな面を持つことが自分にとっては逃げ道になっていると思っています。
私にはこれといった趣味がないので、妻として母親として、そして会社員としてほどほどに逃げ道をつくりながらやらせていただいて、それはすごくありがたいことでした。
私が働いていることもストレスになっているのだと気づいてしまった/充恵
--充恵さんが仕事を続けることに上田選手も協力的だったということですね?
充恵:そうです。でも、上田は私に専業主婦になってほしいと思った瞬間は数多くあったと思います。優しいから私の気持ちを優先して、自分が卓球をやめたりして変化した時に私に迷惑がかかるのを気にしてくれていた部分は大きかったと思います。私がドイツへ行こう!と強く推した時も、「充恵ちゃんは勢いで言っているけど、実際にドイツへ行ったら恐らく仕事もないから充恵ちゃんが1番つらい。だから、俺がうまくやれば仕事もやめずに今の家に住めて、子供たちも今の保育園に通えて何の問題もないから、俺がうまく我慢して処理して日常を守るから」という感じでこの数年は頑張ってくれていました。
でも、定期的にストレスを抱えてしまう上田を見て、どうして良くならないんだろうと思った時、「私が働いていることも一定のストレスになっている」ことに気づいてしまいました。
私は働きたい性格ですが、このまま働き続けてこの日常を続けていたら、今度は本当に上田らしさを失わせてしまう。上田が本当にまだ卓球を続けたいのなら、ドイツで今一度卓球を楽しもうと思っているのなら、今度は私が何かを変えないといけないと思いました。
--上田選手は充恵さんの仕事に対してはどんな思いでしたか?
上田:やめてくれとは言っていませんが、「そんな感じで家族回るの?」という感じでは言っていましたね。
充恵:上田がまだ海外遠征に行っていた時期に子供が生まれたので育休を取り、子供が生まれて1年目がちょうどTリーグが始まった年でした。それで、私が仕事に復帰する時がTリーグの2年目で、上田は「仕事やめないの?」と言ってきましたが、育休は彼が協和キリンを辞めるより前に取っていました。会社に育休を認めていただいて復帰しないわけにはいきません。急に脱サラして環境が変わったのはそっちでしょ!って(笑)
上田:「協和キリンをやめてTリーグへ行く」と突然言ったんです、僕が。
充恵:私は「『会社に戻りますから育休取らせてください』と言った手前、やっぱりやめますなんて言えないから、とりあえずもう1年働く。働いてみて家族が回らなかったらやめるから」と言って復帰しました。そうこうしていたら、上田が体調を崩したんです。
--重なりますね。
充恵:上田が体調を崩さなければその年で会社を辞める選択肢もあったと思いますが、休養してしまったので自分が頑張らなければという状態になりました。今の職場には、最初は契約職員で入っていたのですが、上田が休養して収入も減ってしまったので正社員の試験を受けて合格したら、いよいよやめられなくなってしまいました。それで、どんどん上田に負担をかけてしまったのだと思います。
それでも私は仕事をやめたくなかったから、「私のおかげで踏みとどまれたでしょ?」って恩着せがましく言ったりして(笑)、続けてきた感じです。
上田:良くも悪くも僕らプロ卓球選手の収入は、一般の会社員の方に比べれば恵まれていると思います。だから、妻には「金銭感覚がぶっ飛んでしまったら、僕がどうなろうが、そこはもう変えられない。だけど、そこさえ保っておけば大丈夫だから私は働く」という主旨のことをよく言われていました。
そのことを僕が忘れないために妻が働いているということも、自分の中では感じています。
--上田選手の収入に頼りたくはなかったのですね?
充恵:そうですね。そこの価値観は狂わせたくないというのは強く思っていましたし、プロへ転向する時から「私はあなたがプロになっても、私の価値観を変えません」ということをすごく言ってきました。
私は高級な食事を毎回食べたいとは思わないし、ブランド品が欲しいとも思わない。そこは絶対に変えたくないし、あなたにも変わってほしくないってすごく言っていたんですけど、仕方がない部分ではありますが、プロの世界に入って少し変わってしまって。逆に、上田が変わったから「私は絶対に変わらない」と強く思えた部分もあります。
子供たちにも普通の暮らしで幸せを感じてほしいので、贅沢(ぜいたく)厳禁!と言い続けています(笑)
--上田選手が贅沢しそうなイメージはあまりありません。
充恵:贅沢ではないんですけど、ストレス解消でお酒飲んだ時に気持ちが大きくなって「おごりたがり」な面が出てきて人におごっちゃうんです。
上田:バーンと払っちゃったりするんで(苦笑)
充恵:え〜っ!そんな大金を、どこの誰とも分からない人におごっちゃったの!?みたいな感じのことが何度かあったりして。でも、「自分はストレスを抱えながら稼いでいるんだから自由に使わせてくれ」と私に面と向かって言えない気持ちも分かるんです。今はお小遣い制なので大丈夫ですが、体調を崩し始めた頃はそうでしたね。
体調は落ち着いてきましたが、体調を崩すのは飲酒も要因の1つではあります。趣味がなくて、お酒が好きというか、お酒の場が好きな人なので。
そうした衝動をどう抑えていくかを考えた時、子供も少し大きくなって心に余裕があるうちに自由にさせてあげることが1番の抑制になると思ったことも、今回ドイツ行きを決めた理由の1つです。
上田:いろいろな人が、「ドイツ不安じゃない?大丈夫?」と心配してくれましたが、妻いわく「日本にいても不安だもん」と(笑)。それだったらドイツへ行って視野を広げて、「ああ、あんなことで悩んでいたんだ」みたいに思えるようになれたらいいなという期待はあります。
もちろん、そこだけに大きな期待はしていませんが、そういう視点を持って日本に戻ってくることができれば結果的に家族にとって良いし、僕にとっても良いんじゃないかという思いはあります。
勝ち負けだけじゃない。そう声を大にして言えないことがしんどかった/上田
--そこまでつらくても引退しなかったのは、やはり卓球を続けたかったからですか?
