「試合で勝って泣いたことが2回だけあるんですよ」
その2つの試合に立ち会った取材者の一人として、その1つ目、8年前のことを今でもよく思い出す。
京都の古豪、東山高校を卒業後、早稲田大学に入ってからメキメキと頭角を現し始めた笠原は大学2年生で全日本大学総合選手権大会(個人の部)(以下、全日学)の決勝に進出。しかし、同級生の水谷隼が全日本王者として笠原の前に立ちはだかり、初の全国優勝の夢は果たせなかった。
水谷が出場しなかった翌年2010年の全日学は笠原にとって何としても獲らなければいけないタイトルだった。数カ月前から家事を妹に一任し、自分は授業と練習だけに専念したという。その甲斐あって、持ち前のラリーでの安定感に加え、2球目、3球目から厳しい攻撃で先手を取るアグレッシブなプレースタイルで、準決勝では優勝候補の上田仁、決勝では好調の伊積健太を破り初優勝を決めた。優勝を決めた後、ベンチに戻ってタオルに顔をうずめている笠原の姿はいまだに筆者の記憶に深く刻まれている。
そして、翌年のバタフライとの契約。関東学生リーグで54勝2敗(1年の秋季リーグと4年の秋季リーグで水谷に敗れた)という驚異的な成績を残した若武者は、協和発酵キリン入社を機に、バタフライとの契約は一旦途切れたが、7年の時を経てまたここに帰ってきた。
「正直、以前ほど成績が出せてるとは言えない状況で再びバタフライと契約できたことで、もう1回しっかり卓球に取り組みたいという気持ちにさせてもらえました。
これまでももちろん頑張っては来ましたが、一昨年は結構重いけが(椎間板ヘルニア)もして十分に練習もできず、逃げ腰になっている部分がありました。もう選手として終わりが近づいてきてるんじゃないかと思ったこともあったくらいです。でも、自分の中でもこのままではダメだと感じていたので、今回の契約を機にまた結果を残していけるように頑張っていきます」
ベテランといわれる年齢に足を踏み入れ、若い世代が台頭してきている今、再びトップを目指すことは決して簡単なことではない。だが、私が彼の言葉を信じるのは、その表情と語り口の真剣さだけからではない。強くなることが難しいといわれる大学生時代にストイックに強さを追求して、結果を出してきたからだ。もっと簡単に言ってしまえば笠原は「強くなる方法を知っているから」だ。
自身のプレーについてはこう語る。
「苦手なことがなくて、ミスが少ないのが自分のプレーの特長だと思います。ただ、勝ち切るためには得点できる技術を磨いていきたいと思っています。ボールもプラスチックに変わって、安定したプレーよりもダイナミックなプレーの方が勝ちやすい時代になってきているので、そういうプレーも取り入れるように最近は意識しています」
では用具についてはどうだろう?
「今はZLファイバー素材のインナーファイバー®仕様のブレード(特注)に、両面『テナジー05』を貼っています。以前はZLCのアウター仕様のブレードを使っていましたが、ボールの素材がプラスチックになってからは"もっとつかむ感覚がほしい"、"もっと回転をかけたい"と思うようになって、木材7枚合板の『SK7』にしましたが、もう少し弾みがほしかったので現在のブレードに変更しました。
ラバーは、フォア面はずっと『テナジー05』です。自分が飛ばしたいと思ったときには飛んでくれて、回転をかけたいと思ったときには回転がかかるので、思い通りのボールが打てます。バック面は、以前は『テナジー64』を使っていましたが、チキータを使う選手が増えてきたので、チキータ対策として、相手のボールの勢いを吸収して、自分から回転をかけてカウンターしやすい『テナジー05』に変えました。ラリーでもドライブが弧線を描いてくれるので、安定しますね」
最後に目標を尋ねるとこう答えてくれた。
「まずは自分の力をトップで戦えるレベルにして、それから段階的に勝っていくことでしかチャンスはつかめないと思っているので、1からスタートという気持ちでコツコツ頑張って行くつもりです」
普段は軽妙な語り口の笠原が聞かせてくれた派手さのない本気の言葉に、あの大学3年生の全日学に臨んだ時にも似た「覚悟」を感じた。昨年には石垣優香というこの上なく頼もしい伴侶を得た笠原の今後に期待はつのるばかりだ。
笠原弘光:https://www.butterfly.co.jp/players/detail/kasahara-hiromitsu.html
(取材/文=佐藤孝弘)