上田:そうですね。やっぱり卓球は楽しいし、あとは、そういう視野の広さを見つけに行きたいっていうのもあるし。苦しんでいた卓球に、うーん、なんだろう、こういうのは言語化がうまくできない......。
充恵:口はさんでいい?卓球が好きでやめられないっていうより、恐らく、「やり残しがある」みたいな感じなんだと思います。
上田の性格的に、協和キリンで一生お世話になる覚悟で入社して、そこの居心地が悪いわけでは全然なかったけれど、突如としてTリーグが現れた時に、言い方が悪いかもしれませんが、目移りした。卓球界が大きく変わろうとしている節目の年に、自分の成績が上向きだったことも重なって飛び込んだから、「自分は何かを成し遂げなければ卓球をやめちゃいけないんだ」みたいな思いをずっと抱えているんだろうなって想像しています。だから、まだ自分で納得のいく何かができていないんじゃないのかなと思います。
そうではなくて、卓球が好きだからやめないの?
上田:卓球は好きだけど、プレーすることが好きなのか卓球に携わることが好きなのか、それとも誰かを教えることが好きなのかというところは分かってはいないですよね。卓球に携わりたいっていう気持ちは強いけれど、妻が言うように自分自身が「もう無理だ。俺はここまでだ」と思えたらすんなりやめたんでしょうけど、そういう意味では確かに納得できていないところはあります。
恐らく、妻からすると、僕が1回苦しい思いをして休んで復帰した時点で完結しているんですよ。「よく頑張ったじゃん」って。だからもう引退しても十分だという思いはあると思います。
--充恵さん、そのあたりはいかがですか?
充恵:卓球が楽しいなら続けてくれて全然いいのですが、「そんなに苦しんでまでやらないで」という思いはあります。
やり残しがあるというのは、恐らくですが、自分の中で1年間100パーセントで頑張り続けて、その上で、例えば全日本で初戦負けすれば「あ、俺、もう引退だ」って納得できるんだと思います。けれど、実際には100パーセントで365日を過ごしていないので、負けた時に「だって俺まだやり切れてないし」みたいな捉え方をしている感じです。こんな生活をしていたら上田は一生引退できないなと感じていました。
それなら、誘惑の少ないドイツで卓球だけの生活を送って、自分がやれる限り100パーセントで卓球に打ち込んで、その上で完敗したらあきらめがつくだろうなと思います。
--MVPを取るとか、何か結果を出すとか、そういうことではなく?
充恵:はい。自分が納得できる日常を過ごして、そこに対して試合の結果がついてきたらついてきたでそういう生き方を見つけたということだし、負けたら負けたで、それが自分の競技人生の終わりなんだと思えるのかな。
上田:そうですね。ただ、難しいです。プロの世界はシビアで勝たなければ稼げないし、負けたらなかなか厳しい扱いを受ける。そこをないがしろにして「勝ち負けじゃない。自分が納得いくまで」と堂々と言っていいのかという葛藤も強い。勝ち負けが全てじゃないって心の中ではすごく思っているのに、それを声を大にして言うことがプロとしてまだできない。
水谷さん(水谷隼/木下グループ)のようにずっと世界のトップで戦ってきたような人は、「勝たなきゃダメなんだ」というのが絶対にあると思うんですよ。苦しい思いをして、でもその中で勝ってきたからこそ今の水谷さんがある。このこともすごく理解できるので、そこに対するリスペクトもある。自分はそこのレベルまで到達していないし、そんな人間が「勝ち負けじゃない」と言う資格はないはずだから、その思いをずっと隠している。それが結構しんどい。
だけど、ドイツはもちろん海外のプロもシビアさは変わらないと思うけど、その中に楽しさがたくさん詰まっていそうで、それが長く卓球を続けられる秘けつのような気がしているんです。
僕の感覚、経験からすると、日本選手は卓球のプロを長く続けるのが難しいのではないかなと思います。20代の乗っている瞬間だけバーッと輝いて、あとは自分のように心をすり減らして終わっていくのかと思うと、僕がドイツへ行って何かしら伝えられるものを持ち帰ることができるなら意味があると思います。日本でこうしてすり減らしてボロボロになっている自分が言うのもなんですが(笑)。いずれにしても、そういう葛藤はすごくありました。(後編に続く)
(まとめ=卓球レポート)